光る星は消える/6

※第六回。 第五回はこちら







どんな言い訳もできないし、することもできず、西隼人は動けずにいた。東せつなは、自分の頬に添えられた、男の手にそっと手をかける。
振り払われるのだと思った。けれどその手は、彼の手を握りしめた。
赤い瞳が、そのまま何も言わずにじっとこちらの目を見つめてきた。
責める色のまるでない、まったく中立なまなざしだ。だから責められていると思うのは自分のせいだ。
後悔した、死んでもいいと思った。死んで五分前に戻れるなら何でもすると思った。どれもできないこともわかっていた。
「…わたし、」
花びらのような唇が開く。

「すきなひとがいるの。このごろ瞬と話してるのは、たいてい、そのことよ」

ああ、拒絶されたんだな。二重の意味で、拒絶された。いつものことだけど、何度味わっても、ふたりからの締め出しは堪える。
「どんなひとか、ききたい?」
喉の奥に気持ちのかたまりがつかえて、言葉が出てこない。つかえたそれを飲み下すことも吐き出すこともできず、奥歯を食いしばってゆるゆると首を左右に振った。
ききたくない。そんなもの、もう、外の話なんて。
「…そう? わたし、今、すごくそのひとのこと、あなたに聴いてほしいわ」
「…………ききたくない」
ガラスをすりあわせたような音が、喉からこぼれた。
「あら、どうして?」
「たぶん、俺はそいつを殺す」
殺す。あのメビウスの配下だった頃ですら、できるとか、やるとか、必要があるとか、思ってもいなかったことを、今ひどく自然に口にした。
殺す、その、鮮烈な赤のイメージをともなう、他者への究極の支配の響きに頭蓋の内側が揺れたが、きっとできる、そんな気もした。今きっと自分の目はイメージを映して赤いんじゃないかとどこかで思った。けものか、あるいはばけものに見えるのではないだろうか。
けれど赤い瞳の彼女は、心底おかしそうに小さな声を上げて笑った。そうして、

「しかたのないひと」

花のような白い腕を彼にまきつけ、引き寄せたのだった。



首の付け根に鼻をうずめて、髪と頚の匂いをかいだ。香料の奥のかすかな体臭を、彼の器官は嗅ぎ分けた。
からだを、これから自分が…何をしたいのかはいまいちわからないけれど、どうにかするであろうからだを、輪郭をなぞるように、ここにあるのだとかたちを把握するように撫でた。空から氷すら降ってくる冬のための夜着の上からでも、あたたかさとやわらかさを感じた。とくにやわらかいところを幾度か確かめると、そのたび、彼女は、のどを焼く重甘い蜂蜜を思わせる溜息を吐いた。
白い腕は、すがりつくように、せめるように、あるいは愛撫のように、彼の背を、肩を、髪をさまよった。
布の上からはさんざんさわった。もうじかにさわりたい。夜着の裾から、指先を侵入させた。いままでふれたことのあるあらゆる触感と異なるものが、指の腹をほんのすこしかすめた、それだけで、雷が貫いたような錯覚が頭の先からつま先にまで駆け抜けた。
「…まって」
彼女の両手がやさしく頬を包んだ。触れているだけだったけれど、どんな力にもまさる拘束。
揺れる赤が、月のひかりを映してきらめいている。ここから先は、通行証が必要なのだと告げている。なにが必要なのかはわかっていたが、彼は、ためらった。それを差し出すのが怖いと思ってしまった。奪うだけのつもりだったから。
水面の木の葉を指で押すような、ほんのちいさなひとおしで、彼女は鼻先が触れ合う距離に彼を導いた。そうして、目を閉じた。
二度と戻れない岐路にある。いまは、どちらを選ぶこともできる。このまま喰らいつくすことも、謝罪して、距離を置くことも。
自分は、何を求めているんだ。

赤い瞳を隠したまぶたから、目をそらす。そして、その先で目が合った。緑の瞳と。

「…っ、」
「あ、あの… ええと、隼人」

南瞬は、あわてたような、困ったような顔と声で、言葉の接ぎ穂をさがし、目線をさまよわせ、やがて目を閉じ、背中を向けてしまった。
「え… えっと、ぼく、その… ごめん」

全身の血が抜き取られたような感覚に、うろたえながら眼下の東せつなを見れば、彼女はバツが悪そうに衣服の乱れを直している。その姿に、触れている間には感じなかったものが、一気に押し寄せてきた。罪悪感が。
ひどいことをしようとしていたのだ、それも、そのことをしたいからでなく「ひどいことをする」のが目的だったと言ってもいい。
西隼人は、毛布を一枚とって、ゆらりと立ち上がった。まるで、生きていないように。亡霊のように。最低だ。最低じゃないか。
いちばんまもりたいはずだったものを壊そうとした、存在理由は消滅した、それどころかおのれの存在は彼女たちの害としか思えない。
「隼人」
半身を起こし、呼びかけてくる東せつなの声。振り返りもせず、無言で自室への通路をたどる。自分のような存在が声をかけること、見ることすら許せそうにない。
赤い瞳と緑の瞳は、何も声をかけてこない。追ってくる様子もなかった。


