19

「もう10月かあ、早いねえ」
「日が落ちるのもだいぶ遅くなってきたよね」

泣いても笑っても、テニスをやりたくてもそんな気分じゃなくても、放課後には部活が待ち受けている。
そんな私にとっての日常が再び舞い戻ってきたが、海原祭を経て2つ、変わったことがある。

制服が冬服に衣替えしたこと。そして、週に2日だけ、部活後にこうして幸村くんと一緒に帰ることだ。

「いや〜芸術の秋だね、幸村くん!」
「みょうじさんはどっちかっていうと食欲の秋って感じじゃない?」
「…私は食欲の秋、幸村くんは芸術の秋です」
「ごめんごめん、拗ねないでよ」

君は芸術の秋が似合うね、とか言われたかった。軽くショックだけど、隣を歩く幸村くんは、私が拗ねるのがそんなに嬉しいのかと尋ねたいくらいにご機嫌な様子である。

幸村くんとの帰り道。
この間までは人ひとりぶんくらい空けて並んで歩いていたんだけれど、最近ちょっとだけ距離が狭まった気がする。
たまに盗み見すると、幸村くんはすぐに私の視線に気づいて微笑みを返してくれる。

は、恥ずかしい。どうすればいいんだろう。

「そ、そういえばもうすぐ中間考査だね」
「ああ、言われてみればそうだね。文化祭が終わったと思ったら次は試験か」

本当に学生というのは忙しい。うちの学校は文武両道を謳い文句にしているから余計にだ。

「みょうじさんは、苦手な教科とかある?」
「うーん、英語がちょっとネックなんだよね」
「教えてあげるよ…と言いたいところだけど、みょうじさんは優秀らしいし、俺の出る幕は無いかな」
「いやいや!別に優秀じゃないよ」
「伊波さんが言ってたよ。なまえは、さすがウチの高校受験突破しただけあって頭いいんだよ〜って」
「いやでも、幸村くんには逆立ちしても勝てないと思う」
「俺のはたまたまだよ」

毎回たまたまなわけないでしょうとツッコミをかまそうとしたが、不意に右手があたたかくなる感触に気がついて、何も言えなくなってしまった。

さっき、手と手が当たったような感じがしたけど何も言えずにいたのに、こればかりは無視できそうにない。

「あ、の幸村くん」
「みょうじさんの手、ちょっと冷たくない?寒いかい?」
「う、ううん…」
「フフ、照れてる。可愛いな」

さらりとそんなことを言ってのける幸村くんは本当に女の子と付き合うのが初めてなのだろうか。こんなに余裕そうな人がそんなこと、あり得るのか。

「あ、握り返してくれた」
「ちょ、い、言わなくていいよ…!」
「あのさ、俺今日伊波さんと話してて思ったことがあるんだ」

手を繋いだまま、私の人差し指を自らの人差し指と親指で弄びながら、幸村くんは言う。
顔に似合わず大きい幸村くんの手の感触に、馬鹿みたいに心臓を跳ねさせながら耳を傾ける。

「俺もなまえって呼びたいんだけどな」
「え?!……っと、い、いやだ」
「えー、嫌なの?」

依然指を弄びながら、幸村くんは俯いた私の顔を覗き込んだ。

この技!まったくもってけしからん技すぎる!

もっとも彼は、これが私に効果覿面だとわかってやっているに違いない。
付き合ってしばらく経ってわかったことだが、幸村くんは女テニ中等部組からの情報通り、少し意地悪というか小悪魔なところがある。

「まあ、君が何と言おうと呼んじゃうけどね。なまえ」
「幸村くん…恥ずか死んじゃうよ…」
「あはは、俺もちょっと恥ずかしいかな」
「いや、どこが…?」

そんな様子は微塵も感じられないですが…。幸村くんは更に、表情を変えぬまま続ける。

「俺のことも名前で呼ぶ?」
「え?!よ、呼ばないよ!」
「えー、どうして?」

そんなの、いくら私が畏れ多くもあの幸村くんの彼女だと言えど、彼のことを名前で呼ぶなんてあまりに馴れ馴れしすぎる。
たとえば廊下で姿を見つけたとして、幸村く〜ん!と呼ぶだけでも苦行なのに、名前でなんて呼べるわけがない。絶対に。

