鳴柱である彼女は、俺が鬼殺隊に入る頃にはその柱の地位にいた。鬼殺隊士としての実力は申し分無く、俺の先生でもある元鳴柱に負けず劣らずの実力を誇る者なのだと誰もが口を揃えて言う。上背が女にしてはある方で、なにより雷の呼吸の使い手に共通したしっかりとした体幹に充分な筋肉量をつけて振る舞いも堂々としていて、それでいて麗人であった。そして、異例の柱であると。

 異例とされている理由は、鳴柱は今までに女の隊士がその地位に就いた例がひとつとして無かったからだ。当初は好き勝手にああだこうだと言う隊士が絶えなかったらしいが、実力が確かであるのは話が早い。今では誰もが畏縮するであろう彼女は――あれは俺の姉弟子に当たる人だ。そして、その姉弟子を弟弟子なのだからよく知っていると言えば、嘘になる。

 姉弟子、桑島慈悟郎の弟子。俺よりも先に先生に稽古をつけてもらい俺が先生に拾ってもらえるより前に最終選別を終え、今では柱となっている人。もちろん弟弟子と姉弟子の関係であれば挨拶がてらに先生のご同伴のうえで会話ぐらいはしたこともあった。したはいいが、口を開けば「まずは修行の様子を見せてもらっても?」「次は稽古だ。あなたに必要だと感じた事を教えておきたい」「もうすこしだけ稽古を続けられるかな?」なんて、会話よりも圧倒的に修行やら稽古やらの肉体言語づくしであった記憶ばかりだ。そのおかげか先生や姉弟子の稽古、そして俺の努力の甲斐あり晴れて最終選別を終え隊士になったわけだが。

 姉弟子である彼女がどういう人間かは知らない。隊士たちはおろか周囲の柱達、更には先生に至るまで彼女がどういう性分であるのか詳しくは知らないのだという。先生曰く「彼奴はどこか掴みどころのないようで、随分と抜けているような……まあそんな女子じゃ」と曖昧過ぎるご回答をいただいた。まったくわからないのですが、それは。


 別に隅々まで知りたいわけではない。人格者だろうが偽君子だろうが、大事なのは俺の姉弟子であるということで――その姉弟子が柱だというのならそれを利用する他ない。詰まるところ、気に入られさえすればいいということだ。だとしても相手は柱だ。鬼殺隊に入りたての三下に割く時間はおそらく無いだろう。ただ、これから実戦を積んで成長した姿を見てもらえれば、弟弟子である俺を認知してもらえれば――俺がひとりが、柱になれるはずだ。そして、あのカスを。

 暫くしてそんな姉弟子にもうひとりの弟弟子が出来た――という事は、とっくの昔に先生からの文で知っていたのだろう。俺が言わずとも彼女は知ったらすぐに、弟弟子というだけで俺の時のように稽古をつけてやったのだろう。

 それか、もしかしたら。俺よりもずっと、あのカスを可愛がっていた可能性だってある。
 だってこの光景はそういうことだろ。

 姉ちゃん姉ちゃんと馴れ馴れしく、鳴柱である姉弟子に纏わりつく我妻善逸。任務先で怪我をしたのか芋虫のように包帯で巻かれた姿は情けなく、鳴柱の隣に相応しい鬼殺隊士の姿には到底思えない。そんなカスに対し溜息を洩らしながらも「もうすこししゃんとしなさい」と黄色頭を撫でる彼女の姿がそこにあった。

 ――ああ、馬鹿の方が可愛げがあるとかなんとか、そういうことか? いや、それは女に限る話だったか? どうだっていい。つまりはあの女も、きっと先生も皆同じだということだ。俺への稽古を疎かにしてあの手のかかるカスばかりをよくよく見てやっている。実力を身につけ強くなっていく俺よりも、情けなくびぃびぃと泣き喚き散らかしているあのカスの方ばかりを。
 姉弟子に至っては先生と違い文を寄越した事も無く――まあ俺も送ったことは無いが。それにしたって関わりが無さ過ぎた。どれだけ気に入られようと算段を立てようにも任務の同行もなければ合同任務になかなか顔を出さない柱の一人でもあったからだ。それに、平隊士の内には過度な接触は畏れ多いのだと距離を置いていた。それなのに、どうしたってこんなところに柱様が、平隊士の休養室に? 紛れもなくあのカスの見舞いに来た以外に理由があるというのなら教えていただきたいところだ。

