02


立海の正門を出て駅とは反対方向に進み、更に路地を一本入ったところにある小ぢんまりとしたカフェ。
ここなら、立海の中等部生はなかなか来ることもないだろうと選んだ。

私たち以外に客はいないし仁王は大きなラケットバッグを持っていたので、広めの4人がけの席に腰をおろす。


「そういえば、まだテニス部部活してなかった?サボり?」
「3年は早めに上がったんじゃ。残ってるのは1.2年」


よく知りもしないくせに、サボり?などと、とてつもなく失礼な質問をしたにも関わらず、仁王は眉ひとつ動かさずに注文したアイスコーヒーを啜る。


「すごいんだね、テニス部。夏休み最終日にまで練習って」
「ま、例年3年はオフじゃけど、今年はな」


その一言を聞いて、テニス部が今年全国優勝を逃してしまったと友人から聞いたのを思い出した。
もしや地雷を踏んでしまったのではと顔色を窺うが、仁王は何食わぬ顔で問題集を開いていた。


「音楽、得意なんか?」
「得意っていうか、昔ピアノやってたから楽譜は読めるの」
「ほー」


聞いておいて全然興味無さそうじゃん。
仁王はスラスラと、私の数学の問題集の空欄を埋めていく。


「え、解くの早くない?」
「何となく答え覚えてる」


いややばすぎない?と脳内でひとりごちて、自分も仁王を見習って音楽のプリントに専念することにした。



16分音符の記号をプリントに書き込みながら、一体どういう運命の巡り合わせだろう、と考えていた。

仁王は陰でめちゃくちゃモテる。いや、最近はもはや陰でも無い。
そんな人と、昨日までほとんど喋ったこともなかったというのに、今こうして同じ一つの机で向き合って互いの宿題をやっている。

突如、B組の女子たちの顔が脳裏をよぎった。妙な罪悪感だ。こんなことバレたら只じゃすまない気がする。



さっさか問題を解いていく仁王の手元を見て、あ、と小さく声を上げた。
仁王は動きを止めて、視線だけこちらに寄越した。


「筆跡、全然ちがうよね。もうちょい薄く書いた方がいい?」
「…大丈夫じゃろ、別に」
「いや、こうなったからには最大限努力する。それっぽく合わせるからちょっと見せて」


席を立って仁王の横に座る。部活終わりだからか、ほのかに制汗剤の匂いがした。
仁王の字は、筆圧が弱めでやや右上がりの字だった。


「みょうじは律儀じゃな」
「そう?」
「そっちが俺の筆跡に寄せても、俺がそっちに寄せるとは限らんのに」


なかなか意地悪なことを言うんだな。


「まーでもそれはそれで仕方ない。あんまりにも違ったら、帰ってからそれっぽく書き直せばいいし!」


私のその言葉に、仁王は一瞬だけ少し驚いたような顔をした。ふ、と鼻で笑って、シャープペンを握り直す。


「…仕方ないのう」


仁王は私の手元をちらっと見て、また目の前の問題集に向き直す。
こんなもんじゃろ、と見せられた字は、私の字そのものだった。


「え?!魔法?」
「魔法」
「えっ、どういうこと?ていうか私も超頑張んなきゃいけなくなったじゃん!」


今まで以上に慎重にシャープペンを動かす様子がおかしかったのか、仁王はそんな私を見てまた笑った。




それから1時間半くらいが経ち、何とかお互いの宿題を終えた。音楽はまだしも、数学をこんな短時間で終わらせられたのは仁王の暗記力のおかげに他ならない。
そのあともダラダラと喋っていたら、日は落ちてすっかり外が暗くなっていた。

お会計のときに小銭が無くてどうしたものかと考えていたら、仁王がさっとお札を出してくれた。


「ごめん今小銭無くて、えーと、明日返すね」
「別にええよ」
「いや返すよ!」


そう答えると、仁王は「バカ真面目」と呟いた。


じゃあここで、と自転車に手をかけると、Tシャツの袖を掴まれる。どうやら送ってくれようとしているらしい。

仁王くんこそバカ真面目じゃん、と返すと、紳士と言ってほしいナリ、と言われた。
ナリって何?




結局、自転車を二人乗りして家まで送ってもらうことになった。

ペダルを踏む仁王に、重くない?と聞くと、間髪入れずに重いと返ってきたので、思わず背中をバシッと叩く。

その反動で私の体がぐらついて、それをいち早く察知した仁王がペダルを漕ぐ足を止めた。


「お前さん…」
「ご、ごめん」
「危なっかしいからこうやって捕まっといてくれん?」


振り返り、私の手を掴んで自分の体に回した。

…うわあ、この人。

気怠げで全く掴めない仁王雅治という男が、女子に人気な理由が今、めちゃくちゃわかった。


しばらくして、私の家が見えてきた。
そこ私の家、と指差すと自転車は止まった。仁王が自転車から降りる。カゴに入れていた自分の鞄と私の鞄を取って、私のを差し出してきた。


「じゃーまた明日」
「うん。仁王くん、今日はほんとにありがとう」
「こっちこそ助かった。あと、仁王でええ」


仁王はひらひらと手を振り、鞄を脇に抱えて歩き出す。

ひょこひょこ動く尻尾みたいな銀色の髪の毛を、私はしばらく見つめていた。





次の日、登校すると仁王は朝から教室の机に突っ伏していた。

昨日のカフェ代を返したくて、時折様子を伺っていたけれど、なかなか良いタイミングが見計れずに、気がつけばその日は終わった。

その次の日は、なぜか仁王はほとんど教室におらず、やっぱり返し損ねた。
そのまた翌日は、やっと返せると思ったのに今度はなんと私が財布を忘れてしまった。


そんなこんなで、一週間が経ってしまった。


もはや面倒になってきてしまって、別に直接返さなくてもいいのではと、セロハンテープに500円玉を貼りつけて仁王の机にくっつけておいた。一応テープには小さく、"ありがとうございました"と書いておいた。



朝練で始業ギリギリにやって来た仁王は、ラケットバッグを肩からおろすと、なんとも気怠そうに席についた。

前の席の男子が振り返って、仁王に適当に挨拶をする。同時に500円玉に気が付いた仁王は、セロハンテープをかりかりと爪でひっかいた。


「仁王、それお布施?神社的な?」


仁王の隣の男子も、なになに?と机を覗く。

あ、むしろ目立っちゃったかもしれない。
若干いたたまれない気持ちでいると、仁王はぺりぺりとテープを剥がして、廊下側の席の私をチラッと見た。


「いーじゃろ、ご利益あるぜよ」


うっすら笑って、胸ポケットに500円玉をしまった。
仁王の笑った顔が先週のあの日とかぶって、何となく気まずくなって俯いた。

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