07


次の日、10時半頃に先に目が覚めた。

携帯に親からメッセージが何件も入っていたので、ベッドを抜け出て電話をかける。
母には完全にバレていて叱られたが、父には内緒にしておくと言ってくれた。

えりちゃんからは、親に電話いっちゃってバレたごめん!とメッセージがきていた。こちらこそご迷惑を…と謝罪の返信を送る。
今度詳しく聞かせろよな☆☆とすぐに明るい返事が返ってきて口元が綻んだ。



11時を回った頃、部屋で仁王の声がした。
仁王?と声を掛けると電話中だったようで、気怠そうに応対していた。


「すまん、幸村と真田にはうまいこと言っといてくれ」

「女の声?さー、丸井の幻聴じゃろ?」


どうやら電話の相手は丸井くんらしい。
あと30分くらいで行く、と言って仁王くんは通話を切った。


「なまえおはよ」
「おはよう。怒られたの?そういえば今日みんなで出掛けるみたいなこと言ってたよね」
「11時待ち合わせだったの忘れとった」


のそのそとベッドから出て、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して蓋を開ける。
そこらへんに落ちていたTシャツを拾い上げて袖を通しながら、仁王は洗面所へ向かった。


「親、怒られたか?」
「うん、ちょっとだけ」
「あーすまん。謝りにいく」
「いいよ、むしろこじれそうだもん。それに仁王、これ以上遅れたらやばいでしょ?」


歯を磨きながら、仁王がフッと笑う。
お前さんは物分かりが良すぎるぜよ、と言っているような気がした。


「もう出る用意したんか」
「うん、ある程度」
「すご」


口を濯いで、顔を軽く冷水で洗った仁王は、忘れ物がないかさっと部屋を一回りしてから玄関に向かった。


「仁王、鞄は?」
「無い。財布だけ」


先に仁王が靴を履き終える。私も履き終えて立ち上がると、仁王は一度じっと見つめてから両手を広げた。
ばふ、としがみつくと、背中に腕が回されて頭を撫でられる。

自分と同じボディーソープの香りがした。


「朝帰りデビュー、じゃ」


ホテルを出るとき、不意に手を繋がれた。
にやりと笑う仁王はまだどこか危うげで、握られた手に力を込めた。


「あ、ホテル代私払ってない」
「ええよ。こーゆーのは男が払うもんじゃって、柳生が言っとった」
「やめて、ちょっとそれっぽいけど柳生くんがそんなこと言うわけない」
「いやいやわからんよ、柳生だって男じゃし?」
「仁王じゃあるまいし絶対にない」
「どーゆー意味」


結局、駅に着くまで手を繋いでいた。

駅で別れるとき、じゃあな、とラブホの受付に山ほど置いてあった小さい飴をくれた。いらないんですけどと笑うと、手品のようにさらにもう一個出して見せ、それも手渡してきた。

悪戯っぽく笑いながら、仁王は東海道線上りのホームの階段を上がって行った。




それから新学期に入って、毎日のように来ていた連絡はぱったりと途絶えた。連絡が来ないので、日曜日に会うこともなくなった。
そういえば、夏の間に仁王と毎週会っていた頃は、毎度向こうから誘いがきていたな、と思い出す。
時折、意味不明なスタンプが一つだけ送られてきて、それに返したり返さなかったりしていた。


それでも、火曜日のあの時間、あの場所で、仁王と必ずすれ違う。

これまでは毎回必ず視線を合わせていたけれど、我ながら些細な抵抗で、たまに友人とのお喋りに夢中になって気がつかないふりをしたりしていた。
それでも、すれ違ったあとには一歩下がって後ろを確認してしまう私は馬鹿だ。



10月に入った頃、仁王から2週間ぶりにメッセージが来ていた。

"今日の4限、サボらん?"。

今日は火曜日、つまり4限は選択科目の美術だ。
仁王は、真面目な私でも美術なら1回くらいサボれると踏んで連絡してきている。

"いいよ"と送るとすぐに、"シャボン玉ある"と返ってくる。"高校生にもなって授業サボってシャボン玉するの?"と送ると、意味不明なスタンプが返ってきた。

友人たちには保健室に行くと伝え、教室を出て屋上へと続く階段を登る。


「おー、なまえ。久しぶりじゃの」


例の日陰に腰をおろした仁王は、シャボン玉をふたつ握りしめていた。ひとつ差し出してくるので、受け取って隣に腰掛ける。


「久しぶり。なんか、前来た時も久しぶりって話した気する」
「そーじゃったな」


でも前のときは約2年ぶり、今は2ヶ月空いたことに対する"久しぶり"だ。この数ヶ月は、私のすかすかな学生生活においてはあまりに濃すぎた。

仁王が吹いたシャボン玉が、風に煽られて真横の私の制服に弾かれて消える。真似をしてシャボン玉を吹いてみると、風がそこそこあるせいか思ったよりも速く流れて消えてしまった。

今日はシャボン玉を吹くのにあまり向いていない。


「どうしてた、ここんとこ」
「どうって、特に何もしてないよ。仁王と違って部活が忙しいわけでもないし…」
「そーか」
「…あ、そういえば料理クラブにめでたく新入部員が入ってくれたんだけど、『普通こういう部活ってお菓子とか作るんじゃないんですか?なんで焼きそばなんですか?』って言われたよ」
「焼きそばはなまえちゃんチョイスじゃろ、絶対」
「え、なんでわかるの?」


よかった。私たち普通に喋れてる。
綺麗に流れていくわけでもないのに、仁王はまだシャボン玉を吹いていた。
仁王はどうしてたの?とは聞かなかった。


「お前さん、大学はこのまま立海に進む予定か?」
「うん、今のところ」
「ん。なら良い」


なら良い、って?
仁王は?と尋ねると、彼は「んー」と肩をすくめる。


「どうかの」
「またそうやってはぐらかす」
「そういう性格なんじゃ」


仁王はそう言って笑って、あやすように私の頭を撫でた。大きな手のひらの温もりが心地よくて、何を言うでもなくただ目を閉じて堪能していた。


「あのな、俺来週から留学する」


頭を撫でられながら、まるで何でもないことのように言われたそれは矢のように心臓に刺さった。

え?と返すと、仁王は私の頭を撫でる手を止めた。


「なん、で?」
「まあ、今のうちに行っとくのもありかと思って」
「留学って、どのくらい?」
「それは決めとらん」


それって、そのまま向こうの大学に行く可能性もあるってことなんじゃないの?

黙り込んだ私の肩を仁王が寄せる。胸の中に収まる形になって、仁王の顔が見えなくなった。


「お前さんたまにメッセージ無視するじゃろ」
「…そっちが意味わかんないスタンプ送ってくるからじゃん」
「向こう行ったら、無視しても良いけど既読はつけてほしいぜよ。あーなまえが生きとる、って思いたい」


何勝手なこと言ってるの。
ぎゅっと抱きつくと、仁王は私の頭にキスをした。

やっぱり、こんなやつ好きになるんじゃなかった。あのとき、数学の宿題なんて学校に取りに行くんじゃなかった。

私、どこかで何か間違えた?
今ここで縋れば良いのだろうか。縋ったら、仁王はずっとここにいてくれる?


「…わかった、じゃあ既読はつけるね」
「おー頼むぜよ」
「仁王」
「ん?」
「テニス、好き?」
「何じゃ突然」


仁王は薄く笑いながらも少し呆れたような表情で、だけど確実に「ああ」と呟いた。

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