21

「あっ、幸村くん」

高すぎず低すぎもしない、通る声が俺を呼ぶ。瞬時に声の主が誰かわかった俺は、立ち止まり振り返った。

これから移動教室らしいなまえがひらひらと手を振っている。同じように振り返すと、なまえは気が済んだという表情で友達と廊下を歩いて行ってしまった。

今日は伊波さんと一緒じゃないんだな、とその後ろ姿を見つめていたら、どこからか様子を伺っていたらしい柳が突然現れ、フッと小さく笑った。

「盗み見は良くないよ、柳」
「すまない。そんなふうに名残惜しそうなお前を見るのは初めてだったものでな」
「珍しいかな?」
「良いデータサンプルだ」

先程の俺同様に、なまえの後ろ姿に視線を送りながら柳は続ける。

「噂では、みょうじなまえの熱烈なラブコールに幸村精市がついに応えた、ということになっているようだが」
「逆だよ、俺のラブコール」

噂とは、基本的に根も葉もないものばかりである。

それも、俺が仕方なく付き合っただの、なまえが陰で色んな男を誑かしているだのと、彼女の側が不利になるようなものが多い。
彼女はそこまで気にしていないようだけど、だからこそ最近は何かを聞かれたときはすべて正直に伝えることにしている。それが一番の方法だと思えるから。

「そうか。ところで精市」
「なんだい?」
「今日から試験期間で部活が無いな」
「そうだね」
「勉強を教えてほしいとは言われなかったのか」
「残念、言われてないよ」

彼女は優秀だからね、とそう付け加えると、柳は一言、そうかと答えた。柳ならそれくらい知っているはずだけど、どうしたのだろうか。

今日は部活がミーティングだけの日だ。
が、特になまえと帰る約束もしていない。

一緒に帰りたいと言ってみても良いものだろうかと考えていたら、とうとう下校時刻になってしまった。
今更になって連絡をするのも憚られる。仕方なく、ひとり図書室に向かうことにした。



立海の図書室は中高合同なので広く、設備が整っていて蔵書も沢山揃っているので、わりと頻繁に利用する。
試験期間中はおのずと利用者も増えるが、この時期は高等部3年生の姿が多く見られる。

窓際の席はいくつか空いているが、直射日光が当たって暑いからだろう。
奥まった席を探そうと彷徨いていると、図鑑などの大本が並ぶ棚の前の机に、見覚えのある横顔が見えた。

「なまえ、君もここで勉強?」
「幸村くん!」

相変わらず変化の無い呼び名については、この際置いておく。
なまえは普段おろしている髪をひとつに束ねていた。ぴょこんと出ている後れ毛が可愛い。

「あ、ここ座る?」
「良いの?」
「うん、座って座って」

にっこりと笑う彼女に礼を言って、向かいの席に腰掛ける。

「試験勉強?」
「うん。今日は数学」

そう答えながら、なまえは黙々と目の前の問題集をこなしている。

彼女は、色恋に夢中になってその他をに疎かにするようなタイプではない。そう言っていたのは柳だったか、あまりよく覚えてないけれど実際その通りだと思う。
たまに抜けているがしっかりした芯を持っている。それがなまえなのだ。

俺も勉強しようと教科書を鞄から取り出していると、爪先に何かが当たる感触がした。
どうやらなまえと足がぶつかったらしく、彼女は小さく「ごめん」と呟く。

「私、足伸ばしちゃう癖があって」
「良いよ、伸ばして」
「いやいいよ、大丈夫!」
「だめ、捕まえた」

引っ込めようとする足を両側から捕まえる。ローファーとローファーが当たって小さくコツン、と音がした。

「もー!幸村くん!」
「しー、ここは図書室だよなまえ」

もう!となまえは顔を赤くさせ、再び問題集へと視線を落とす。俺も足先に彼女を感じながら教科書へと視線を戻し、勉強を始めた。


小一時間ほど経った頃。

ふと前を見れば、なまえはこくりこくりと舟を漕いでいた。
数式で埋め尽くされたノートの余白に、小さく薄い字で何か書いてあるのが見えた。近づいてよく見ようとするが、なまえの手がタイミング良くそれを隠してしまう。

なまえはまだ眠っているようだ。思わず髪に触れたくなる衝動を抑えて、ペンを握りなおす。起こすのも可哀想だ。
まだ、互いの足は触れている。



図らずも嬉しいなまえとの帰り道。
並んで歩きながら、それとなく尋ねてみた。

「ねえ、なまえの数学のノート、ちょっと見せてくれない?」
「数学のノート?これ?」
「ああ、それじゃなくて。さっき解いてた問題集のほうの」

これ?と渡してきたノートをぱらぱらとめくり、件のページの余白に目を付ける。
それを横で見ていたなまえはわたわたと慌て出し、しまったという顔で俺を見る。

「えっ、えっ、なんで知ってるの、幸村くん」
「さっき、ちょっとだけ見えたんだ。にしても、へえ。いけない子だね、勉強に集中しないと」

薄く書かれた「ゆきむらくん」の字を指差すと、なまえは更に慌て出す。

「こ、これは、問題集を解いているときに幸村くんが来たから…こう、無意識に書いていたというか」
「俺の名前を呼びたいけど、呼べないから文字にしたんだ?」
「ち、ちがう!」
「なんだ、違うんだ。悲しいなあ」
「あ、またそうやって押してダメなら引いてみろ的な…!」
「俺は、なまえのことずっと考えてるんだけどなあ。図書室で見つけたときはすごく嬉しかったし」
「私だって嬉しかったよ!」

耳を真っ赤にする彼女にひとしきり笑ったところで、自分の鞄から古典のノートを取り出す。
そんな俺を見ながら、なまえは目を丸くする。

「なにしてるの?」
「君ばっかりいじめるのも可哀想だから、教えてあげようと思ってね、ほら」

ノートの途中のページを開き、隅を指差すと、なまえは目を見開いたのち嬉しそうに笑った。

「幸村くんこそ、授業中なのに私の名前呼びたかったの?」
「そうだよ」
「そうだよって、やめてこっちが恥ずかしい!」
「俺も恥ずかしいよ」
「まあでも…ちょっと嬉しいかも、です」

俺のノートに書かれた文字をなぞって、彼女はもう一度にっこり笑った。
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