 怒りやら焦りやらで時の流れを一時的に忘れたのか、しばらく立ち尽くしていたらしい俺に声がかかる。姉弟子だ。

 「獪岳、どうしたの? 怪我?」
 「ッえぇ!? あ、兄貴、」

 どうしたの、なんて。それよりもカスの声にぐわりと視界が陰る。湧き上がる怒りを抑えつけるように一礼し、足早にその場から立ち去った。あのカスに対しても頭を下げてしまったことはたいへん癪に障るが今だけは仕方がない。クソ、クソ、クソッ! 思い返せばあまりにも女々しい行動に怒りとはまた違った羞恥の感情がふつふつと湧いてくる――と。

不意に背後に気配がした。



 咄嗟に振り向くとそこには姉弟子の姿があった。ハッと驚く間もなく、ずいっと至近距離とも言える程に間を詰められてしまえば息も出来ずに、流石は麗人と呼ばれるだけあるその容顔を凝視しては――「怪我は?」と。

 「は、?」
 「怪我、したんだから蝶屋敷に来たんじゃないの?」
 「怪我、していません」
 「……そうらしいね。よかった」

 怪我をしていないのは本当だ。そもそもこの蝶屋敷に出向いたのも野暮用のうちで、それもあのカスの居る休養室には偶然通りかかっただけだった。それなのに、あんたが居たから。そんな心の声を彼女は聞き取れるような、妙な耳を持つ奴とは違い理解はしてくれまい。

俺の姿を見つめる姉弟子はどこか納得したようにひとつ頷き、いつの間にかあのとんでもなく近い距離からは離れていった。

 「話していけばいいのに。たしか彼とは同時期に修行をしていなかった?」

 俺が立ち去らないことを確認すると、話す事柄を決めていたかのように聞いてくる。その答えを知っているとも言える確信めいた言いぐさに、なるべくせめて、眉に力は入れまいと構えた心持ちが崩れそうになる。

 「いえ、特に話すこともないので」
 「そっか。まあ、ちょうどいい。それはいいとして、」

 え、なんて声を漏らすより先にぽんと肩を叩かれ、何を言うまでもなく着いてくるようにと圧をかけられる。その方向から行く先があのカスの居た休養室ではないことだけ、まだこの心持ちは保てそうだ。

 どうやらあのカスと仲良くしろだとかそういう腑抜けた用事ではないらしい。となると、なんだ? あの弟弟子とも話をしたからこっちの弟弟子とも形式上会話はしようだとかそういった流れか、或いは稽古でもつけてくれるのだろうか。それなら良い機会に恵まれたと考えられるが。

 もし、もしだ。あのカスに俺の知らないところで今までの先生のように稽古をつけてやっているとして、あのカスが怪我を負ったのだからと序でに俺の修行のためにと稽古をつけるとか、そういうことか? 偽善事業もいいところだ。

 いや、未だこの姉弟子という人間がどういう性分なのかさえわかっていない以上は変に沈吟したところでなんにもなりやしない。一先ずこの姉弟子の向かう場所に大人しく着いていくべき――、。


 「さて、獪岳」
 
 急に名を呼ばれては目線よりも少し低い位置にある彼女の旋毛から目を逸らした。あと少しでぶつかってしまうところだった。辺りはちょうど蝶屋敷から出てすぐの雑木林だった。彼女はというと「ええと、」と言いつつ辺りを見渡していて――どこか座って話せる場所を探しているように見えたのもあり、近くの涼み台を指差し提案すれば「お、気が利くね。ありがとう」だと。そんなにきょろきょろと見渡していればわかるもんだろ。

 ちょいちょい、と手招きをされては彼女の隣へと少し距離を空けて腰かける。早速と言わんばかりに俺の方へ体ごと向ければ、にこりとその容顔を柔らかくした。その表情に、ぐっと足に力が入る。そんな笑みを浮かべて何を話すつもりだ。

 「こうして顔を合わせて話すのは久しいね」
 「……そうですね」
 「今更ではあるけれど、任務や用事は?」
 「この後はありません」
 「そう。なら、話を続けるね」
 「、はい」

 腰かけてからというもの、話の内容の予測が出来ないままでいた。此処に座っている以上、稽古だとか修行ではないのだろう。それなら、なんだ? まさかあのカス、要らない話でもしたってか。それとも、あの平隊士の奴らの戯言についてか?

