14
「真昼の観覧車はわりとフツーやの」
「私は結構好きだよ」
でも、ご飯を食べるには向いていないと思う。
みなとみらい駅の近くで買ったローストビーフのサンドイッチを早々に平らげた仁王は、椅子に手をついて外の景色を眺めている。
もう仁王は、私の隣に座ってはくれない。
「仁王、勝ったね」
「ん?」
「1ヶ月前の全国決勝。あれが引退試合だったんでしょ?」
「ん、まあな」
自分で試合の話を振っておいて、あの日のことを思い出して後悔した。だらしない女だと思われただろうか。
けれど、過ぎたことは仕方がない。
ずるい作戦ではあったが、こうして仁王は日本に来てくれたのだ。
もう逃げる理由はない。
「ねえ仁王、あっちに富士山見える」
「へー、どこ」
仁王がわざとらしく視線を外に向ける。
素早く立ち上がって隣に座ると、ゴンドラは数回横に揺れた。
予期していたものの、やはり揺れが怖くて仁王の服にしがみついた。
隣から吹き出す声が聞こえる。
「怖いくせに」
「い、いいの!」
たしかに、我ながらかなり強引だったと思う。
「お前さんは不器用じゃのー」
「え、私そんなこと初めて言われたよ」
むしろ、卒が無いねとか、しっかりしてるねとかそんなことを言われたことはある。
「いや?なまえちゃんの第一印象は、クソ真面目。あと苦労しそう」
「そ、そんなこと思ってたの」
クソ真面目は言われた気がしないでもない。
初めて喋った日のことを思い出したら、懐かしくて少し笑えた。
「私は仁王のこと、抜け目なくて苦労とかしてなさそうだなって思ったよ」
「じゃあ俺たち正反対じゃの」
「あはは、そうだね」
正反対だからうまくいかずにここまで来たんだよね、きっと。
だけど今ならわかる。
仁王が苦労してないわけないってこと。厳密にはあの日にわかったのだ。
「仁王はさ、大学行くの?」
「まあ一応」
どこの大学行くの?と聞こうとして、もしも聞きたくない情報が仁王の口から飛び出たら、とその先が紡げなくなった。
それを察してか、仁王はさっき食べ終わったサンドイッチの包みを弄びながら言う。
「なまえちゃん」
「なに?」
「条件、使わんの?去年保留にしたやつ」
「…いいの?」
「もちろん」
視線がぶつかる。
何かを期待しているように見えるのは気のせいだろうか。
「じゃああの…日本の大学に通ってほしい、です」
「何じゃ、そっちか」
「そっちかって何!」
せっかく勇気を出したというのに、仁王は期待はずれというように脱力していた。
「あーあ、また条件チケット持ち越しぜよ、なまえちゃん」
「え、どういうこと?」
「どうもこうも、俺、うちの大学にそのまま上がるつもりじゃし。まあ内部試験受かったらじゃけど」
「そうなの?!」
仁王は何でもないことのように頷く。
そういや誰にも言っとらんかったかの、と呟く声が聞こえ、今度はこちらが脱力した。
「もうこれからずっと日本にいるの?」
「来週の内部試験受けたらまたあっち行って、3月には日本に戻るつもり」
「…仁王」
「ん?」
「条件チケット、今からちゃんと使う」
刹那、あの日のことを思い出した。
高2の夏、仁王に会うため家を抜け出たあの日。その時と同じくらい、今は目の前のことしか考えられない。
「もうどこにも行かないで。私の横にいてよ、仁王」
仁王の顔が見られない。
今一体どんな顔をしているんだろう。
条件にしては重すぎる、と笑われるならまだ良いかもしれなかった。
「だって私、仁王のこと」
「待った」
好き、と伝えようとしたところで仁王が制した。
「"私の横"っていう言い方は曖昧ぜよ。受け取り手の都合の良いように解釈されるかもしれんよ」
「…どう解釈してくれても良いよ」
「ほーお。じゃあもうサッカー部だか野球部だかの男くっつけて歩くのはナシじゃ」
「うん」
「丸井とかと必要以上に仲良くするのもダメ」
「…してないよ?」
嫉妬深いのは意外だった。
「俺だけを見んしゃい」
「うん」
俺だけを。
あの日の言葉が反芻する。
仁王の手が背中に回る。
涙で仁王の肩が濡れてしまって、それに気がついた仁王は、そっと袖で私の目尻を拭った。
「なまえ、好き」
「わ、私もぉー…」
「ふは、泣きすぎ」
ぽんぽん、と子どもをあやすように背中をたたかれる。
ちょっとだけ懐かしい、仁王の匂い。
「…条件チケット、消費した?」
「したした」
「でもあの…よく考えたら、今回って弾丸で帰国してくれたんだろうし…あの」
「ダメ。もうチケットは使い切ったナリ。返品不可」
気がついたら観覧車は一周してしまって、地上に着いていた。
仁王に手を引かれて観覧車を降りる。
「で、あとは石川町のラブホじゃったな」
観覧車のりばのスタッフのお姉さんが、仁王の言葉にぎょっとしている。
私はいまだ泣きながら、仁王の後ろで束ねた尻尾みたいな髪の毛を引っ張ってやった。
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