04
ついこの間中間考査が終わったというのに、もう期末考査が近づいている。
世の高2の夏は天王山とか言うが、その点立海はエスカレーター式の大学附属で良かったと思う。
仁王の部活のオフに合わせて、うちで課題をやることになった。
男の子をうちに連れてきたことはもちろん無い。母は娘のそういうことに特に興味津々でうるさいので、わざと親の留守を狙って仁王を呼んだ。
「おじゃまします」
「どうぞ」
「綺麗な家やの」
仁王は靴を脱ぎながら、玄関を見回す。
そういえばお父さんが建築関係の仕事だとこないだ言っていた。仁王自身も興味があるのだろうか。
「えらい静か」
「親出掛けてるから」
「……へー」
何の間だ?
これ手土産、と差し出してきた紙袋の中身を覗くと、可愛くて美味しそうなフルーツサンドが入っていた。
「え!何このおしゃれな食べ物は」
「湘南ゴールドだか何だかのサンドイッチ。姉貴が持ってけって」
お姉さんのセンスに脱帽である。
待てよ、ということは、女の子の家に行くということをお姉さんに伝えたのだろうか。それは意外かも。
中3以来ほとんど喋っていない男の人を、こうして自分の家に上げているのは不思議な気分だ。
仁王が言っていた音楽の課題とやらは確かにやや面倒で、授業をサボりまくっているだろう彼には間違いなく解けないような内容だった。
私が手を動かしている間、仁王は物理の課題をこなしていた。少し覗いたが、文系選択の私には到底理解出来そうもないようなものだ。
「うわーよくそんなの出来るね」
「物理は嫌いじゃないからのう」
「すごいなあ」
最初は教科書の問題を見ていたはずなのに、途中から思わず問題を解く仁王に視線が移る。
中学のときよりも、ほんの少しだけ日焼けした気がする。いやに睫毛が長く、扇形に整ったそれは女の私から見ても羨ましい。
ほどなくして、見つめられていることに気がついた仁王が顔を上げた。
「なん?」
「いや、睫毛長いなーと思って」
「そうか?みょうじの方が長いじゃろ」
「え、そう?絶対そんなことないよ」
「…あ、」
何かに気がついた仁王が、シャープペンをノートの上に置いた。
私の顔をじっと見つめている。
「睫毛に何かついとる」
「えっ?何だろ」
「あー待て待て、そんな動かれたら取れん」
そう言って、仁王は私の頬に手を置く。
そんなベタな展開、と突っ込むよりも前に、この状況に耐えられず思わず体を硬直させてしまう。
あ、いけない。
たぶん今、女の顔をしてしまった。
「…あー、やりすぎた」
仁王は戸惑った顔で手を引っ込めた。
あの仁王が照れてる。
それに気がついた私の顔は、きっと今赤く火照っているのだろう。
「そ、そうだよね?!今のは仁王が悪い!」
「すまん」
「素直に謝んないでそこで」
「難しいこと言うのう」
「あっ、えーと私!お茶持ってくる。また麦茶でいい?」
空気に耐えられず立ち上がって部屋を出ようとすると、不意に仁王の手が伸びてきて、私の手首をぐっと掴んだ。
引っ張られて、仁王の横に座り込む。
「でもそもそもは、お前さんが悪い」
そうして重なった唇は、ちょっとひんやりしていた。
さっき仁王が、麦茶に入っていた氷を食べていたからだろう。
どうすればいいかわからなくて固まる私をよそに、仁王は角度を変え、二度、三度とキスをする。
「唇、あつ」
「…仁王が冷たいんだよ」
キスを受け入れながら、体が後ろに倒されるのを感じていた。
これはもしかしてそういうことなんだろうか。家にふたりきりだと知ったときの、妙な間も。
私だって、全く考えていなかったわけじゃない。
でもだからといって、意識しすぎるのも自意識過剰な気がして…なんて、これぞ思春期って感じでそれもそれで恥ずかしい。
覚悟を決めた矢先、唇を離した仁王がすぐ目の前で笑った。
「そういえば、条件決めてなかったじゃろ。どうする?」
「条件って?」
「課題。手伝うの条件つきかもよ、って言ってた」
「私の声真似しないでくれる!」
「で、どうする?」
互いのおでこを合わせながら尋ねられる。
少し考えてから、「え、えっち…?」と答えると、仁王は2年前みたいに一瞬目を丸くしてから声を出して笑った。
「それは条件にならん」
「…どうせこの後するから?」
「そ」
なんてずるいやつだ。
みんな何でこんな奴を好きになるんだ。自分も含めて。
「わ、私が断るかもしれないじゃん」
「おーそうじゃな。無理矢理の趣味はないぜよ」
「…仁王は何がいいの」
「俺が言ったら条件にならんじゃろ」
「そっか」
なぜこのタイミングで仁王が条件のことを言い出したのか。何となく察することはできる。
でももしそれが私の勘違いだったら。
そう思うと勇気が出ない。
「……保留希望です」
「しゃーない。待っててやるぜよ」
この続きはどうする?
そう尋ねてきた仁王に憎らしさと愛しさが込み上げてくる。
悔しくて、自分からキスをした。
仁王のセックスは、甘すぎて心配になるほどだった。
挿入の瞬間の仁王の切羽詰まった顔を見たら、なぜか意図せず涙が出た。泣いている私に気がついた仁王は、小さく「痛い?」と尋ねる。
別にそんなに痛くはなかった。首を横に振るが、私が無理をしていると思ったのか、仁王は息を吐いてしばらくそのままでいてくれた。
その後も仁王は、まるで大事なものを扱うかのように私の体に触れた。
反則だ。
こんな人だったなんて聞いてない。
「あー緊張した、なまえちゃんには責任取ってほしいぜよ」
終わった後、あの仁王が童貞みたいなことを言っていてちょっと笑えた。緊張って、仁王が?と言おうとしたが、耳がちょっとだけ赤い。
もしかして、本当に少しは緊張してたのかな。そう思ったけれど、口にはしないでおいた。
「なまえちゃんとキスするの好き」
もう一度キスをした後にそんな言葉を囁いて、私の唇を親指でなぞる仁王を瞳に映しながら、これはまずいと思った。
たぶんもう、私は仁王から離れられない。
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