13
「ねえ丸井くん…こんなことが許されていいのかな?」
「さーな。柳は優しそーに見えて、たまにこういうことすんだよ。比呂士もな」
「まさか柳生くんも協力してくれるとは思わなかったけど…」
あれから一週間が経った。
9月も下旬にさしかかった土曜の午前中、柳くんと丸井くんと私の3人は、成田空港国際線到着口の前でコーヒー片手にとある人物を待っていた。
到着口の自動ドアが開き、先程フランスから到着した便に搭乗していたであろう乗客たちが、大きなスーツケースとともに一斉に出てくる。
しばらくしてやってきた仁王は、私たちの姿を捉えるなり眉根をひそめた。
丸井くんは呑気に仁王ーと手を振り、柳くんも軽く右手を挙げる。
私はというと、気まずさで俯きながらアイスコーヒーを啜ることしかできない。
「おー、えらく元気そうじゃの、なまえちゃん?」
「ボ、ボンソワー…」
「みょうじさん、bonsoirは"こんばんは"の意味だ。今は午前中なので適していない」
柳くんの的確なツッコミをよそに、仁王はキャリーケースに肘をついて溜息をつく。
「で?なんで柳生だけおらんの」
「今日は予備校だそうだ」
「…あいつのペテンは年々磨かれていくナリ。もー詐欺師の座は譲っちゃる」
仁王がこのように嫌味っぽくなるのも無理はない。
あの日、柳くんの口から発せられた作戦はこうだ。
柳生くんから仁王のアパートに電話をさせて、私がしばらく学校に来ていないらしいと伝える。
何かわかったらまた連絡をするとだけ伝え、ひとまず電話を切る。仁王から連絡があるまでは、こちらから一切連絡はしない。
次に仁王からの電話を取ったときに丸井が代わり、そういえば最後に見た日に彼女の顔色が優れなかった、まあお前は気にしなくていいと伝える。
シンプルながら、あまりに大胆な作戦だった。
ここまでして仁王が動いてくれなかったらどうするの?ショックで本当に失踪するかもよ?という当の私の意見は、悲しいことに全く聞き入れられなかった。
多少荒療治ではあるが、これでみょうじさんが気にしていることは判明する。うまくいけば仁王は一時的にではあるが自ら戻ってくるぞ。
柳くんからはこのように言われたが、丸井くんいわく、テニス部のみんなにも、自由奔放すぎる仁王にお灸を据えたいという気持ちがあるらしい。要は、半分は彼らの恨みも込められているわけなのだ。
「ハァ…。なまえちゃんと参謀が繋がってるとは思わなかったぜよ」
「俺がたまたま繋げちったんだよ」
「…それにちょっと調べたら、ちょうど同い年くらいの女子高生の失踪事件が神奈川で起きてるっていうニュースが出とって」
「えっ、そんなのあったんだ」
「小さいニュースじゃったけど」
「ちなみにその事件の女性は、昨日未明に見つかったと今朝報道していたぞ。予想通り単なる家出だったそうだが」
柳くんの言葉にちょっとぞわりとした。もしかしてそれも込みでこの作戦を考えたのだろうか。しかも見つかるのも予想していたらしい。
柳くんって本当に、むしろなんでテニスをしてるの?
成田空港から横浜駅へ向かうバスに乗り込みながら、仁王は一層深い溜息をつく。
先にバスに乗り込んだ柳くんと丸井くんは、真ん中あたりの二人掛けの席に座った。
なんだか中途半端なところに座るんだなと思いつつ、その真後ろの席に座ろうとすると、背後から仁王の手が伸びてきて、私の腕を掴んだ。
「こっち」
腕を掴まれたまま、一番後ろの席へとやってきた。仁王が先に座り、その横に私も腰をおろす。
「あの仁王、ごめんね」
「お前さんが謝る必要なか。大方、参謀のはかりごとじゃろ。お前さんが考えるにしては大胆すぎるし」
「…その、航空券代とか大丈夫だった?急遽だっただろうから…」
「あー、ANAの直行便に滑り込み。エコノミー空いてなかったから、ビジネスで」
「それめっちゃ高いやつじゃん!?」
慌てふためいて、記憶を頼りに自分の貯金額を思い出そうとする私を見て仁王はクスッと笑う。
「気にするなって言われても、無理なモンは無理じゃろ。物騒なニュースも出とったし」
「ほ、ほんとごめん…」
「でもまー、元気そうで良かった」
仁王はそう呟くなり、目を閉じて眠りについてしまった。長いフライトで疲れているのだろう。
互いの手の甲がぶつかる。
思い切ってこちらから指を絡めてみると、数秒経ってから握り返してくれた。
ああ、久しぶりの仁王だ。
骨張った手は珍しく温かい。
それから私も、仁王につられるように瞼を閉じた。
「仁王ー、みょうじー、着いたぞ起きろぃ」
丸井くんに声をかけられて目が覚める。
いつのまにかバスは横浜駅のバスターミナルに到着していた。
「お前ら爆睡しすぎ」
肩にもたれかかる仁王を揺すって起こす。欠伸をひとつしてから、仁王も目を覚ました。
バスを降りて、JRの改札を目指して4人でぞろぞろと歩く。
「腹減ったナリ」
「そろそろお昼も近いしね。仁王何食べたい?」
「肉」
日本にいたときと言ってること変わらないじゃん。
そんなことを思っていたとき、前を歩いていた柳くんが立ち止まり振り返った。
「さて、俺と丸井はこのあたりで失礼しようと思うのだが」
「えっ?何か用事あったの?」
「ふはっ、みょうじウケるわ」
丸井くんが吹き出すのを見て、柳くんが気を遣ってそう言ってくれたことにようやく気がつく。
2人を東口の近くで見送ってすぐ、仁王はスーツケースをごろごろ転がしながら、「どこで食うかのー」と呟いた。
「どこでもいいよ。駅ビルでもいいし。ルミネとか」
「んー、どっちかっていうと高いところから海でも見下ろしながら食いたい気分。食うもんはなんでもええ」
「あれ、お肉いいの?ていうかそんな素敵なお店、私知らないよ」
「あーあ、なまえちゃんって普段物分かり良いくせして、こういうのはほんと鈍いぜよ」
コインロッカーにスーツケースを預けた仁王は、すたすたとエスカレーターを降りていってしまう。
その先に駅ビルや飲食店は無い。仁王が降りていったのは地下鉄のりばへと続くエスカレーターだ。
遠ざかる仁王を慌てて追いかける。振り返った仁王は小さく笑った。
「観覧車でも乗るかの」
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