――なまえが居なくなった。

厠へと向かった父が襖の開いたなまえの部屋に気付き、慌てて妻を起こし娘を探したものの姿は見えず、両親はすっかり眠気も吹き飛んでしまっていた。怖がりのあの子がまさかこんな暗闇に出ていくとは考え難いが、確かに家中どこを探しても見当たらない。

「あなた…きっとあの子、」
「嗚呼、わかっているよ」

ここは蝦夷共和国の中心地である五稜郭からさほど離れておらず、今まさにその五稜郭を中心にほぼ毎日戦が起こっているのだ。いくら夜は静かだと言えども、むやみに出歩くのは命を取って下さいと言っているようなものである。
玄関口で二人途方に暮れ、座り込み頭を抱えていると軽く地面を蹴る音が聞こえた。

「お母さま!」

頭痛の原因が目にうっすらと涙を溜めてこちらに駆けてくる。手の平には何故か微かな血の跡。

「なまえ…どこへ行ってたの!」
「ごめんなさい、」

母親は手を伸ばしなまえを抱き留めた。しかしなまえはそんな母を余所に父のほうへ向き直ると、熱心な口調で慌てたふうに話し掛けた。

「怪我してる人がいたの。お父さま、助けてあげて…」
「助けてと言ったって、」
「向こうに」

娘の無事に気を取られ気付かなかったが、振り返って指差すほうを見れば確かに人影があった。





「先生、起きて下さい先生!」

ドンドン、と戸を叩く音と深夜には到底似つかわしくない大声が響いた。幸い近くに民家はなく、騒音は畑の土の中へと吸い込まれる。しばらくして開かれた戸から若い男が、この町唯一の医者が眠たい顔を覗かせた。

「はいはい…っと、みょうじさんかい。どうかしたかな?」
「すまない先生。横っ腹に鉛傷でうちじゃどうしようもないんだ」

これ、と背中で気を失っている男を見せると、先生はとりあえず中へ入りなさいと入口を開けた。



診察台へ寝かせた怪我人の服を鋏で手早く裂き、覚醒した頭で処置を始める。家に居なさいと言う両親を押し切ってついてきたなまえだが、乾いて肌にこびりついた血を見て父の後ろに隠れてしまった。

「…みょうじさん、こりゃあ誰だい」
「わからんが、さっきこの子が連れて来たんだよ」

母の腕の中からなまえが指差す先に倒れていた男は腹部から大量の血を流した跡が見受けられ、どう考えても一般の民家ではどうにもならないというわけで急ぎ診療所へと担いで来たのだった。
父がわからないと答えると、何やら思案顔でピンセットを片手にしばらく傷口の辺りでごそごそとやっていたが、男は土で汚れた額にしわを寄せたままぴくりともしない。やがて先生は取り出した痛みの原因を持ち上げた。

「これは鉛玉じゃなさそうだ」
「はぁ、でも鉄砲の流れ弾か何かなんじゃ…」
「火薬は詰まっていないようだから銃弾ではないよ。とりあえず今日はここへ寝かせておきなさい」

詳しいことはこの方が起きてからにしよう、と言った先生に同意し、父はなまえを連れて外へ出た。

「…先生、あの人治りますか?」

なまえは数歩進んだところで見送りに顔を出した先生に向かって振り返り問い掛ける。先生は曖昧な顔で頷いた。





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