弱々しくも暖かな光がカーテンの隙間から差し込む、静かな朝。騒音の代わりに聴こえるのは小さなさえずりだけ。
だらしなく緩んだ顔でぐっすり眠りこけるわたしの耳に、機械的なアラーム音が響いた。

「………ふぁい、…みょうじで」
「あ、みょうじちゃん!早く来て!」

仕事関係の着信音だったので仕方なく通話ボタンを押すと、先輩の切羽詰まった声が頭に流れ込んできた。早く来て、と叫んでさっさと切れてしまった携帯を片手にしばらくぼーっとしていたが、ようやく脳が活動を開始して慌てふためいた。会社、行かなきゃ!何だかわからないが問題発生らしい。



「先輩!」
「おはようみょうじちゃん、朝っぱらからごめんね」

あれからバタバタと慌ただしく支度を終わらせて、やっぱり既に起きていた左之さんに一言声をかけて、大急ぎで会社に駆け付けた。

「何かあったんですか?」

4月に入社したばかりの新人のわたしとペアを組んでくれている先輩。真面目で気さくなとても良い人だ。

「ちょっとね…書類に不備があって、あちらさんから連絡来ちゃったのよ」

先輩が苦い顔で溜め息を吐く。人手が足りなかったの、ごめんねと謝る先輩に気にしないで下さいと答え、コピーをとったり切り貼りしたりと先輩を手伝った。
全部が終わったあとで、先輩は今度ランチ奢るね、と約束してくれた。やった、休み明けはB定食に決まり!



会社の前で先輩と別れ、すっかり日差しの高くなった空を見上げて呼吸をつく。もうお昼か、早く帰ってご飯作らないと。それから、朝はろくに会話もできなかったことを左之さんに謝ろう。…左之さん?

「あーっ!!」



朝大急ぎで駆け抜けた道を、今度は逆に向かって走る。今日は公園に行きましょうと約束していたのに、すっかり忘れていた。息を切らしてドアを開け、リビングへと縺れ込んだ。

「けほっ、…さ、のさん!」
「…おう、お帰りなまえ」
「ごめんなさい!わたし、昨日の約束すっかり忘れ…、」

立ち上がってわたしのほうへ足を踏み出した左之さん、でも何だか様子がおかしい。

「…左之さん?」

ふらついてる?危なっかしくて見ていられなくて、手を伸ばそうとした、そのとき。まるでスローモーションのように左之さんの体が崩れ落ちるのが見えた。

「左之さん!」

丁度そこにあったソファーに背を預け、呆然と床に座り込む左之さん。駆け寄ってみると、目元に色濃いくまが出来ていた。

「悪い、ちょっとふらついちまって」
「………………左之さん、もしかして寝てないんですか?」
「…………」

沈黙がわたしの質問を肯定する。

「ずっと、眠れなかったんですか?」

左之さんの目の前に座り込んで、縋るように手を伸ばす。何で、何も答えてくれないの?

「…そう、なんですね。ごめんなさい、わたし何も…気付かなくて…っ、」
「お、おい…」

左之さんの隣にいたのに、ずっと見ていたはずなのに。不安じゃないはずがないって、わかっていたのに!あのときは確かに寝息を聞いたのだ。でも…

「気を使って寝てるフリをしてくれていたんですね、」
「悪かった、騙すつもりじゃ」
「いいんです。わたしが、気付けなかったから…、もっと左之さんのこと理解してっ、わたし、不安だってわかって、…何も知らないで、隣でわたしだけ、…っ!」

ふわり、

睫毛から滑り落ちる涙でぐしゃぐしゃになった顔で筋の通らない言葉を乱暴に吐き出すわたしに、左之さんの逞しい両の腕がまわされた。それから唇に温かな体温を感じて、しばらくするとそれは離れていった。

「…そんなに泣くな」
「だ、って、」
「ごめん」

ごめんな、と呟いて自分の胸にわたしを引き寄せた。あったかい。目をつむってこっそり鼻先を埋めて思う。初めて嗅ぐ匂いなのに、すごく安心する。



どれくらいそうしていただろうか、不意に左之さんが口を開いた。

「眠れねえのはべつになまえを疑ってるとかじゃねえんだ、それはわかってくれるか?」
「……うん、」
「俺にとって、ここはわけのわからねえもんだらけだ」
「うん」
「それにここには俺の信念がねえ。前に話したっけな」
「…刀?」
「そうだ」

そこで黙り込み、背中にまわしていた手でわたしの頭を優しく撫でる。

「守りたいものを守れない自分が、嫌なんだ。………不安、なんだよ」

そっか、左之さんも混乱してるだけなんだ。もう、いいや。

「左之さん」
「…なまえ?」
「泣いたりして、すみませんでした」
「いや、」
「…寝ましょう?」

寝てください、と言うと、今まで見てきた楽しげな笑いとは違う至極柔らかい笑顔でああ、と答えた。



「なまえを、信じるよ」

その日、わたしは生まれて初めて誰かの温もりに包まれたまま眠った。そして今度こそ確かに左之さんの寝息を聞き、力強くゆっくりとした鼓動を感じたのだ。





『睡眠不足はお肌の大敵』




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