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土曜日、江ノ島水族館の入り口で滝澤くんと待ち合わせをした。滝澤くんはわかりやすく緊張していて、いつもの5倍くらい喋っていた。
館内を一周してイルカのショーを見て、そろそろ帰ろうかとなったときに、改めて告白をされた。

5ヶ月前のあのときみたいに、携帯は震えない。


「いいよ」


私は、滝澤くんと付き合うことにした。

解散してから、友人たちとのグループで報告すると、ものすごい勢いでグループのトークが動く。
おめでとう!と、なんで?!が入り混じるトーク画面に、当たり障りのないスタンプを送った。


付き合って1ヶ月のときに、滝澤くんとキスをした。場所はカラオケ。
3ヶ月が経ち、夏休みに入ってすぐくらいの頃に、滝澤くんの家でセックスをした。それなりだったけれど特に何の感情も湧かなくて、最低な自分に落ち込んだ。
終わったあと、初めてだったか聞かれて、正直に初めてじゃないよと言ったら泣かれた。気まずいまま、その日は解散した。

その翌日、心が狭くてごめん、と電話で謝られた。ごめんは私のほうだ。ううん、とだけ答える。まだ付き合っていたいと言われ、わかったと伝えて電話を切った。





高校生活最後の夏休みが終わろうとしていた頃、丸井くんからメッセージがあった。

内容は、最後の試合を観に来い、というもの。
テニス部の試合かー、と部屋で携帯を握りしめながら一人呟く。昨年観に行こうとして、これって彼女面なのでは…なんてしょうもないことを気にしてやめたのを思い出した。

滝澤も連れてこい、と言われて、今ちょっと気まずいんだけどなあと思っていたら、滝澤くんからテニス部の試合を観に行こうと誘われた。そういえば、丸井くんと滝澤くんはまあまあ仲が良い。
二人から誘われては断れないので、行くことにした。





試合当日は、雲ひとつない快晴だった。

新聞部の友達に話しかけられて、立海ベンチで話し込んでいたら、気づいたら試合が始まっている。
今日は全国大会の決勝戦らしい。


「え、あれ仁王じゃん」


試合が始まってすぐ、横にいた滝澤くんがポツリと呟く。立海ベンチに視線をやると、銀色の髪がたしかにそこにあった。

久しぶりに見る仁王は、ちょっとだけ髪が伸びていた。

仁王の横にいた丸井くんがこちらに気がつき、手を振ってくる。手なんてただ振り返せばいいのに、私は銀色から目が離せない。
固まったままの私を見て、丸井くんが訝しがる。丸井くんが何が呟き、コートを見ていた仁王もこちらに視線を移した。


仁王と目が合う。

渡り廊下でそうしていたときのように仁王はすぐに視線を逸らし、私はいまだ逸らせないまま、ぼんやりと銀色を見つめていた。

仁王は、私の横にいる滝澤くんをちらりと見た、気がした。
ほんの少しだけ口角が上がって、視線がコートへ戻る。


ああ、私はなんて馬鹿なんだろう。


仁王はS2で出場していた。
3年前の全国大会決勝とまったく同じオーダーなのだと、近くに座っていた人が話していた。


仁王がサーブを打つ。走る。リターンする。

テクニックの云々なんて、私には何もわからない。
けれど一度だけ、テニス部の練習を遠くから見てみたことがあった。そのときとは比にならないほどに、コートを駆ける仁王は楽しそうだった。
全身で、細胞で、テニスを堪能している。表現するとしたら、そんなような。仁王のすべてを表した試合。


長い試合が終わった。

仁王は、勝った。



このあと、D1に丸井くんが出場するらしい。今日は丸井くんに観に来いと言われたのだ。
だけどもうとても立っていられなかった。


「ごめん私…帰る」
「え、どうしたの?具合悪い?」
「ううんちょっと…。ごめん、大丈夫。とりあえず…飲み物、買ってくる」


困惑する滝澤くんの言葉を待たずに、試合会場を後にした。来た道を戻り、駅へと走って電車に飛び乗る。


電車の中で、メッセージアプリのトーク履歴から"仁王雅治"の文字を探す。
企業やブランドの通知に紛れてようやく見つかったトークを開くと、一番最後のやりとりは半年前で、本当に他愛もない、そこそこ売れているバンドの話で終わっていた。

内容も考えないままに文字を打ち込む。送信マークを押したところで、手から携帯がすり抜けて落ちた。

床に物が落ちる音が響く。拾い上げると、画面は粉々だった。

自分がしがみつかなかったくせに、今更なぜショックを受けているんだろう?考えてもわからない。
なまえって頭いいよね。友達にも親にもそう言われてきたはずなのに、勉強はしてきたほうなのに。もう、後悔したくないと思ったはずなのに。

画面に触ると、細かな破片が人差し指に突き刺さった。うっすら血が滲んだ指を、最寄駅に着くまで眺めていた。


あれから、滝澤くんから何件も着信があった。
ごめんやっぱり具合が悪くて先に帰りました、と送ってベッドに横たわる。
仁王に送ったメッセージは、その日の夜も、次の日も、またその次の日も既読はつかず、彼から返信が来ることはなかった。



