言い渡された仕事をこなすべく、マサラの地へ足を踏み入れた新月はどことなく憂い漂う表情でマサラを見渡した。
清みきった空気に居心地の悪さと、それでもわかる住みやすさ。心の端にそれを置いて、目的の家を探したのだがそれは案外すぐに見つかった。
浮いている、とは本当だったのだろう。その家の周辺だけ、空間が切り取られたように異質な存在感を放っていた。
なんとなく、行きたくない。いやでも行かなくてはいけない。渋い顔をして新月は歩を進めた。
『……はぁ』
ノックして出てこなかったら帰りたいぐらいだと嫌な顔をしている新月。軽くコンコンと足でノックをした。
が、少し待っても出てこない。小さかったのだろうかともう一度ノックをしてみるもやはり出てこない。苛立ちを覚えた新月は強めにゴンゴンと蹴った。壊さない程度に。
するとようやく件の子どもが玄関を開いた。
『……』
虫みたいに布団に巻き付いている子どもだった。新月は一瞬何事だと思ったのもつかの間、子どもの雰囲気に僅かながらに一歩、下がる。
子どもは、思ったよりも幼かった。少女、と言うべきその容姿。その容姿は何かリンクするものがあった。思い浮かんだ人物がいた。少女の雰囲気は、あれに似ていたのだ。
「……」
ぽわん、と無言で遠い目をしている少女に新月も自分の中で起こった混乱を押さえて、何度か呼び掛ける。強めに呼び掛けてようやく反応した少女はやはり、似ていたのだ。
そしてどうやら少女に認識されていなかったらしく。ようやく目が合った時、ぞくりと新月の毛並みが逆立った。
奥底まで見透かされそうな、茶色の目。何も見てない、いや見てるようで、やはり、それは違うもの。収容所で、実験場にいそうなからっぽの、目。だがあれと比べるのも、どうなのか、と新月がぐるぐると思考を混ぜ出したところで少女は口を開く。
「……ブラッキー、だ」
名前、いや種族名。ここ最近、滅多に呼ばれることのなかったそれ。馴染みのなかったような言葉に聞こえ、どことなく懐かしいとさえ思えるようになってしまったのだ。
そしてふと、迷いが過る。 真っ白で、世間なんて知らないような少女を、利用するのか?
本当に、この少女、子どもを。子ども、なのに。
「……なんで、ここにいるの?」
幼さなを含んだ声が耳を通り、新月の意識は引き戻される。ぱちり、と目を瞬かせてから小さく嘘を呟いた。
『……迷った』
そして一瞬の間が空く。少女はじぃ、と新月を見たのちに自分の家に誘った。一先ず、安心できるようだ。新月が安堵のため息を吐いていると、少女は思い出したように夢依と名乗った。
『……夢依?』
「うん、よろしくね」
にこりともしない少女、夢依がなにを思っているのかさっぱりわからない。読めない、わからない。
夢依に手招きをされ、その手に吸い込まれるように足を進める新月の足取りはどことなくぎこちなく、重たいものだった。
ここに来る前とは別の迷いが新月の中に生まれていることは、まだ新月自身も気づいていない。
味のなかった一日
(迷った、迷ったんだよ。 ここに来ることも、全部全部)