始まりは、男の言葉だった。
薄暗い一室、照明はすでにその生涯を終えて、窓から射し込む生まれたての光だけが部屋の視界を生かしていた。
そこには一人と、一匹が立っている。男は口角を緩く上げて、愉しそうに、今から何かが始まると言わんばかりに一匹と向かい合っている。
「……マサラに、子どもがいる」
『……それで?』
また面倒な言い方を。と思ったが文句は言わなかった。この男は無駄話こそすれど、呼び出しておいてまで下らない雑談を持ちかけることはないと知っているから。回りくどい言い方は少し腹立たしいが。
回りくどい、なんて会話が成立しないとしようもないだろうに。男は当たり前のように会話を成り立たせた。一匹もまた、口を開く。
「連れてこい」
『理由は』
「ポケモンの言葉がわかるからさ」
『……』
淡々と、会話が成立される。率直に答えられたそれに、一匹は何も切り返さずに訝しげな目を向けた。意味がわからないと言いたげに。
「どうした?」
『……必要性が感じられないな』
いるわけがない、では無く。一匹はすんなりと受け入れたように男の言葉を聞くが別のところに疑問を抱く。
『お前が、その役割だろう。 お前だって、俺たちの言葉を理解している』
「そうだな」
『それなのに、……それも、子どもを』
最後に吐き捨てられたような言葉に男は肩を竦めてくつくつと可笑しげに笑った。
「数が多いに越したことはないだろう? これは貴重な人材だからな」
『……そうだな』
意見することを諦めたのか、ため息混じりにそう呟いた一匹はいつからだと問いかける。今からだ、と答えた男に重々しいため息をついて二つ返事で了承した辺り、こういったことは慣れているのだろう。
『マサラの、どの家だ』
「大きな家だ。 マサラの風景に少し浮いている、まだ新しい家」
『期間は』
「適当に連絡は送る」
『……お前、何を考えている?』
「さてね」
男はひらりと言葉をすり抜ける。針の穴にうまく糸を通すような器用さで。
もう話は終わりなのか男は背を向けてドアノブに手をかけた。
「……たまには休暇もいいだろう?」
『は、……それはそれは、幹部様のお気遣いを受けとりましょうか』
「……うまくやってくるといいさ、“新月”」
それには返事をせずに、一言だけ向けた男は新月と呼ばれた一匹に対してちらりと一瞥を向けて今度こそ部屋を後にした。
残された一匹、新月は男のいた場所を睨み付けてまた、ため息をついた。
『……マサラ、ねぇ』
あんな田舎で、目ぼしいところといえば研究所くらいのものだろうに、目をつけられるとは不運なものだとぼやき、自身もそこを後にした。部屋に射し込んでいた光も、外に暗雲が立ち込めたことにより、部屋は光を失った。