現実と言ノ刃
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私の一言に彩天は眉を潜め、ピチューは耳を疑うように目を見開いている。言うなら、今しかない。止めろ、とどこかで叫ぶ声なんて聞こえない。心はもう、殺してしまえ。
「私は、帰るんだ。言っただろう、帰らなくちゃいけないと。いや、…帰りたいんだよ私は。」
「おい、静奈…?」
「私と一緒に来るなんて、無理言うなよ。お前がこっちに来たらそれこそお前が異端になるんだぞ?」
「っ俺が擬人化してりゃいいだろ!?」
「擬人化、ね。」
擬人化。その条件を思い出して自嘲する。ポケモンが人に、トレーナーになつけば出来る言わば信頼の証。きっと普通なら喜ばしいことなのだろう。また、それをやり続けようとしているピチューの誠意は褒められるものなのだろう。だけど、今そんなものは必要ない。
聞こえたギシッ、ミシリと軋む音。まだ、耐えてくれよ。
「私は、さ。…擬人化が、」
―言うな、止めろ。
震える喉が一瞬言葉を止める。思考を揺るがす。これを言えばきっともう元に戻れない。修復不可の傷跡になる。あぁでもそれでも構わない。言え、言ってしまえよ。私は、私はこれ以上この空気にもこの空間にも時間にもどこにもこの世界にも全部全部全部、関わりたくないんだ。帰ってしまえばきっともう関係なくなる、だから、だから、
「…嫌いなんだよ…っ」
言った、言ってしまった。きっと最も発しちゃいけなかった言葉、これまでの時間を完璧に否定したそれ。破裂音が遠鳴りした。
ざわざわ、落ち着きのない音。記憶が一気に巻き戻る。嬉しそうな声、言葉。私と、一緒の姿になれて、
―静奈と一緒の姿になれたことが、嬉しいから。
その言葉が繰り返されて頭が痛くなる。共有されない喜びはこんなにも私たちを違えさせた。だけどもう、止まらない。
「私は、ポケモンと人間が同等の立場になれるなんて、思わない! やめて、くれよ…それはあんまりにも、さぁ………気持ち悪い。」
「お前、それ本気で…っ…?」
絶望に満ちた顔、泣きそうなピチュー。本気も本気だ。ここまで言えばきっと、ピチューだって諦めてくれる。私と一緒に、なんて言わなくなる。目を細めればピチューがギリッと歯ぎしりをしたのが聞こえる。
少しの安堵、それが油断だった。
その時、彩天が僅かに寂しそうな目で私を見ているなんて知りもしない。
「…ざけんなっ…俺は擬人化できてお前と並べてどんな気持ちだったか知らねぇだろ!俺のこと理解してもしねぇでんなこと抜かしてんじゃねぇよ!」
「そんなの、知るわけないだろう!?ポケモンなんて馴染みのない、そんな、"化け物"みたいな存在の気持ちなんて、わかりたくもない!」
「化け物、だぁ…!?」
売り言葉に買い言葉。繋がれた手はいつの間にか離れていて、代わりに胸ぐらを掴まれていた。
感情が爆発して、正常な判断を下せない。化け物、なんて思っても、いやもう取り消せない。引けなくなった私たち、制止したのは傍観していた冷たい声。
「…そこまで。」
「っ彩天、お前…!」
「もういい加減にしとけ、ほら、帰るぞ。」
ピチューが掴んでいた手を無理やり離した彩天は私を引き上げる。ちらりとピチューを一瞥した彩天は最後に何か言うことはあるか、と問いかけた。慈悲のつもりだろうか、大きなお世話だろうが。
引き上げられてからピチューの顔を最後に、と思っていた私は見下ろす形になったが視線を向けてみると、だ。
「………静奈、っ…!」
その大きな丸い瞳からぼろぼろと大粒の涙を溢していた。憎しみ、寂しさ、ごちゃまぜになった感情を込めた瞳で。思わず、揺らぐ。手を、差し伸べそうになる。
「俺、は…っ…俺は、っ」
その時、ピチューの口から紡がれた言葉がいやにゆっくりと聞こえた。時間が、止まったように感じた。
「 」
ふいに、私は謝りそうに、なって、手を口で覆った。そして、殺した心、で、ピチューを、実光、を傷つけるんだ。
「私は、お前のそういう押し付けがましいところとか、見た目に違う性格とか、…気に食わなかったよ。」
彩天のため息がやけに耳に反響した。それは私に対する呆れが混ざっているようにも思う。だけど今の私はそんなこと考える暇もなくて、だって、実光に、私は、
「そ、…かよ……静奈…。」
それは、やけに落ち着いた声だった。いや、涙混じりの声であることに変わりはない、けれど。泣いてることにだって変わりはない。なのに、なんだろうこの、胸騒ぎ、は。
「…もう終わりでいいな。」
力を発動させたのか、淡い光が私と彩天を包む。もう、これで終わりなんだ、全部。だけど。
ゆらりと立ち上がった、実光。涙を流したまま、無理やり口角をあげたような、不器用な笑みを浮かべて、そして、
「俺は…許さねぇ…認めねぇ…。」
表情と言葉が一致してない、なんてそんなことじゃない。タンッと一気に距離を詰めて、そして、
―ガブッ
「あっ、ぐ…っ!?」
「……ばか、やろ…っ!」
その鋭く尖った八重歯を私の肩に突き立てる。元より剥き出しだった肩は簡単に皮膚が破け血が溢れ出す。苦痛に顔を歪めれば傷口を深めるように歯でそこを抉った。鋭い痛みが走ると、実光はそこから離れ、苦しそうな顔を見せた。そこに不器用な笑みは無い。
「静奈!? …はぁ…っ行くぞ。」
「み、こぅ…、ごめ、」
私の言葉は途中で途切れ、いや、言うのを止めたのかはわからない。だけど最後に見たのは、何かに耐える実光の泣き顔。
そして眩い光に飲み込まれ、私の意識はまた遠退いた。
遥か彼方、実光の泣き叫ぶ声が聞こえたような気もしたけど、私にはもう聞こえない。
コトノハ刃
「…“化け物“でも、お前のこと好きなんだ」
(その刃はどこまでも深く、鋭利に突き刺さる)
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