 「話をしようにも、蝶屋敷だと人も多いし話難いでしょう。
 だから場所を変えたんだけれど……なにも別に、怖いことなんてしない。
 その、畏まらなくてもいいからね」

 そんな、子供をあやすように言われてもな。そう思いつつも、彼女の言葉のなかには俺を思いやる気持ちが籠められているような気がして、不思議と安堵してしまう。

 「いえ、そんな。あの、どういったご用件でしょう」
 「うん。獪岳を私の継子にと思って。それであなたの意見を聞こうと思ったんだ」

 継子。俺を、あなたの継子にと思って。は?
 恐らく顔に出ていたのだろう。俺の表情を見ては、それまで柔らかな表情をしながらも真剣であった様子を崩し、眉を顰めていた。いや、待て。だって今の流れは、おかしくないか? 善逸を、あのカスを継子にするから意見を俺に聞く。それなら納得がいく――いや、いかねぇけど。だが今、彼女は――俺を継子に、と言った?

 「……なぜですか?」
 「え、なぜって」
 「俺達は任務同行も無ければ、話したことも少ないような気がするのですが」
 「ああ、たしかにあまり話したことはないね」

 ほら、そうだろう。あのカスには頭を撫で慰めてやるぐらいに仲が良かったじゃあねぇか。実力のある俺よりも、彼奴ばかりに世話を焼いていて、きっと関わりもあのカスの方が多かったんじゃねぇの。それなのに。

 「あなたの実力や活躍を見込んでのお願いだったつもりなんだけれど。
  もしかして、継子には興味が無いのかな?」
 「ッいや、ちげ……違います」

 慌てて首を横へと振り、馬鹿正直に答えてしまうほどには思考が追い付いていない。さっきの今、今のさっきだ。あのカスと姉弟子、ふたりの光景が脳裏に焼き付いているせいか、なぜ俺が継子にと提案されているのか検討もつかなかった。

 不躾な返答にも気に障った様子もなく、彼女はううんと唸った。

 「そう……ええと、私の見込みだけでは信頼には至れないかな?」
 「そ、ういう訳ではない、です」
 「じゃあ、なぜって?」

 まさか知らないのか――俺が壱の型が出来ないということを。

 いや知らねぇわけがねぇ。先生とは文のやり取りをしていることは知っているし、それに修行を見てもらっている間にも壱の型が出来ないということは分かっていたはずだ。それについては特に指摘されず、他の型の練度を高める修行方法を繰り返し教えられた記憶がある。ただ、雷の呼吸の基本である壱の型が出来ない使い手に、継子になれと? それが理解できなかった。怪訝に思う態度が見破られるような気がして、真っ直ぐと此方を見据えたままの彼女の視線から逃れるように不意に目線を逸らした。

 「ご存じかと思いますが、俺は壱の型が出来ません」
 「うん、知ってるけれど」

 即答だ。知ってるんじゃねぇか。それなのに。

 「それでも、継子になれるのですか」
 「うーん、うん。もしかして継承のことで気がかりに思ってる?」
 「……はい」

 そうだ。そもそも、あのカスと二人でこの雷の呼吸の使い手だとあの先生は言った。それをこの人も知っているんじゃあないのか。それにこの人は、姉弟子として不完全である俺やあのカスの呼吸をどう思っている? この人は、俺以外に、あのカスのことも継子にするつもりか? この人も先生の、ように。


 返事をした俺に対し、彼女はううんともうひと唸りしていた。上背があるわりには座高が低いのか、先ほどよりも低い位置にある彼女の旋毛をじぃと見つめる。暫く考え込んでいたように見えた彼女は、そのまま話し始めた。

 「雷の呼吸の継承自体は一通り新しく書物にも写したし、以前からある書物がある。
 雷の呼吸の門下生は他にもいるけれど、獪岳のように多くの型を完璧に熟せている使い手は、私が知る限りは少ない。
 桑島さんは稀に見る程の雷の呼吸の使い手だったけれど、私はすべての呼吸を極めているわけではない。
 それでも、今の雷の呼吸の継承が出来る実力が私にはあるし、だからこそ柱になれた。
 継承は私が生きているうちは問題ないかなと思ってるよ。私は育手になるつもりだし。
 それに、獪岳。あなたは壱の型が出来なくても充分に鬼狩りを実行できている。
 他の隊士が嫉妬するほどにね」

