ふわりと柔らかい風が窓から届けられる。春の香りが少しずつ強くなってきていた。それに合わせて段々と暖かくなってくる。なのに、ブラッキーが側にいない時はとっても寒かった。逆に、ブラッキーが側にいる時はぽかぽかする。ゆたんぽみたい。
「ブラッキー」
『なんだ』
「あたしのところに来たとき、ブラッキーは迷ったって言ってたよね」
『……ああ』
床に座ってブラッキーを抱き締めながら聞くと、ブラッキーの身体が少し強ばったような気がした。張りつめたワイヤーを抱いているような、そんな気分。
それでもあたしは続けた。ブラッキーのことを知りたくて。
「ブラッキーはどこから来たの?」
『どこ、から?』
「うん、だって迷ったって言ってたから」
『……どこから……』
そう呟くと、暫く黙ってしまったブラッキー。なんで黙っちゃったの? 少し揺らしてみると、ブラッキーは固い声で語り始めた。冷たくて、石みたいな声だった。
『……弟と、はぐれたんだ』
「おとう、と?」
『ああ、そうさ。正確には、弟みたいなやつだった』
全然、知らなかった。だってあたし、ブラッキーと一緒にいたのに。ひんやり、体温に馴染んだはずの床がまた冷たくなった。
前のトレーナーが亡くなってからは一人で地方を回っていたブラッキーは、その途中でその弟みたいなポケモンと出会ってから、二人で旅をしていた。でも、その途中で弟とはぐれたブラッキーはその後探し回ってたけど全く見つからなかったそうで、風の噂でトレーナーに捕まえられたということを聞いたそうだ。
そしてまた、ブラッキーは一人で旅を続けて、あたしのところに流れ着いたらしい。
『……以上だ』
「……ブラッキーにとって、そのポケモンが弟みたいな存在だったんでしょ」
『ああ……そうだな』
「じゃあ、あたしはなに?」
『……なに、って』
「ブラッキーにとって、あたしはどんな存在?」
頭のどこかで、最初に出会った時に迷ったって言われて、それが嘘だと思った。理由はないけれど。でも、今そんなことはどうでもよかった。
弟がいるなら、それが弟みたいな存在であっても、じゃああたしは何なのだろうという疑問に駆り立てられて仕方ないんだ。
いつの間にか視線は合わさっていた。真っ赤で濁った目は大きく開かれて、揺れていて。あたしを初めて見たみたいに。
『どんな……存在……』
絞り出すように呟いたブラッキーは、下を向いて黙ってしまった。どうして答えてくれないのだろう。
でも、なんだかブラッキーがとても小さく見えた。
『……今は、答えられない』
「ブラッキー、」
『……お前はオレをどんな存在だと思っているんだ?』
どうして、と聞こうとしたら質問が返ってきた。その質問に、頭が真っ白になった。赤い、沼みたいにどろどろとして、深い目があたしを見つめている。
どんな、どんな存在だろう。弟みたいな存在がいると知って、胸がきゅっとした。だからあたしも何かに当てはめてほしかった。
だけどあたしはブラッキーを何に当てはめるのだろう。ぐるぐると、頭の中が回る。わかんない、わかんないよ。
「……わかんない、だけど……」
『だけど?』
「側にいてくれないと、寒いから、あたたかい存在だと、思う」
呟くと、ブラッキーは何故だか黙ってしまった。あたたかいのは、いや? 今日はよく黙っちゃうんだね。
ああ、今日はブラッキーが小さく見える。側にいるのに。遠く離れているわけじゃないのに。わかんない。でもブラッキーはとっても、とっても苦しそう。弟のような子のことを思い出したからかな。
「かわいそうだね」
『かわい、そう?』
何を言われているのかわかっていないような声で、ブラッキーはあたしを見上げた。大きく見開かれた目、ゆらゆら揺れている。
「だって、辛そうだから」
『そう、見えるか』
「うん」
そう答えると、ブラッキーは窓の方を見た。あたしもつられて外を見る。外は薄く橙色になっていた。真っ白なマサラに、じんわりと滲む色。少し開いた窓が風を運んでくる。
ふと、腕の中にいるブラッキーが風に乗って飛び立ちそうな気がして、ぎゅっと強く抱き締めた。
『お前は……オレといたいか?』
「うん、いたいよ」
『……わかった』
自然と視線が合った。ブラッキー、あたしと一緒にいてくれるのかな?
その夜は、少しだけ夢をみた。ブラッキーと一緒にどこかへ行く夢だ。どこも知らないあたしが、どこかへ行く夢。とっても、楽しい夢。
ブラッキーに話したらどこかへ連れていってくれるかな? ブラッキーは旅をしていたから外を知っているはずだもんね。
おはようブラッキー、あのね。
そう言おうと、口を開いた。
だけど、ブラッキーは隣にはいなかった。家中を探しても、その日、ブラッキーが帰ってくることはなかった。
ゆめうつつ
(夢と現実が逆ならよかった)