光る星は消える/4

※第四回。 第三回はこちら







ドーナツに粉砂糖を振っていたら、東せつなの声が庭先から聞こえてきた。「なにしてるのよサウラー!」という聞き捨てならない台詞に、庭用のサンダルを履いて駆け出した。

明るい冬の日差し、濃い緑の庭に、いま学校から帰ってきた東せつな、そして。
洗濯物の樹が出現していた。
間違ったクリスマスツリーや七夕かざりのように、家に寄り添うおおきな樹に、色とりどりの洗濯物やシーツが、ハンガーやロープを駆使してかけられているのだ。
「あ、隼人、ドーナツできた?」
樹上の、隼人のシャツの影からサウラーが顔を出した。サウラーの姿であの無邪気な笑顔は、なんともいえない違和感がある。おそらく樹上の人となるために身体機能をオーバーさせたのだ。
「おう、いまできた。お前、なにしてんだ」
「洗濯物ほしといて、って言われただろ? で、物干しつかうのつまんないし、高い場所のほうが早く乾くかとおもって! どう?けっこういいバランスでできてるよね?飾り付け」
「飾りじゃねえって」
しかしまあ、確かに、気を使った配色がされていることはうかがえた。それにしても俺らはいろんな色の服を持つようになったものだ、と感慨深くなった。
チェックのワンピース、緑のセーター、オレンジのシャツ、青いデニムのボトム、赤いブラジャー… …ブラジャー?
「…せつな、お前けっこう下着派手なんだな…」
「!!!! ちょ、ちょっと、サウラー!なにしてるのよ、わたし、下着は別のカゴに入れてたでしょ!?」
「いいじゃんまとめて洗っても」
「よくないわよ! 洗濯機で洗ったってことでしょ!? ちゃんと手洗いしなさいよ!」
え、そういう問題なのか? さすがの西隼人もくびをかしげた。
「洗濯機で洗ったらワイヤー歪むんだから! わたしの胸の育成に支障をきたすわ!」
育成してたのか。
「いいじゃん別に。見せる相手もいないんだし。ねー隼人」
「よ、予定はあるわ!」
…予定があるのか。そうか、そうなのか…
「…にしても真っ赤か…」
「え、あ、隼人、ああいうの、あんまり好きじゃない…?あ、あと、あんまり見ないで」
背中をむけるように腕を押して促され、素直に従う。
あんまり見ないで、って、サウラーには手洗いしろとまで言うのになあ。
今も時折やってくる、二人の絆に感じる疎外感がわずかに胸を刺す。
「下着なんて自分の着たいもの着ればいいんじゃねえの?俺だって動物プリントとか好きだし」
「そう…そうなんだけど…」
「せつな、隼人は「ランジェリー」って感じのやつが好きだとおもう」
「あなたは黙ってて!」
「いや、いい読みかもしれないぞ、サウラー」
「……そうなの?」
東せつなは、腕を組んでなにかつぶやきながら思索に入ってしまった。肩をすくめたサウラーは樹上から飛び降りながら南瞬に変移した。西隼人の手をとり、玄関へ歩き出す。
「おやつにしよ。せつななら、ほっといてもいいよ、どうせ大したこと考えてないんだから」
「…わかるのか?」
「そりゃあ、もちろん、わかるよ」
そうか。俺には、わからないのにな。


町外れの、古くて小さな家。大きな樹が家に寄り添い、広い庭のある、赤い屋根の家。
そこは西隼人の楽園、天国、理想郷、ゆりかご、そんな言葉を全部つめこんだような場所だった。東せつなを迎え、やっと三人になった、ずっとこのままでいられるならこれ以上のものなんていらない。
そのはずだったが、その楽園は終わりが定められていた。そもそもが春までの約束で借り受けた家であったし、それに、たとえば。


