03


こうして見事に、私は仁王雅治という男に落ちてしまった。多少なりともチョロいという自覚はある。

とはいえ、それ以降特に何かあるわけでもなく、さらには自分で何かを起こそうとする気概も無くて、私はとにかく平々凡々な日々を過ごしていた。


高等部に上がると、仁王とはクラスも分かれてしまった。
部活と言っても料理部にたまに顔を出す程度の私の日常は、高校生になったってほとんど変わらない。

放課後に友だちと遊んだり、友だちに誘われてノリで海原祭委員になってみたり、たまにこっそり短期でバイトをしたりと、日々ゆるくも充実していた。



高1の秋頃、ここしばらくフリーだった元3Bのアイドル、いや立海のアイドル丸井くんに、後輩の彼女が出来たらしいという噂を聞いた。

丸井くんがそんな感じなら仁王はどうなのかなと、ひとまず丸井くんの話を詳しく聞こうとしたら、周囲から「何故突然丸井くんのことを気にするのか」と詰め寄られた。
事態をややこしくしたくなくて、それ以上は探れなくなってしまったけれど、今思えば、仁王のそんな情報をもし彼女らが入手していたとしたら、こちらから聞かずともヘビー級のゴシップとして喋ってくれていたに違いない。



そして高2になった今でも、相変わらず凪のような日常を満喫してしまっている。

友人たちは、彼氏がいたりいなかったりまちまちだが、やっぱり恋バナの類は中等部のときよりも増えた。それでも、自分にはもはや恋なんてものは関係ないように思えた。
仁王への想いも、彼との関わりが薄すぎるせいなのか、それとも単に自分が傷つきたくないからなのか、ほとんど風化させてしまっていた。



けれど、ある日気がついてしまったのだ。

火曜日の3限のあと、移動教室のときに必ず渡り廊下で仁王とすれ違うこと。
そして、私が視線をやると仁王も必ずこちらを見ていること。

もちろんそれ以上のことは何もなかった。
こっち側には友人たちがいるし、そもそも私と仁王は特に話すこともないし、当然といえば当然だ。
けれど私には、その時間が大切だった。




前期中間考査が終わり、6月に入った頃、隣のクラスの男の子に告白された。

立海で告白スポットといえば、たいてい中庭の大きな桜の木の下と決まっているが、彼に指定されたのは屋上だった。
うちの屋上って開放されてるんだっけ?と思ったけれど、水曜日だけ開放されているんだと彼は教えてくれた。

海原祭委員で一緒だったらしいが、正直あんまり覚えていない。率直にそれを伝えて断ると、彼は苦笑いして、そういうところが好きだった、と言った。
罪悪感でぎこちなく微笑むことしかできないでいると、先に戻る、と彼が屋上を出て行った。


めったに来られない場所なのだから、しばらく楽しむことにしよう。
日陰を探していると、どこからかシャボン玉が流れてきた。


給水塔の裏を覗くと、そこには仁王がいた。


「仁王、なんでいるの?」
「俺は常連じゃき。ゲストはお前さんのほう」
「そっか。常連って、毎週水曜日いるの?」
「水曜じゃない日もいたりいなかったり」


だって、さっき鈴木くんは水曜しか空いてないって言ってたよ。
仁王の横に腰掛ける。今日は6月なのに、意外と風が涼しくて快適だ。


「なんかすごく久しぶりだね、話すの」
「またいつでも数学の問題集解いちゃるよ、条件つきで」
「私だってまたいつでも音楽のプリントやってあげるよ、条件つきで」
「はは」


仁王がシャボン玉を吹く。

中3のときもこんな感じだったな、と思った。
どうやら根本はあまり変わっていないらしい。なんだか少しだけ、人間味が増したような気もする。

見た目は、一層かっこよくなった。


「シャボン玉いいなあ、ちょっとやらせて」
「ダメ」
「なんでよ」
「これは俺にしか吹けんやつだから」


人間味、増してないかも。意味不明なのは変わらないかも。


「それにしても、屋上で告白なんてベタじゃの。鈴木はロマンチストじゃな」
「えっ」


どうやらさっきのは聞かれていたらしい。


「鈴木くん、仁王の知り合い?」
「今同じクラス」
「あーそうなんだ」


仁王のクラスは知ってた。鈴木くんのは知らなかったけど。


「ふーん、みょうじはモテるんじゃな」
「別にモテないよ」
「ほーん」


これまた興味があるのかないのかわからない返しだった。仁王はまだシャボン玉を吹いている。


「そういえば去年、仁王が桜の木の下で女の子に告られてたらしいっていう噂が駆け巡ったよね」
「プリ」


プリって何?


「今日は風が気持ちいいのー」
「あ、話逸らした」
「ピヨ」


もう突っ込まないぞ。
仁王の横に座って、体育座りをする。


「それはそうと、お前さんと喋ることがあったら言おうと思ってたことある」
「うん、何?」
「出来ないんじゃけど。音楽の課題が」
「…うん?」
「美術よりは楽かと思って、選択授業音楽にした。でもそんなことなかった」
「意外とバカだね、仁王って」
「失礼なヤツ」


体をずりっと左に傾けた仁王の全体重が、私の右半身にかかる。

あーあ、また彼はこういうことを平気でします。


「あの、重いのですが」
「高校音楽の分際で課題とかあるし。適当に歌うだけで良いって聞いてたんに」
「確か、前の音楽の先生が産休入っちゃったんだっけ?」
「そ。新しい奴は頭堅くて不評ぜよ」
「それはかわいそう」
「そこでじゃ。みょうじが手伝ってくれんかなーと思って」


余計に意識しすぎないようにと、ローファーの汚れ取りに専念していた私は、仁王のその言葉に顔を上げた。

こんなに至近距離だというのに、仁王はいつも廊下ですれ違うときと同じように視線を合わせてくる。


「…条件つきかもよ」
「ええよ」
「数学手伝うくらいじゃ済まないかもよ?」
「それでもええよ」


それを聞いたバカな私は眉根をひそめて、いいよ、とふてぶてしい表情で頷いた。


その日、初めて仁王と連絡先を交換した。

携帯に表示された"仁王雅治"の文字を見て、もう後戻りできなさそうだな、とぼんやり思った。

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