19


卒業式当日は、見事な晴天だった。
中庭の桜の木が見頃を迎えていて、卒業証書を持った生徒たちが各々写真を撮っている。

桜の木にカメラを向け、シャッターボタンを押す。
数枚撮った最後の一枚に、突如友人の真剣な顔が映った。


「びっくりした!」
「なまえ氏、一生のお願いがある」
「一生のお願いって言われるのもう何回目って感じなんだけど」


そんな私の返答を無視して、友人はいつになくかしこまった様子で口を開いた。


「どーーーしても、高校生活最後に幸村様と写真を撮りたいです!」
「ほう……」
「あの仁王雅治の彼女であるなまえ氏なら、何とかしてくれるんじゃないかと思って」
「えっ、いや無理だよ!?」


幸村くんとは全く面識が無いし!
そう主張するも、友人は私の両手を取って「そこをなんとか!」と訴えてくる。そんな必死に懇願されても…。

男子テニス部は、いま正門近くで集まっているらしい。さっきから女の子たちがヒソヒソ話しているのが聞こえてくる。
とりあえず行こ!ね!と友人に引っ張られ、あっという間に正門近くまでやって来てしまった。

卒業証書を小脇に抱え、ポケットに手を突っ込んで立っている仁王の姿が見える。テニス部は集合写真を撮り終わり、今は各々歓談をしているようだった。
…とは言っても。


「いや…無理だよこの空気、話しかけられないよ…」
「何弱気になってんの!彼女だろ」
「TPOがあるでしょって!」
「自信持ちなって!そんで幸村様にお願いしてほしい!」
「二重で無理だってば!」


小声とはいえ、程近い場所でギャーギャー言っていたせいで一番外側にいた男の子が振り向いた。
しまった、と瞬時に口をつぐんだがもう遅い。彼は目を見開いて私を指さす。


「あーっ!アンタ、噂の仁王先輩の彼女っスよねえ?!」


1つ下の学年の切原くんだ。
彼が大きな声を上げたことで、複数人の視線を集めてしまった。目立ちたくなかったのに、恥ずかしい。


「ちーっす!あ、俺、現テニス部部長の切原赤也っつーんスけど」
「あ、存じております…」


よくうちの学年の教室にも来ていたし、真田くんが追いかけ回していたし、立海にいて彼のことを知らないはずがない。


「仁王先輩ー、カノジョ来てるッスよー!」


ああ、こんなに目立つはずじゃなかったのに。
思ってもみない展開に頭を抱える私と、その後ろに隠れて様子を伺っている友人。そんな私たちの様子を意にも介さず、切原くんは続ける。


「つーか先輩たちって、いつから付き合ってんスか?仁王先輩ってまあかっこいいけど、超わかりにくいしぶっちゃけ変人じゃないスか。どこが良いんスか?てかあの仁王先輩が、彼女の前だとどーなるのかめっちゃ気にな…あ痛ッ!」
「赤也、そこまでにしんしゃい」


喋り続ける切原くんの頭を、仁王が背後からチョップする。切原くん、噂通り嵐のような子である。


「どうしたんじゃ、なまえちゃん。俺と写真を撮りに来たんなら順番待ちじゃき、そこに並びんしゃい」
「違います!」
「素直じゃないのー」


順番待ちなどと仁王は冗談っぽく言うけれど、正直まったく冗談に聞こえない。
照れゆえにいつもよりも不貞ぶてしい私の態度にひとしきり笑った仁王は、んで?と私の背後に隠れる友人を覗き込んだ。


「こ、こんにちは…なまえの友達です…」
「こんにちは」


勘のいい仁王にはすべてお見通しらしい。


「幸村、お客さんじゃ」
「俺?」


少し遠くにいた幸村くんが、きょとんとした顔でこちらに近づいて来る。
こうなったらなるようになれ、だ。緊張でさらに凍りつく友人の腕を掴んで、隣に立たせる。


「あれ君、仁王の…」
「あっ幸村くんはじめまして…わたくしみょうじなまえと申します」
「やあ、知っているよ。みょうじさんには俺たちすごく感謝していてね。君のおかげで仁王はこっちに戻ってきたと聞いてるから」


幸村くんに微笑まれる。
さすがは立海の貴公子…ごめん友よ、私はあまり彼の前に長くは居続けられないよ。
事情を説明すると、幸村くんはやや面食らいながらも快く承諾してくれた。こういうときに無碍に断ったりしないのが、幸村くんの人気の所以だ。