「とにかく今はいいじゃない!ね!」
「うーん仕方ないなあ、強制させるわけにはいかないしね。今日はまあいいか」

ちょっぴり残念そうな幸村くんに苦笑いをつくって、私は心の中で盛大に安堵の溜息を漏らした。




「…とまあ、ざっとこんな感じ」

遥は頬杖をつきながら、まるで次の体育がマラソンだという旨を伝えられたときのような目で、「へえ」と返事をした。
昨日の帰り道はどうだったのか、惚気も交えて詳しく教えろとうるさいから話したのに、この反応は納得がいかない。

「いやそこは、なまえもさっさと名前で呼んじゃえよって感じだしさあ、しかも手繋ぐくらいで…何それちょっと?あんたらほんとに高校生?」
「う、うるさいな、相手は幸村くんなんだから勝手が違うの!」
「もうとっくにチューくらいしてると思ってたよ、私は」

どうやら遥は、私たちに言い知れぬもどかしさを覚えているようだ。すみませんね、恋愛経験値0で。

「でもさ、ちょっと気をつけなよね。最近幸村くんに彼女が出来たって知って彼に迫ってる子、ちらほらいるらしいから」
「迫……!?え?」
「今まで幸村くんて、立海の王子様っていうかみんなの幸村くんっていうか、みんな一歩離れて見てた感じがあったじゃん?でも彼女が出来たってわかって、あ、幸村くんてそういうのありなんだ、って気づいた感じなんだと思うんだよね」

なかなかに説得力のある遥の言葉に素直に感心していたら、感心している場合じゃないんだからね!と怒られてしまった。

例のサッカー部の彼ととうとう交際3年目に突入した大センパイ伊波遥によれば、この事態は彼女として私がどうにかしないといけないことらしい。
それが彼女の務めだと。

「でもどうにかって…どうにもならなくない?幸村くんを好きでいるのは個人の自由だし」
「でも告白はだめでしょ、彼女がいるのにさ!一度許すと調子に乗るのよ、周りは!」
「うーん、でもだからって告白しないでって言うのは何か違うし、何様だよってなるし、」
「何様って、彼女様でしょ」

あ、そっか、わたし彼女だった。

「てかなまえって嫉妬とかしないの?」
「遥はすぐするよね」
「当たり前じゃん!他の女の子と仲良くしたり気持たれたり、そんなん嫌に決まってるし!」

しかし気を持たれてしまうのは幸村くんのせいではないし、どう生活してもきっと彼はそうなってしまうと思うのだ。不思議と嫉妬心が全く湧き上がらないのは、そういう場面を実際に見ていないからなのか、あるいは…。

「あ!!!」
「ちょっと遥うるさい」

突然目の前で大きく声を上げた遥を見上げると、彼女は私の肩をバンバン叩きながら廊下のほうを指さした。相変わらず、遥の興奮しきったときの馬鹿力はすごい。

視線を指差すほうへ寄越すと、そこには幸村くんと一人の女の子がいた。
廊下で対面して女の子が何かひたすら喋っている。幸村くんはいつもと変わらぬ表情でそれに何度か相槌を打って、彼女と一列になって歩き出した。
女の子の表情、そしてあの空気から察するにあれは。

「告白じゃん?!」
「そうっぽいね」
「そうっぽいね、じゃないでしょ!ゆゆしき問題よこれは!」

国語の成績3のくせしてよくそんな言葉知っていたな、なんて口にする暇もなく、遥は何やかんやと捲したて始める。要するに彼女は、私に早くあとを追いかけろと言っている。

「追いかけてどうすんのさ」
「何もしない。ただ様子見るだけ。ほら行くよ!」

遥に引っ張られ、自分の意思に反して幸村くんたちの後を追うことになってしまい何とも言えぬ気分で教室を出る。

遠くに見える、幸村くんの隣を歩いているあの女の子は、容姿だけで判断するに背が小さく可愛らしい子で、見た目にかなり気を使っている様子である。
あの髪の毛は毎朝ブローしてるんだろうなあ。お化粧もちゃんとしているし、相当研究したんだろうな。

幸村くんに限って乗り換えとか、そういう点はあまり心配していない。
問題はそこではなく、一人の女の子としてあの子と比べたときに、どう考えても私に勝ち目は無いところだ。これから起こるであろう光景を目にすれば、劣等感を感じるのは必至だ。
やっぱり嫌だなぁと溜息をついて、遥に引っ張られるままに廊下を進んだ。

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