あまいきょうき





「…あーァ」

やっちまった、と。言葉の割に、男に反省の色はない。右手に持った小型のナイフを軽く指先で回した後、コンクリートの地面へと落とした。カラン。深夜の静かな住宅街には、その音がよく響いた。そして胸元の相棒をジャケット越しに一度撫でて、申し訳なさそうに苦笑する。「使ってやりたかったけども、お前の声はここにはすこーし甲高いかんな」ワルサーはじっと黙っている。
男は足元に目をやった。転がっている頭をつま先で小突いて、首を傾げた。はて。自分はこの男に見覚えがない。おかしいなァ。結構見張ってたつもりではいたのになァ。男の独り言はぽつぽつと続く。まったく困ったちゃんだねえ、君は。男は胸元から香水を取り出した。ハート型の可愛らしいそれを何度かプッシュして、体ではなく服に振り撒いた。返り血の匂いが消えたことを自分の鼻で確認して、ニンマリ。



女は戸惑っていた。会いに来る筈の彼氏が、時間を過ぎてもやってこないのだ。約束の時間は午後9時、今は11時をとうに過ぎている。連絡の一本もない。何かあったのだろうか、それともすっぽかされたのか。そわそわと落ち着くことができず、部屋の中をうろついた。
あ、と、女は声をあげる。もしかしたら、彼は外で待っているのかもしれない。いや、でも、2時間も?…暫く自問自答を繰り返した後、その微かな希望に縋ってみることにした。携帯を忘れて連絡できなくて、待っていることしかできないのかも。
ピンク色の可愛らしいカーテンをちょっとだけ指先で開いて、外を覗きこんでみた。そこに、こちらを見上げる人影ひとつ。女はパッと笑顔になったが、すぐにそれは消えた。彼ではなかったのだ。暗い夜道によくよく目を凝らすと、その人影は真っ赤なジャケットを羽織っている。彼はあんなもの、着ない。期待をした分、ショックは大きかった。大きな溜め息を吐いて、女は顔を引っ込めた。



こちらも、溜め息をひとつ。顔を出してくれたと思ったら、すぐに消えてしまった。折角の久々の逢瀬なのに。「お前のせいか」男は転がる体に吐き捨てた。
…しかし、まァ、いいか。邪魔者はこれでいないのだ。黄色いネクタイをキュッときつく締めて、服装を整えた。そして窓を見上げて、一言。「今、行くよ」外での出来事など露知らず、女はひたすら携帯を見つめていた。既に返らぬ人になってしまった彼からコールがあれば、それこそ怖ろしい。



あまいきょうき







title:虫喰い 20101223




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