「じゃああっちの山、片付けちゃおうね」
「はい、みょうじ先輩!」
社会人2年目の春、可愛い後輩たちが入社してきてわたしも先輩と呼ばれる立場になりました。去年先輩にしてもらったのと同じようにわたしも後輩の面倒を見る。教える立場になったら一人前だと思っていたけど、後輩に教えられることもたくさんあって、自分はまだまだ未熟者なのだと痛感した。きっとどこまでいっても半人前なのだろう、でもだからこそ働きがいがあるというものだ。
「終わったっスね!」
「こら、言葉遣い」
「あ、すンま…すみません!」
「よしよし、じゃあ帰ろうか?」
「はい!」
ちょうど去年の今日だった。帰ったら部屋に知らない男の人が倒れていて、驚いたっけ。ほんの一瞬だったけどすごくすごく楽しかった日々、…愛しいあの人との記憶。
「1年、か」
帰り道を歩きながら思った。左之さんが帰ってしまってからもう1年。わたしは未だに彼を過去に出来ずにいる。せめて気持ちを伝えていれば、と考えたこともあるけど、だからといって左之さんが帰ってくるわけでもなくて、その度に余計に寂しくなった。
「きっと元気だよ、大丈夫」
左之さんが好き、大好き。過去にできないならしなくていい、このまま大事に抱えていよう。それがこの1年で出た結論。
すっかり日も沈んだ頃、ようやくたどり着いて家の鍵を開ける。帰ったら真っ先にリビングのサイドボードの引き出しを開けて手紙を確認。未練がましいのはわかっていたがこれだけはどうしてもやめられない。
「…ちゃんと、笑ってるよ」
触りすぎて色褪せてしまった手紙をまた大切に引き出しにしまった。明日から連休が始まる。もちろん今年も睡眠、睡眠、睡眠の予定。
「さぁて、と!」
荷物を持って自室に向かい、鏡の前にぺたんと座り込んで化粧を落とす。スウェットのズボンに足を通したところで動きを止めた。何か音がする…?
それは耳を澄まさなければ聞こえないような小さな音だったが、確かに微かな足音を聞いた。
「………襖の、奥?」
常識的に考えてそんなはずはないと分かっていても、記憶が溢れ出して止まらない。去年左之さんが現れたとき、襖は半開きだった。まるでそこから入ってきたかのような格好で倒れていた。そこで仮説を立ててみたのだ、左之さんはこの襖を通じてこの世界にやってきたのではないか、と。
「…………あの、」
恐る恐る襖に近寄って、小さな声で話しかけてみる。
「…左之さん」
話しかけた先にいるのが左之さんじゃないかもしれないとか、気付いてもらえないかもしれないなんて微塵も思わなかった。絶対に左之さんだ、何故だかわからないが今突然確信していた。
短い沈黙の後で、また音がした。今度は音がだんだんと近くなって、そして。
「……なまえ!」
開け放たれた襖の奥から白い光とともに誰かがわたしの名前を呼んで腕を伸ばした。あまりの眩しさに目をつむった一瞬の後、懐かしい匂いと安心する体温に包まれる。
「なまえ、なまえ…!」
「…さ、の…さん」
記憶にあるよりも少し逞しくなった左之さんは、加減を忘れているようだった。でも今はそれが嬉しい、左之さんも必死なんだと伝わってくるから。ふと顔を上げると、もう襖の向こうはただの押し入れに戻っていた。
「……左之さん、お久しぶりです」
「…ああ、そうだな」
お互いに落ち着くのを待ってから、1年ぶりの挨拶を交わす。不思議と気まずさは全くなく、一瞬であの頃に戻ったような感覚だった。
「何故、って聞いても構いませんか」
やっぱりこの襖が二つの時代を繋ぐ鍵だったのなら、あの時左之さんは自らこの扉を開けて帰っていったのだ。今もわたしを無視して向こうで生活する選択が出来たはずなのに、どうして?
「けじめをつけてきたんだ」
「…けじめ?」
「ああ、あの時代に生まれた俺の為すべきことを、終わらせてきた」
だからこれからは俺の夢を叶えるために残りの人生を使う。向けられた笑顔は優しくて、わたしを捕えて離さない。
「…じ、じゃあ、また一緒に暮らせるの?もう、…帰らなくても、いい、の?」
「ああ、ずっと一緒だ」
安心して思わず零れた涙を指で拭うと、わたしの肩を掴んで真剣な目で覗き込む。
「いつかお前の元に戻ったときにって決めてた…あの日の続きを言わせて欲しい」
「なまえ、愛してる」
左之さんはずるい。それは1年も前からずっと、わたしが言いたかった言葉なんだよ。
「……おかえりなさい!」
『けじめ、それから』