いまだガチガチの友人と幸村くんがツーショットを撮っているのを少し離れた場所で眺めながら、仁王は私の耳元に口を寄せて囁く。


「せっかくじゃ、俺たちも撮っておくかの」
「……いいの?」
「もちろん。大歓迎じゃ」


仁王がインカメラを起動してこちらに向ける。画面に映る自分と仁王のツーショットを見たら、変に意識してしまって顔が引き攣った。


「なまえちゃん、もっとこっち」
「むり……」
「半年彼女やっててまだ慣れんのか」


だってこんなふうに近づいて写真撮ることなんて無いんだもん…!
仁王はぐいっと私の肩を寄せる。それを見ていたらしい切原くんが「うわっ仁王先輩…」と声を上げた。

カシャ、とシャッターの音がして、やっと肩の荷が降りた思いがする。そんなふうに安心していたら、再びシャッターの音が聞こえた。


「あっ!撮った?!」
「油断大敵ナリ」


絶対間抜けな顔になっていたに違いない。
消して!と仁王と攻防戦を繰り広げている後ろで、切原くんと柳生くんの声が聞こえてくる。


「柳生先輩、仁王先輩ってあんなんでしたっけ…?」
「そう言ってあげては可哀想ですよ、切原くん。彼は嬉しくて仕方がないのです、やっとのことで付き合えたのですから」
「おい柳生、赤也に余計なこと言うもんじゃないぜよ」
「おや、それはすみません」
「マジですごいっスね、みょうじ先輩何モンっスか?」


攻防戦を続けているさなか、ざわりとぬるい風が吹いた。桜の花びらがふわりと舞って、風に乗って流れてくる。
仁王の銀色の髪の毛に、花びらがくっついた。


「あは、仁王めっちゃ桜ついてる!」
「春仕様じゃ」
「なんか可愛い」


からかったつもりが、突如仁王の手が伸びてきて私の髪に触れた。なまえちゃんも、と囁かれて、かぁっと顔に熱が集中するのを感じる。


「おい、何イチャついてんだよお前ら」


卒業証書を肩に預けた丸井くんが話しかけてきた。その表情は渋く、呆れた様子で眉根を顰めている。


「赤也が引くって相当だぜ」
「プリ」
「ごめんなさい……って丸井くん、そのブレザー、」


丸井くんのブレザーはボタンがほとんど無くなっていた。カフスボタンすら無い事実に唖然とする。
私の視線に気がついた丸井くんは、ああ、と苦笑いした。


「なんか気づいたらこーなって…テロかと思ったぜ」
「丸井は躱すのが下手くそすぎぜよ」
「女の子ってこえーわ」
「まあ最後だもんね、みんな必死になるよね…」


かろうじて第二ボタンだけ残っているようで、それは?と尋ねる。


「ん、まー何となく取っといただけ。つってもどうすることも無いんだけどよ」


みょうじいる?とあっけらかんと言い放つ丸井くんに、仁王は目を細めて笑う。


「ええのう。じゃあ丸井、ひとまず俺に渡しんしゃい。魔法かけてからなまえちゃんに渡してやるきに」
「は?やだよお前絶対みょうじに渡さないじゃん」
「ちゃーんと渡すぜよ、たぶん」
「ハイハイわかったよ、冗談だろぃ」


面倒くせー奴に好かれて大変だなーみょうじも、と続ける丸井くんに苦笑いした。


「じゃな、みょうじ。大学でもシクヨロ」
「うん!学部棟近いし、これからもよろしくね!」


丸井くんに手を振っていたら、仁王が後ろから私のブレザーの裾を引っ張った。なに?と振り返ると、なんも、と答える仁王。
何もないことはないでしょう。


「仁王のボタンはフルであるね」
「欲しいんならあげるナリ」
「ほんと?じゃあぜーんぶください」
「強欲な子じゃ」
「冗談だよ」


第二ボタンは欲しいけど、なんてひっそりと思っていたら、仁王が掌を差し出してきた。


「……冗談だって言ったのに」
「欲しいって顔に書いてあったき」


やっぱり仁王には勝てない。


「仁王」
「ん?」
「卒業おめでとう」
「ん、なまえちゃんもおめでとう」
「うん。それで、その……これからも彼女として、どうぞよろしくお願いします」


大好きです。
限りなく小さな声でそう付け加えてお辞儀をすると、仁王は一瞬目を丸くしてから柔らかく笑った。


「…敵わんのう」


春の陽気のせいかもしれない。
こちらこそと笑う仁王は、これまで見た中で一番優しい顔をしていた。

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