01


毎週火曜日の4限目の授業は、美術だった。

午後になって日が傾き始めた時間だ。やる気など起きるはずもない。そもそも選択科目なんていうものは、高2にもなるとやる気を出して取り組むものではないように思う。

それでも、美術の授業は嫌いじゃなかった。
なぜなら…。



美術室へと移動する10分間の休み時間。友人たちと何気ない会話をしながら渡り廊下を歩く。

前からやってきた銀色の髪が目に入って、教科書を持つ手に少しだけ力がこもるのを感じた。
今週も、この瞬間がやってくる。

すれ違う瞬間、ほんの一瞬だけ視線が交わる。
そこに会話はない。時間にしたら2秒…いや2秒ですらないと思う。

これが私と仁王の、かれこれ半年ほど続いている週に一度のイベントだ。イベントと呼ぶのも怪しいくらいのことに、毎度緊張している自分が笑える。


仁王は3限、音楽だったはずなのに。またサボったの?

そんなことをわざわざ喋るほどの間柄ではない。けれど、彼とすれ違う時だけ、友人たちの話し声が耳に届いてこないということは自覚している。




* * * *



仁王とは、中3の時に一度だけ、同じクラスになったことがある。

その時もたいして話した記憶はない。けれど一日だけ、あの日のことだけは今でも鮮明に思い出せる。


夏休み最後の日、宿題を粗方終わらせたと思っていた私は、自宅で鞄を漁りながら数学の問題集が手元にないことに気がついた。

なんで今の今まで気がつかなかったのか、あろうことか数学の提出日は明日なのに。
そんなわけで、自転車に飛び乗って学校まで取りに来たというわけだ。



案の定、机の中に残されていたそれを回収して一息ついた。

日はすでに傾き切っていて、西日が教室の窓から差し込んでいる。
最終日ということもあってか、グラウンドは人気がない。それでも何やら声が聞こえるのは、テニスコートのほうからだろうか。

鍵のかかっていた窓を全開にすると、ボールの打球音と部員たちの掛け声が聞こえてきた。
最終日まで部活してるなんて、さすがは全国一なだけある。
しかし風の噂で、テニス部は今年全国優勝を逃してしまったらしいと聞いた。私には、優勝も準優勝もどちらも変わらずすごいことに思えるけれど、友人いわくそれは、"物凄いこと"らしかった。


真っ赤な夕日に照らされた校舎に一人だけ。

なかなか味わうことのないであろうこのシチュエーションは悪くない。ボールを打つ音もリズミカルで心地良かった。

宿題の存在などすっかり忘れ、窓側の適当な机の上に座ってしばらく外をぼんやり眺めていた。



そうして5分くらい経ったころ、突如教室の扉が音を立てて開いた。

先生に見つかったかな、と思い視線をやると、そこには同じクラスの仁王雅治が立っていた。
私服の私と違い、彼は制服を着ている。

同じクラスにも関わらず、仁王とは一度もちゃんと会話をしたことがない。
がっちり視線が合ってしまって、思わず会釈する。仁王も、そんな私につられてか小さく会釈をした。


「えーっと、忘れ物?」


気まずさに耐えられずに口を突いて出た。
仁王は「おー」とだけ答えた。うわ、全然うまいこと続かない。

そっか、と答えてからちょっと後悔した。そっか、て。もうちょい何かあっただろ。


「あー、えーと、みょうじさん?」
「っはい!」


突然名前を呼ばれたものだから、勢いよく返事をしてしまった。
仁王って私の名前知ってるんだ。いつも教室で寝てるかそもそもいないから、いちクラスメイトの名前を把握してるなんて意外だった。まあ、すごい絞り出した感はあったけど。
私の反応を見て目を丸くしたのち、仁王はフッと笑った。


「そこ、俺の席」
「え」


仁王が指差したのはまさしく私が腰掛けている机だった。偶然とはいえ、めちゃくちゃ気まずい。


「ご、ごめん!まったく考えてなくて、その」
「ええよ。机の中のモン取るだけじゃき、引き続きどーぞ」
「いやいや!ほんともう大丈夫!私帰るし!」


変に慌てふためく私を見て、仁王はさっきよりも口角をあげて笑った。


「だいじょーぶ、誰もいない教室でみょうじさんが俺の机にスリスリしとったって、別に誰にも言わんよ」
「えっちょっとやめて?!スリスリしてないし!ちょうどこの席が窓の外見やすかったってだけで!」
「ムキになるところが怪しいのう」
「ムキになってない!!」


ニヤニヤしながら自分の机の中から何やら白い紙の束を取り出した仁王は、私が握りしめている問題集を一瞥した。

それ、と指差す。


「取りに来たんか?」
「あ、うん。今日まですっかりこれの存在忘れてて…」
「確か、数学の提出は明日だったか」
「そうなんだよー…だから今から帰って徹夜かな…」


いや徹夜で終わんのかな…。


「そういう仁王くんは?それ音楽のプリント?」
「そ。みょうじさんと似たような感じ」


クリップで留められた白いプリントの束は、逆さまにされて重力に負けたページの一枚一枚が捲れていく。


「でも、それなら1時間もあれば終わるよ。私の数学はマジで絶望的」
「冊子薄いんだし、すぐ終わるじゃろ」
「うそだあ、絶対無理!数学ってわけわかんないしホント無理」
「音楽よりマシ」


しばらく沈黙が流れたのち、お互いの宿題に視線を落としていた私たちは同時に顔を上げた。


「…あのさ、仁王くん」
「駅前のファミレス以外じゃ。あそこは部活の奴らがいて面倒じゃから」


既に一歩先を見据えている仁王に感心しながら、同じ目的を持つ者同士、よろしくの意で手を差し出す。

握った彼の手は、見た目よりも意外と大きくて骨ばっていた。

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