マットレスの上、一枚の毛布にくるまって、ただひたすらに後悔だけを何度も取り出して思い出して焼き直しては噛み締めた。自分の中だけでの懺悔は、反省でもなんでもなくただの自己満足であり現実逃避だった。考えなければならないことを、考えたくなかった。





明け方に、夢を見た。

窓のない、扉もない、打ちっぱなしのコンクリートの部屋。無愛想なパイプ椅子と、もう見たくないと思っていたキューブ食、鉄のかたまりのようなテーブルの中央にはFUKOゲージのミニチュア。
黒衣のイースは、椅子に腰掛け、冷たい目でそれを見ていた。同じく黒衣のサウラーは、テーブルに座って脚を組み、じっとしている。
二人を笑わせてやりたいと思った。けれどこの部屋には何もない。
焦れながらなにも言葉にできずにいる、と、イースが立ち上がった。
「わたし、もう行くわ。ずっとこんなところにはいられない。もっと楽しいこと、幸福なこと、外にはたくさんあるから」
どうやって、と肩をつかんでひきとめようとして、その手が空を切る。目の端を、赤い蝶が横切った。蝶は二度、三度、彼の前で旋回して見せると、そのままいつのまにか出現していた窓から飛んでいってしまった。窓の外には、桃色の空と、クローバー。
「ぼくも行くよ」
はっとして振り返ると、黒衣のサウラーは、南瞬の笑顔で立ち上がっていた。
「いろんな本を読みたいし、ひとのあたたかさを知りたい。ここは冷たすぎるんだ」
彼は翡翠色の鳥になった。そうして、いつもしていたような首の角度で彼を見つめ、やはりいつの間にか出現していた窓から飛び去った。青と緑の混ざった、月と星の輝く空だった。
灰色の部屋は元通り。窓は消えていた。四角い部屋に、一人きりで、残された。
ふいにその部屋が変化した。鉄と機械で作られた、なにも人に訴えかけるもののない、できの悪い舞台装置のような、そう、ここは「メビウス」が私室としていた場所だ。一度だけ入ったことがある、あの時は、そうだ、

「お前のことを頼りにしている、ウエスター」

そう、メビウスが、そう言った。
二度と聞くことのないはずだった声を聞いて、眼球の奥が熱くなった。
たとえ悪だったとしても、狂っていたのだとしても、やはり自分の創造主なのだ。
まるで威厳と愛情にあふれた父親のようなその機械人形は、あの日のように、ゆっくりとこちらへむきなおって微笑んだ。
「あの二人には、わたしが与えられるだけの知恵を与えた。だが野蛮な世界へ赴くからには、知恵だけではどうにもならない局面もあるだろう。
その時には、ウエスターよ、お前がその力で二人を守ってやってくれ。必ず、三人の誰も欠けることがないように。それがお前の使命だ」
自分たち三人を、実の子のように慈しんでいる。そう信じていた声。ほんとうはそうではなかった、血と肉をもつ駒を効率的に従わせるため、そのふりをしていただけだった。いまはそう知っている、知っているのに、当時のように、いや、当時以上に、心が震えた。
自分はどう答えたのだったか… 思い出せないが、きっと、勢い良く承諾したのだ。もちろんです!とか、わかりました!とか、おそらくそんな感じだった。
誰も欠けることがないように。それが自分の使命。

メビウスの影が、自分を覆っているのに気付いた。
その影の中から一歩も動けない。







夜明け前のすみれ色の空気の中、目覚めた西隼人は、手早く荷物をまとめた。
数日分の着替え、洗面用具、パンダのぬいぐるみ、それだけをバッグに詰めた。
書き置きを残したのは、以前ドラマでそうしていたのを見たからであり、会いたくないけど伝えたいことがある気がしたからだ。
文面は、「探さないでください」というお決まりの一行に、「一週間くらいで戻ると思う」と付け足した。
そのあと、それを眺め、丸めてくずかごへ投げてから、悩んで、悩んで、「悪かった」とだけ書いてダイニングテーブルに置いた。そう、伝えたいことは、それだけだ。三人で、いや、二人とひとつとして生をうけ、自分は結局ふたりのためになにもできなかった。使命は消滅し、よじれた枝のような執着だけが残り、その歪みはあやうく彼女に消えない傷をつけるところだった。けれど、それももう。


そうして西隼人は、なにより手放したくなかった二人から、逃げ出した。





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2010/03/20


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