 耳に入ってくる言葉をひとつひとつ頭の中で反芻していく。それは当たり前のことを淡々と伝えてくるようでいて、しっかりと丁寧に教え込むように説明が為されていった。

 他の隊士が嫉妬するほどに。自覚はある。隊士と言えど筋力やら能力などの実力の差は著しいもので、柱とされている者以外は有象無象のようなものだ。実力の無い隊士は既にこの世をとっくに去り、また有象無象のひとり達が隊士として繰り出されるだけだ。その中でも俺は努力の甲斐あってかそこいらの隊士よりずっと秀でている自覚はある。充分な実力があるといえば、俺はそれに値する。

 「獪岳が強いのはあなた自身も、私も、元鳴柱も。
 もちろん周りの隊士だって知っているでしょう?」
 「……、」

 この、まだ得体の知れていない姉弟子に対しての最適解が分からずに、口を開いたはいいものどう返すべきかと考え倦ねているうちに「あ、」と先に彼女が口を開いた。喉が渇かないのか、そんなに喋って。

 「そうだ。ごめんね、善逸から聞いたんだ。他の隊士、当たりが強いようだね」
 「ああ、……彼奴から?」
 「うん。それはただ僻んでいるだけなんだから、その隊士達のことは知らんぷりでいいと思うよ。
 善逸も嫌味ったらしく自信満々に言うくせに僻んでるような音させてなんだかムカついただとか、あれこれと聞いたの」

 あの時の、アレか。カスが俺の悪口だのなんだのと言い訳して揉め事を起こしたとかいう――それよりも告げ口しやがって。なんでもかんでも先生やら上の者にぎゃあぎゃあと言えば解決するとか考えてるんじゃねぇだろうな、あのカス! そもそもそれを気にするだけの暇は俺には無い。それに、他人である俺のことについてムカつくこと、ないだろうが。

 「どの隊士だか知らないけれど、知りもしないのに人の事をどうこうだと陰口叩いているような人間はそのうちに消えていく。
 そんな人の言葉は耳に入れなくていい。だって付き合ってられないでしょう、そんな戯言に」

 くすくすと笑いながらも放たれる言葉は現実的だ。「まあ獪岳は、気にしていないでしょうけれど」と続ける彼女はそれまで交わっていた視線を外した。


 「知ってるとは思うけれど、女の鳴柱なんて前代未聞だ。
 皆して実力不足だとか媚び諂っただのと言ってきてね。
 最初こそ気になりはしたけれど、今ではそんな戯言聞いてられないからね。
 私たちは鬼を狩るために、生きるためにここにいるんだから」

 うんうんと頷きながら言葉を紡ぐ彼女になにか返そうにも肯定以外の言葉しか見つからない。そうだ。俺は先生から教わる呼吸を身に着け、もう二度と見下されぬように、俺という人間を認めさせそれに見合った人生を歩むために――とにもかくにも、生きるためにここにいる。その手段のひとつとして、ここにいるわけだ。

 姉弟子の印象は先程よりもずっと柔らかな雰囲気だと感じる。どこか彼女が気を許した相手に見せるような表情で話していたからだ。それか、俺も気が緩んでしまっているのか。多分これは、どちらでもあるようだ。気付けば吐息を漏らすようにして笑っていた。

 「……は、そうだよな」
 「うん。ふふ」

 ああ、笑った。目を細めて笑う彼女の容顔に見惚れていた。思い違いではないとわかる程に目許や額に容易く熱が集まっていく。なんだ、この、安心するような、寧ろ鼓動が速くなるような、この、状態は。
 修行ばかりに身を挺していた割にはあのカスのせいも一理あるものの、どこか女という存在を蔑ろに考えていた思想が吹き飛ぶ程に、意識をしてしまっていた。どこまで気が緩んでいるのか検討もつかない。すっかりと敬語が抜け落ちてくだけた口調を誤魔化すように、口早に言葉を続けた。

 「活躍と聞きましたが、俺は下弦や上弦の鬼は斬ってはいませんが。
 もしかして合同任務などで、ご一緒でしたか?」
 「ううん、違うよ。でもずっと見てたよ」
 「は、」

