(安→←本) (※ちょっとだけ未来設定) 「ありがとな」 呟かれた言葉は前後の文脈から切り離されて、ひらりと宙に舞った。――まるで、俺らの間に降る桜の花びらのように。 (……ああ、駄目だ、そんなのは詩的に過ぎる) 咄嗟に浮かんだフレーズは、我ながら機嫌を降下させるに足る悪趣味な喩えで、俺は思わず眉根を寄せる。 「……何、それ」 そのまま唸るように言ってやると、俺の表情をどう取ったのか、相手はちょっと肩を竦めて「お前、何言ってもそんな顔するな」と笑った。 こいつの話はいつもこんな風に唐突で、脈絡がない。だから俺の方は意味を斟酌する努力を強いられて、そのあとなんで俺がわざわざ、と気付いてさらに苛立つのだ……大抵、そこに大した意味なんかないのに。 「言いたいことはそれだけ?」 苛々と会話を断つように言うと、 「しかも俺と話すときだけやたら短気だしよ。あ、でも、それって特別ってこと……」 「頭湧いてんじゃないの」 ひでぇ、とバカ面で笑う相手。本当、心底気持ち悪い。 こんなのが俺の……最悪なことに、「幼なじみ」という範疇に入ることが、俺にはずっと許せなかった。そういう素敵な響きの関係は、美っちゃんだけに許されたレッテルであってほしかったのに。 そんなことをつらつら考えているうちに、相手はふたたび何か発言したらしい。目の前のバカ面に意識を戻すと、 「お前……今聞いてた?」と、呆れたような声。 こいつにこんな顔をされるなんて甚だ心外だ。俺はむっとして、さらに機嫌を降下させる。 「何なの、さっきから。用があるなら手短に言ってよ煩わしい」 「だから俺、引っ越すんだって」 ……え、 何それ、と呟いた心の中の言葉は、もしかしたら声に出ていたかもしれない。それを思い出せない程度には、俺は動揺していた。……不本意ながら。 相手はそんな俺の様子には頓着せず、こんなときばかり饒舌につらつらと並べ立てる。 「いやあ、いきなりだったからまだどこの高校とか決まってねえんだけどよ、なんかテストもっかい受けないといけないっぽくてさあ。せっかくこっちで受験したのにマジ損した気分だっつの」 馬鹿安田、そんな話はどうでもいい。俺はもどかしく思いながら、続きを待つ。 「しかも、卒業してからってのがまたひでえよなあ。俺、こうやって自分でアピールしないと見送ってもらえねえじゃんか」 ああもう、 「……何が言いたいの」 思わず催促の声を上げると、「えっと、だから……」と相手は言葉を探した。 ――いやだ、聞きたくない。咄嗟に胸中で矛盾した声が上がって、俺はにわかに戸惑う。……自分で聞いたくせに、今さら何を。 「今まで、ありがとな。せっかく高校も一緒だって思ったけど、やっぱ無理っぽい」 ――ああそう、清々するよ。やっとお前と縁切れるんだね。高校まで一緒って憂鬱だったんだ…… 口にしようとしたそれらの言葉は、なぜだか喉の奥に引っかかっていつまでも出てこなかった。引っかかった言葉はそのまま蒸発して、つん、と鼻の奥を刺激してから吐息になる。 俺がそんな風に持て余しているのを見つめて、相手はもう一度笑った。その、どこか達観した笑顔に、心がざわ、と波立つ。 「……お前は俺のこと嫌いでもさ、俺は、お前のこと」 風が、吹く。 桜の花びらは狂ったように舞い散って、俺らの間を吹き荒れた。ピンク色の洪水に呑まれながら、俺は今の言葉が風にさらわれないように、必死に胸に繋ぎとめる。 「……それだけ。じゃあな」 ひらり、手のひらを翻して、相手は踵を返した。 背中は、追えない。追い縋る資格など、俺にはない。――だって、呟かれた言葉は過去形だったから。 「――、」 姿が消えてから呟いた言葉は、あいつのように過去形にはならなかった。 タイトルは某CDアルバムから 20110118 (back) |