試合を観に行った4日後、丸井くんからメッセージが来た。

俺の古典のノート間違えて持ってってねえ?という内容で、鞄の中を漁ると丸井くんのらしきノートが出てきた。同じ色のキャンパスノートを使っているので、どうやら取り違えたらしい。

通話の発信ボタンを押すと、すぐに丸井くんが電話に出た。


「おーみょうじ、古典あった?」
「うん、裏に丸井ブン太って書いてある。めっちゃごめん」
「やっぱりか、無いなと思ってたんだよな。てかお前こないだ、俺の試合観る前に帰ったろ?!薄情すぎるだろぃ!」
「あー…ごめんね、途中で具合悪くなって」
「えマジ?熱中症か?平気なのかよ?」
「うん…試合、勝ったってね。優勝おめでとう」


丸井くんは慣れた様子でサンキューと笑った。それでも、本当に嬉しそうなのが電話越しにも伝わってくる。
しばらく試合の話を聞いていたら、丸井くんが仁王の話題を出した。


「あいつ、決勝の前日に戻ってきてさ。真田にめちゃくちゃ怒られてた」
「あは、そーなんだ」
「で、また決勝の次の日にすぐ向こう行っちまったし…。こえーわ、あいつホント」


仁王はもう日本にいない。
その事実にまた打ちのめされそうになって、丸井くんに悟られないように何とか返事をする。


「あいつ携帯も持ってねーしさ、壊れたとか言って。まあそーゆーのも仁王っぽいけど」


それを聞いて、あははと乾いた笑いが出た。それなら返事が来なくて当たり前だ。


「丸井くん、あのさ。めっちゃだるいこと聞いてみてもいいかな?」
「ん?何だよ急に」
「私と丸井くんって最近仲良くなったわけじゃん」
「おう」
「丸井くんから見て私って…どう思う?人間的に」


電話の向こうから聞こえていた微かなノイズが一瞬消える。何かをしながら電話をしていたらしい丸井くんが、動きを止めたようだった。


「は、はあ?」
「いや、最近私を知ってくれた人にちょっと意見が聞きたくなって」
「何それ、何か悩んでんの?」
「うん、悩んでる。いや、違うかも…悩んでるというかヘコんでるというか…」


単なるいちクラスメイトの女に、電話口でこんな意味不明なことを言われては丸井くんもさぞ迷惑だろう。
だけど、今このタイミングで電話くれたのも何かの縁だ。


「ふーん…なんか意外だな。みょうじって悩み事とか無いようなタイプに見えんじゃん?」
「そーかな?」
「なんつーか、飄々として見えんだよ。中3のときもだったけど」


そ、そんなふうに見られていたとは…。


「結構周りと線引きしてる感じ?あんじゃん。だから話しかけづらいって思う奴もいんだろーなって思うぜ」
「そっか…じゃあ今度から、話しかけてくださいって付箋とか付けて歩こうかな」
「でも実はこんなふうにわけわかんねーこと言ったりするし、まじ意味不明」


渾身のボケだったのに…。


「なんかあれだ、似てるタイプで言うと…それこそ仁王とか?近いんじゃねって気がする」
「はっ?」


思いの外大きな声が出た。
仁王?近いタイプが、仁王??


「えっ無いでしょ仁王は!私あんなじゃないもん」
「や?割と似てると思うけど。なんか上手く説明できねえけど」
「そうかな…」
「なんか、みょうじと付き合ったらマジ大変そう」
「し、失礼な…!」
「何考えてるわかんなすぎて、メンヘラになりそうだわ」


そう聞いてしまうと、仁王に似ていると言われても仕方がないかもしれない。ちょっとだけそんなふうに思った。


「こんなもんか?ま、俺はみょうじのこと結構気に入ってんぜ。面白いし。どーせ一人でぐちゃぐちゃ考えてたってどうしようもねーんだし、後のことは深く考えずに動いてみても良いんじゃね?」
「……丸井くんってほんとに素敵だね」
「今更だろぃ」


どんな事情があったのか、深く突っ込まずに励ましてくれる丸井くんは、本当に良い人だ。


「私、もっと早く丸井くんと仲良くなりたかったな。せっかく中3のとき同じクラスだったのに」
「マジ喋ったことなかったよな」
「丸井くんが陽キャすぎたんだよね…当時の丸井くん、今より尖ってたし」
「よく丸くなったって言われる」
「どっちの意味で?」
「うるせえよ」


ま、元気出せよ!よく知んねーけど!
そんな能天気な丸井くんにお礼を言って電話を切った。

丸井くんの言う通りだ。
私はいつも後のことばかり考えている。ああなったらどうしよう、やっぱりこうするべきかな。ずっとそんな調子で。
だけど揺るがないことが一つだけあると、ようやく気がついた。


どうしたって私は、仁王のことが好きで好きで、仕方がない。
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