 どこまで気を緩ませるつもりだ。いや、今のは緩むどころか張り詰めさせられた。見ていたとはなんだ、まったくわからない。思わず口から零れていった既に自覚済みの地を這うような声色での素の返しに焦る間もなく、彼女は首を振った。

 「あ、ええと。この言い方だと気持ちがよくないね。
 見ていたというよりは、獪岳の活躍ぶりは自然に耳に入ってくるものだから。
 雷の呼吸を使ってるうえに、私の弟弟子だからね。獪岳の活躍はちゃんと知ってるよ」

 どうやらこの鬼殺隊は小さな村の狭さと同様らしい。いつの間にか姉弟子である、しかも柱である彼女の耳に入っていたとは。

 俺が直々に任された形の任務は失敗に終わったことはない。実力以上の鬼が出れば迷わず逃げながらも応援を呼ぶための烏を飛ばし、他の隊士との合同任務でも無駄な言動はせず、そいつらが頼りないと判断すれば実力で黙らせた後に指揮を執り、俺だけでも逃げられるのなら逃げに徹した時もあった。鎹鳥は報告に困ることはないようだが、判断が些か冷酷ではないのかと小言を並べられたこともあったが問題はないだろう。

 だがこの姉弟子、俗に言う聖人君子じゃあないのか? 俺の今までしてきた行動を、どう思っている? 被害を最小限に任務遂行効率を最速にと、俺の行動は全て鬼を狩ることにしては正しいと自負している。 だが、あの善逸との交流、それに先生の下に居たこともある。名は体を表すというように、あのふたりは――善意の人であろう。だが俺はどうだ。そうじゃあない、そんなものはくだらないと一蹴してきた。

 こんな俺だろうと、この人は。

 「獪岳はその階級で指揮の代わりを務めたり、階級以上の働きをしてくれているでしょう。
 鍛錬も怠らず、体調その他諸々の自己管理も徹底している。
 人の迷惑にならないように、自分も迷惑を被らないようにと自制できている。
 獪岳のように隊士として律することなんて……私でも到底及ばない」

 ――馬鹿らしく思えてくる。疑うだけ無駄なのかもしれないな、この人に関しては。
 如何にも純な気持ちで話され、いつの間にか頬や首にまで熱が回ってきたようだ。

 「ふふ。ここまでしゃんとしている隊士は見かけないってことだ。
 考えれば考えるほど……よく、成長したなって思うよ」
 「……ありがとう、ございます」

 なら、あんたは人を褒めることに長けているんだろうな。そんな言葉を飲み込んで礼の言葉を告げたが、思いのほか小さな声量だった。
俺と言う人間を、離れた場所から見ていたことが嘘ではなかったことを確と受け止めた。理解をさせられた。

 「……私ばかり喋ってしまったね。
 今更だけれど、あなたはあまり他の隊士とも交流をしないようだから……、善逸とも。
 だから、私もなるべく声をかけないようにしていたんだ。迷惑じゃあなかった?」 
 
 きっと彼女も気が抜けているのだろう。不安気に眉を下げ俺の様子を伺うように聞かれたら、いいえと言う他ない。そんな、嬉しそうに笑いやがって。次には「じつは話しかけようとしたんだけれど、何度も諦めたの」なんて。そんな笑みを浮かべて言うな。これ以上は熱が集まらない。

 「……いえ、とても嬉しいです。
 俺も、今更ではありますが修行時代に稽古をつけてくださり、ありがとうございます」
 「いいえ。……ふふ、礼儀正しいんだね」

 ここまで素直に純な気持ちで言葉を交わしたのは、いつぶりもなにも、初めてだ。それに気付けばすっかりと胸に渦巻いていた善逸への怒りは落ち着いていた。心なしか幼い頃から気にはなっていた胸の内にある隙間風を感じるような寒さも、今は不思議と感じない。胸の内が、温かい。もう手放したくない。どれだけ寒く凍え死にそうな日も超えてきたというのに、これだけは、もう。

 「さて、どうする? 私はあなた以外考えられないけれど、獪岳は?」

 緊張感なのかどんな理由からはまだ認めたくはないが、じっとりと掌に滲む汗が、更に酷くなる。俺以外考えられないだとか、そういう言い方は誤解を招くと思わないのかこの人は。俺の動揺が伝わっていないはずもないが、かくいう彼女もどこか必死な様子にも見える。継子の件で合っているよな?

