17



「おっすみょうじー土曜ぶり」


朝一、丸井くんが鞄をおろしながら割と大きな声でそんなことを言うので、近くにいた女の子たちが何人か振り返る。誤解を生むのでやめてほしい。


「どーだったよ?あのあと」
「おはよう丸井くん、授業始まるよ」
「おいおい、共犯者なんだから教えてくれてもいいだろぃ」


ま、予想はつくけど?とニヤつく丸井くんを諌めようとしたところで、丁度隣のクラスの男の子が丸井くんの名前を連呼しながら教室に入ってきた。
誰だか知らないがとても助かった。


「丸井ー!お前のクラス今日古典の授業あるよな?!ノート写させてくんない?頼むっ!」
「おー藤原じゃん、お前よく俺に頼もうと思うよな」
「俺このクラスに知り合いお前しかいないんだよね」


はあ?と悪態をつきながらも、丸井くんは鞄からノートを探す。やっぱり意外と良い人なんだよね、丸井くんて。


「あれ?今日ねーかも。他当たって、藤原」
「えーーー丸井だけを頼りにしてたのにさー!」


私は持っているので、何だかすごく困っているっぽいし貸してあげたほうがいいんだろうか。でも、特に知り合いというわけでもないし。
悩んでいる矢先、うなだれていた彼が何かを思いついたかのような表情で私に視線を向けた。


「えーっと、みょうじさんだよな?滝澤の元カノの!」


ここにきて滝澤くんの顔の広さを否応無しに思い知らされる。微妙な笑顔を浮かべる私をよそに、彼は早口で続ける。


「もしかしてさ、みょうじさん持ってたりしない?!」
「うん、あるよ。貸そうか?」
「マジで?!優しっ!!ありがとうございます!ありがとうございます!」
「言っとくけど藤原、こいつノート神って呼ばれてるから、ありがたく借りろよ」
「ノート神!?」
「丸井くんそーやって適当なこと言うのやめなよね」


たしか古典のノートはロッカーに入れていたはず。
取りに行こうと立ち上がったとき、教室の入り口から私を呼ぶ声がした。


「みょうじさん」


驚いて入り口を確認する。あの声を聞き間違えるはずがない。

私が反応するより前に、横にいた丸井くんが素っ頓狂な声を出した。


「仁王!?」
「おー丸井」
「何でお前ここにいんだよ?」


仁王は、教室の扉に背をもたれて立っていた。久しぶりの制服姿に、一瞬くらっときた。

急な登場に驚いているのは丸井くんだけではない。周囲がざわついている。


「だってお前、またすぐあっち戻るって……」
「その話はまた今度じゃ。あーみょうじさん?先生が呼んどるよ」


仁王は周囲の動揺を意にも介さず、私を呼ぶなりすぐに教室からいなくなってしまった。







「仁王!いるんでしょ」


予鈴が鳴る直前だというのに駆け足で屋上へとやってきた私は、扉を開けるなり辺りを見回して仁王の姿を探す。
給水塔の裏からひょっこり顔を出した仁王は、こっちこっちと手招きした。


「あの登場の仕方なに?!ちょっと強引すぎない…!?」
「んー、まあサプライズ?びっくりしたじゃろ」
「びっくりどころじゃないよ!?怪しまれたよ絶対、だって仁王が私をこのタイミングで呼ぶの変だもん!」
「いいじゃろ別に」


付き合っとるんじゃし、と仁王はさらりと言いのける。意外とそこは隠さないタイプなんだ…とちょっと恥ずかしくなった。
それに、と仁王は続ける。


「なまえちゃんもわざわざあいつにノート貸さなくて済んだし」


思わぬ言葉にまた固まってしまった私は、頭をフル回転させて考える。
それってつまり?


「都合良い解釈だったらごめんだけど…もしかして、嫉妬でしょうか?」
「いやいや?たかがノートぐらい」


仁王は日陰になっている場所に腰を下ろす。私もその隣に座り込んだ。


「わざわざなまえちゃんがあいつに貸す必要は、微塵も無いとは思うがの」


やっぱり彼は、意外と可愛いところがある。


「久々に学校で見るなまえちゃん、悪くないぜよ」
「…私もおんなじこと思ってた」
「うっすらしとる化粧も似合っとるよ」


…あっという間にバレた。本当に少しだけなのに。
仁王の手が伸びてきて、私の頭を撫でる。手の感触を確かめていると、授業が始まる5分前を告げる予鈴が鳴った。


「んじゃ、そろそろ帰るぜよ」


そう言って立ち上がる仁王は、寂しさを隠せない私の手を引っ張って立ち上がらせた。「そんな顔しても駄目ナリ」とニヤつく仁王の両手をぎゅっと握る。


「これで明日いなくなってるとか無いよね」
「信用無いのー」
「無いよ、イチからだよ」


私の右手を握ったまま、先に屋上の階段をおりた仁王が、途中で振り返る。


「なまえちゃん、また明日」






翌日から、仁王は本当に学校に来た。
そのまま学校を辞めてしまうのではという説まで出ていたのにも関わらず、あまりに普通に歩いているのでやっぱり周囲は驚きを隠せずにいる。

昼休み、中庭で柳生くんと話している仁王を教室の窓からぼんやり眺めていると、私の視線を辿った友人たちが口を開いた。


「仁王くんて、マジで戻ってきたんだ」
「そんな情報なかったよねーホントびっくり」
「しかも噂だけど、内部進学志望らしいよ」


私は特に何も言わずに、同じく隣で肘をついて仁王を注視する友人たちの会話を聞いていた。
今日は女の子がみんな、仁王をチラチラ見ている。


「てかかっこよ、なんかパワーアップしてない?」
「1年ぶりの仁王くん、えぐいな。ね、なまえ」
「ね、えぐいね…」


ブリックパックのストローを口に咥えたまま、私は生返事を返す。
かっこいいなんてものじゃない。久々の制服姿、なんか前よりもちょっと大人びた顔つき、諸々揃って破壊力抜群なのだ。


「なまえがこの手の話に乗ってくんの珍しいね。実は仁王派?」
「仁王派……」


ストローから口を離して、うーんと視線を宙に浮かせる。


「そうだね、仁王派。だいぶ」
「えー知らなかった!」


ここからなら気づかれることもないだろうと油断して、チャンスとばかりに再び眺めていたときだった。

ふと顔をあげた仁王と、目が合った。
あ、と思うよりも前に、仁王は私を視線に捉えたままフッと笑う。

思わず、持っていたブリックパックを落としそうになった。


「……何、今の?!?えっ?!」


動揺したのは、私だけではなかったようで。


「えっなんかなまえのこと見てなかった!?」


友人たちの興奮と好奇心に満ちた視線が突き刺さる。
いや、と否定しようとしてストローからオレンジジュースの飛沫が飛び、制服のシャツに染みが出来た。


「あっ!?やばいやばいと、こぼした!」
「んなの今どうでもいんだよ!!ねえさっきの何?!」
「なまえ、仁王雅治と何かあったの?!」


吐け!と制服の襟口を掴まれて揺さぶられる。
…オレンジジュースの染みはきっと、放課後までそのままに違いない。

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