「そうそう。あのね、隼人、せつな。こんどねえ、おはなしよみきかせ会、に呼んでもらうことになっちゃったんだー」
にこにこと笑う瞬に、隼人は紅茶で思い切りむせ、せつなはかじりかけのドーナツを落とした。
「そ、それって、あれか、図書館でやってる」
「うん。水曜日に、やってるやつ」
「瞬、ちいさな子に混ざって聞いてくるの?読み聞かされてくるの?」
「やだなあせつな、ぼく大人なんだから。聞かせてあげる側だよ」
そっちのほうがむちゃだ! と、隼人とせつなは同時に思った。
けれど彼は、二人のそんな、ソース入りシェイクを飲まされたような衝撃などまったく気付かずにお花をまき散らしながら続ける。
「絵本コーナーで、読みたい本があるけどひらがなが読めない子に、絵本、読んであげてたんだ。そしたら、司書さんにスカウトされた。もっとたくさんの子に聞かせてあげてって」
穏やかな笑みに、隼人は、気付いた。これは、無垢なばかりのこのごろの笑顔ではない。
口調は相変わらずいとけなかったが、何かの変化が起きている。
「へえ、いいんじゃないの。読み聞かせ会って何時だった?わたしも授業終わってたら聞きにいこうかしら、ね、隼人」
「あ…ああ」
「えー、やだなー、恥ずかしいよ」
そんなふうに言いながらも瞬はまんざらでもないようだった。いまは、どんな本を読んであげようか選ぶのが楽しいと続けている。
行くなよ、そんなもの。他人のガキなんてどうでもいいじゃねえか。
絵本を読みたいなら俺とせつなが聞くから、外になんて。
そう散らしたい言葉を飲み込むように、緑茶を一気に喉へ流し込んだ。
テーブルの上の、東せつなの携帯電話が鳴った。いまや妖精もなにも宿らない、ただの携帯電話だったが、彼女は表示された番号を見て「あ」と嬉しげに通話ボタンを押した。
西隼人と南瞬に軽く謝罪するようなポーズをして、背を向ける。
「もしもし、おかあさん? …うん、だいじょうぶ。 明日? うん、いまのところ予定はないわ。…えー、やだ、そんな… ほんとだってば、もう!」
ちらちらと彼を見ながら弾んだ声で会話している。あの館にいた頃にはとうとう見ることのなかった、けれどダンス大会以降はよく見るようになった笑顔。
東せつなは、あの頃のイースから大きく変化している。桃園ラブによって。この街の人々によって。
ゆがんだハートのドーナツに噛み付いた。いろいろと試行錯誤はしているのだけれど、中央がどうしてもきれいなハートにならないのだ。
「隼人、ドーナツおいしいよ?」
知らず渋面になっていたらしい西隼人の顔を、南瞬が心配そうにのぞきこんできた。
「あ、ああ… ありがとな。 でも、だめだなこれじゃ…カオルちゃんのレシピ、どうにかおしえてもらえりゃいいんだが」
「おしえてもらったら?」
「頼んだけど断られた。 いや、断られたってか話をすり替えられたってか」
「わたし、このドーナツも好きよ。ふつうにおいしいじゃない」
いつの間にか通話を終えていた東せつなに、「ぼくも」と南瞬が言葉をかぶせる。
「ふつうじゃだめだ。 カオルちゃんみたいなのでないと」
「どして?」
ラビリンスに戻ったら、おまえらに食わせるドーナツは俺が作るからだ。
そう言いたかったのだけど、言えなかった。ふたりとも、こちらの人々との約束をたのしみにしていて、自分はドーナツひとつ満足につくれないままだということが胸をふさいだからだ。
東せつなと南瞬は、顔を見合わせて、くびをかしげた。


二人は、積極的に外の世界や人々に触れ、すこしずつ変化していた。いや、東せつなはすでにそうだったのだろうが、記憶の中の「イース」との違いをひとつひとつ発見していく毎日だった。生真面目で、穏やかで、優しく、幸福を知っている少女。それを知って嫌いになんてもちろんならなかったけれど、寂しさは募った。
南瞬の変化はもっと顕著で、ひなどりのようだったあどけない言動は一日ごとに成長の兆しをみせている。
西隼人はと言えば、二人の変化をただ見守るばかりだった。二人を引き止めることもできず、自分の変化も感じられない。
あまり外へ出る気にもなれず、家の修繕や改築に一日の大半を費やした。
瞬が、スイッチオーバーしないで庭の樹に登れたらいいんだけど、と言い出したので、はしごと足場をつくってとりつけた。
せつなが、こういう枝にブランコついてたらかわいいわよね、と言ったので、それも作って枝から下げた。
体を動かしている間だけは、二人が楽しげに語る「外」の話のことを忘れていられる気がしていた。それがごまかしなのも、知っていた。


「あと、二ヶ月か…それまで、精一杯、こっちで勉強しなくちゃ」
「真面目だな。遊んで過ごしてもいいんじゃねえの?」
「そういうわけにはいかないわ、ラビリンスを復興させるには、どれだけ学んでも足りないんだから」
ラビリンスの復興。
そういえばそんなものもあったなー、と西隼人は思った。
正直、それほど大事だとは思えないのだ。なにも自分たちが張り切らなくたって、なるようになるんじゃねえの、とか、国ひとつを立て直すなんて、そのことに自分を差し出すなんて、正気じゃないとすら思う。
なんなら、スウィーツ王国に支援を頼むとか、政治家何人かよこしてもらうとか、そんなんでもいいんじゃないか。でも今はそれを言うのはやめておこう。イースは、その使命感によってこの家に来たし、二ヶ月後にはラビリンスに行くつもりなのだ。
あの灰色の国を立て直す、そんなことどうでもいい。
三人で、この小さな家で暮らせることになった今となっては、せつなが三年生もやりたいと言い出しても受け入れようと考えるようになっていた。むしろ、言い出してほしい。
今がずっと続いてほしい。
けれど時間は過ぎていくし、二人も変化し続けている。


二階の物置部屋から、空を見ていた。春の近い、青に少し足りない水色。吹き抜ける風はわずかにぬるい。
胸の奥に、消しきれずに灰のなかでくすぶる炭に似た何かを感じる。しなければならないことがあると、心が、訴えてくる。
おのれの役目がなんなのか教えてくれる存在は、もういない。






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春は近くて遠い

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2010/03/17


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