 「私は姉弟子だけれど、だからって私の下につく必要はない。
 ……だからあなたが決めることだよ、獪岳」

 ――継子の話なのだと理解こそしていたものの真剣に告げられてはほんの少し落胆している自分に、嫌気が差す。冷静になれよ。相手は鬼でもなくただの女――いや、ただの女で済む女性ではないが。
 全くの見当違いである思考をしているときっと思いもしないだろう隣で返事を待つ彼女に、答えは決まっているのだからと向き直った。

 「ぜひ、よろしくお願いします」
 「、いいの?」

 なんだ、断られるとでも思っていたのか。存外自信が無いのか俺の表情が堅かったせいか、不安にさせていたのだろう。彼女は俺の言葉に驚いた様子だった。そうか、不安にさせていたのか。常に言葉を選び考えながら口にしてきたつもりだったが、そう思ってしまえば自然と口に出るものらしい。

 「はい。
 俺も……あなた以外考えられません」

 言ってしまえばなんとでもない、なんとでもなれ。そんな思いとは裏腹に未だに顔面に集中していた熱は発散されず――おい、待て。こんなに熱く感じるのなら彼女から見たら俺の顔はどうなってる? まさか茹蛸のように真っ赤だとか、そんな情けない姿になって――、。

 「ふふ、うれしい」

 ――彼女の容顔は見れば見る程に気が付くことが多い。先ず、鳴柱として聞いていた麗人である印象からはすこし遠ざかって代わりに大和撫子のような雰囲気に。そして、今ではすっかり幼気さえ感じる程に愛らしく思えるのだ。この顔は俺だけにしか見せてほしくない、見せるな。危うく言いかけた言葉を必死に飲み込み、どんどん小さくなっていく声量は遂には最小になり「おう」と絞り出すように返したのだった。





後日談

 これは後に知った話だが、蝶屋敷から出てすぐの雑木林の中で男女が涼み台に座り、真剣に且つ互いを思う言葉を掛け合い、ふたりの雰囲気は初々しい恋物語の如く甘いものだったという。第三者から見た俺達の様子を知っている理由はひとつしかないだろう。見られていた、あの柱様共に。序にどうやら平隊士のひとりふたりも見ていたようで、その中にはあのカスも居たそうで。やってらんねぇよ。
 あまりにも初々しいものだからなにかの演劇を見ているつもりになっていた――特に恋柱やら音柱やらの大衆娯楽を好む奴らは「あの鳴柱が」と盛り上がっていた。恋仲だのなんだのと騒ぎ立てられ、俺はというと柱よりも立場が弱い故に、ただ羞恥に打ち震えることしか出来なかったわけだ。

 そんな話を面白おかしく聞かされる立場に居たのはなにも俺だけではない。姉弟子である彼女もそのひとりで、彼女曰く必死すぎて見られていたことに気付けなかったのだと謝られた。おい、別に謝る必要なんて――「こんなに美丈夫なのに私と勘違いされちゃあ恥ずかしいね」なんて。存外でもなんでもねぇな、自信が無いのは確からしい。それになんだ、美丈夫って。俺の鼓動だとかをいち早く聞きつけたカスが「兄貴からしたことない音して、」と、要らんこと言い切る前に一睨みすれば汚い悲鳴をあげて黙った。てめぇ、まだこの人に撫でられていたこと忘れてないからな。
 それよりもだ。これ以上優位に立たれるのは御免被りたい。彼女は優位に立っているつもりはまるでないだろうが、発言のひとつひとつにこれ以上発熱してたまるか。まるで持て囃されるように盛り上がっている状況下とはいえど、事実は皆わかっているらしい。ただ、今はとにかく、からかいたいのだ。特に音柱は。鳴柱という者が存外馴染みやすいのだと気付かれてしまったのは、俺にとってはかなりの不都合だ。そしてその事実は一旦伏せておき、未だに俺に助勢するような言葉を皆に掛ける彼女に「先生に、元鳴柱様へご報告に参りましょう」と、多少の無礼だと自覚しながらも彼女の背を撫で、周囲への牽制のつもりで伝えたのだ。

 尚、その後の彼女の反応からして、互いにあながち『勘違い』ではなかったことを知った。俺のこっぱずかしい茹蛸面をうまく彼女に移すことが出来たのだ。照れた顔はいっそう幼気な少女のようで、思わず喉を鳴らして笑ってしまった。


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