(御手本→本好) (発病前設定でいろいろ捏造) 出席番号二十八番、十月生まれ、十四歳、たしかAB型。 つらつらと頭の中で並べながら、僕は彼、本好暦の後ろ姿を眺めていた。随分離れた席に座ってはいるが、一応教科書を読むふりも忘れてはいない。 というのも、一度無遠慮に眺めていたのを見咎められ、美作君を伴って理由を問い質された苦い経験があるためだ。それ以来、彼の観察は秘密裏に、かつ隠密に行うことにしている。彼や友人がどうこうというより、彼や友人の口から彼の家族に漏れるのが厄介だと思ったためだった。 僕の両親は、僕が物心つく頃、ともすればそれより前から本好家のことを忌み嫌っていた。はじめは彼の両親だけが対象だったが、学年が上がるにつれて、つまり成績という概念がはっきりするにつれて、彼も対象に加わった。特に父のそれは露骨で、定期考査の度に彼を――「あの女の息子」を、打ち負かすようにと息を巻いた。 僕はそんな父が嫌いではなく、生来の負けず嫌いな性格も手伝って一緒に闘志を燃やしたりしていたけれど、心中では親同士の諍いを子どもの付き合いにまで持ち込むなんていうのは前時代的だとひそかに思っていた。 そう。僕は両親のように、本好君が嫌いなわけではないのだ。むしろその知性に一目置いてすらいる。 もちろん対抗心がないではないが、それよりも彼と知的な意見の交換をしたい、という欲求の方が勝った。――彼に比べて、なんとクラスの連中の凡庸なことか! というわけで、僕は彼と共通の話題を見つけるべく、今年に入ってからずっと彼を注視している。……美作君に「オメー何でこいつのことジロジロ見てんだよ」と問い質されたときに、返答に窮した僕の気持ちも幾ばくか察してほしい。 例の糾弾事件以来、一層警戒されてしまったせいではかばかしくなかった状況に、ようやく転機が訪れたのは最近のことだった。 まず、あんなに一緒にいた美作君と、彼がここのところあまり行動を共にしていないことに気がついた。これは僕にとって非常に好都合だ。彼が一緒では知的な意見も何もあったものではないし、何より単に話しかけにくい。 そしてもうひとつは、彼が一人のときに読んでいる文庫本だ。カバーをしていて分かりづらかったが、彼が席を立ったときに思い切って調べたところ、それは彼が今年の初めに読んでいたものと一緒だった。どうやら再読しているらしい。 僕も触発されてその本を読んだので、今ならば意見が言える。 諸々の符合から、今しかない、と僕は思った。 放課後の教室で、僕は計画犯罪の犯人のような心持で居心地悪く座っていた。 本好君は日直で、じきにごみ捨てから帰ってくる。同じく日直であるはずの美作君は、部活だとかで早めに出て行ったのを先ほど見届けていた。 僕は鞄から例の文庫を取り出して、殊更表紙が見えやすいように構えた。 何度も読み返すくらいだ、きっと思い入れのある作品に違いない。こうしているのを見れば、向こうから話し掛けるところまでいかずとも、何かしら反応を示してくるはずだ、そう思ったのだ。 やがてがらりと教室のドアが開いて、空のごみ箱を抱えた本好君が戻ってきた。僕は思わず身体を強張らせる。心臓が早鐘のように鳴った。 本好君は教室に入るなり、ただ一人残っている僕に一瞥をくれた。が、すぐに興味をなくしたように視線を逸らし、日直の作業に戻ってしまう。 そのままいくら待っても彼は僕にも、僕の持つ本にも興味を示さなかった。そればかりか自身の机に戻って帰り支度を始めたので、僕は慌てて、あのさ、と声を上げた。まるでたった今気付いた、という風を装ったつもりだが、果たして彼の目にはどう映っただろう。本好君はようやく顔を上げてこちらに視線を向けた。いつも通りの低温の視線。 僕は浮き足立った心臓を宥めるように深く息を吸って、準備していた台詞を吐きだした。 「この前偶然見かけたんだけど、君もこれ読んでるだろう?」 緊張のために早口になったその台詞は、わずかに上擦っていた。本好君は何も言わない。 「いたくお気に入りのようだから僕の考察を採点してほしいと思ってね」 彼は無言でこちらに視線を寄越し続けている。先を促しているのだと前向きな解釈をして、僕は口を開いた。 「まず、全体に読みごたえはあったけど話の統合性が今一つだと思ったな。主人公が特異すぎて感情移入しづらかったし、放火の動機が「美しかった」っていうだけじゃ希薄だと思わないかい? それに友人――鶴川だっけ? が主人公みたいな奴と付き合うのも御都合主義的だし、あんなに一貫して破滅的な奴が最後に生きようと思った、なんていきなりまっとうなことを言い出すのも気に食わなかった」 一息にそう言い切って、僕は全身を心臓のようにさせて彼の反応を待った。緊張のあまり口の中が乾いて、喉の奥が張り付いて不快だ。 本好君は表情を微塵も変えず、やはり一言も喋らなかった。その永劫にも似た時間を経たあと、やっと口を開いた彼が言ったのは、「ふうん」という一語、ただそれだけだった。 そのまま鞄を手に取って教室を出ようとするのを、僕は裏切られた心地で茫然と見つめる。ドアに手をかけたところまで見送ったところで、我に返って慌てて呼びとめた。 「あ、あの、もし良かったら君の意見も聞かせてくれないかな」 こんな風に下手に出るのは屈辱的には違いなかったが、僕はそれよりも彼の意見に興味があった。 本好君は振り返ると、やはり温度の低い視線を僕に向ける。僕が思わず生唾を飲み込んだところで、彼は億劫そうに再びその薄い唇を開いた。 「俺は君とは別のことを思った」 仕方なしに呟かれたその言葉に、僕は飛び付くように返事をする。 「別? 別っていうのは?」 ふう、というあからさまな溜息。 「……俺にとっては統合性とかは二の次なんだよね、もともと実在する犯罪者の軌跡がベースなわけだし……それより興味があるのは主人公の心の動きの方だよ。気持ちが理解できる、とまで言ったら驕慢だけど」 本好君はそこで言葉を切ると、 「少なくとも君よりは近しく感じられたよ」 と、意味ありげな視線を向けた。僕は途端に顔に血が昇るのを感じる。――見透かされている、唐突にそう思った。 僕の動揺には微塵も注意を払わず、本好君は涼しい顔で先を続ける。 「ああ、でも理解が不可能である以上、可能性がある、という意味での近しさだけどね……そうだな、たとえば、俺だったら友人を利用するかもしれないし、恩人を内心で嘲るかもしれないし、妊婦を堕胎させるかもしれないし…… 」 そこで言葉を切って、本好君ははじめて微笑んだ。 「――金閣は燃やしちゃうかも、っていう意味の近しさかな」 滑稽なことに、そのときちょうど西日が差して、あたかも教室中が燃えているかのような色合いに染まった。本好君の白い頬にも、僕の頬にも、血潮のように赤が差す。 なんだか気圧されてしまって二の句が継げないでいる僕に、本好君は「それじゃ」と短く言って、そのまま教室を後にした。――一瞬見えた横顔が、なにか凄絶な表情に見えたのは僕の気のせいだろうか? けれど僕は確かめるすべを持たないまま、去ってゆく本好君の赤い背中をただただ見送った。 夕日はあっという間に沈んで、あとに残った燃えかすのような赤黒い闇が僕を包んでいた。 嵐の前のスカーレット by nostalgia 20101115 (back) |