朝日が昇る前に目を覚ます。虚ろな瞳が、まだ覚醒状態にないことを物語っている。
まだ朝と呼べない薄暗さと気温が、エリザベッタにとっての朝だった。









夜が明けてすぐ。新人エクソシストのアレン・ウォーカーは食堂の入り口付近で佇んでいた。
昨日、リナリーに案内されてから、食堂は気になっていた場所の一つで、夜更けの筋トレ明け、大食漢というのも相まって、とてもお腹がすいているのだ。
しかし、昨日は下見程度に案内されただけで、どのように頼めばいいのか、全くわからないのだ。誰かに聞こうにも、ガヤガヤとみんな楽しそうに話をしているので、話しかけづらい。
どうすれば…と戸惑っていると、後ろから、トントンと肩を叩かれ、アレンはゆっくり後ろ振り向いた。

「おはよう、昨夜はよく眠れた?」

昨日と同じ黒いドレス調の団服を身にまとった、イタリア系には珍しい金糸のような髪の毛をした少女が、ふわりとした笑顔を浮かべていた。

「エリザ…」
「どうしたの?そんな顔して」
「実は…」

かくかくしかじかと訳を話すと、エリザベッタは一瞬目を丸くしたあと、クスッと笑って、アレンの肩に手を置いた。

「なんだあ、そんなことだったんだ」
「笑い事じゃないですよ…」
「大丈夫だよ。みんな優しい人たちばかりだもの!」

そう言うと、エリザベッタはにこやかにアレンの手を引いて歩き出した。
途中、誰かに話しかけられると明るく返し、「この子、新人のエクソシストなの。任務が一緒になったらフォローしてあげてね」と付け足した。行く先々で言うから、まるで、弟の世話を焼く姉のようだった。…なんだか恥ずかしくなったので、アレンは考えるのをやめた。

「Bセットお待ちどーん!」

エリザベッタに連れられてたどり着いたのは、格子で区切られたカウンターのすぐ傍。厨房の熱気が外にまで伝わり、それと一緒に美味しそうな匂いが、アレンの鼻孔をくすぐる。

「お次は何かしらー?」
「ジェリー!」
「あら、エリザじゃなぁい!!…アラん!?新入りさん?」

カウンターから体を乗り出したのは、料理長のジェリー。男よりもたくましく、女よりも気高い、まさにスーパーおネエ様(笑)なのだ。
アレンはジェリーの見た目に違わない濃いキャラに戸惑い身動ぎする。エリザベッタが「アレン・ウォーカーくん。エクソシストになったんだよ」とアレンを紹介すると、「んまーこれまたカワイイ子が入ったわね――!」と瞳をキラキラと輝かせた。

「何食べる?何でも作っちゃうわよ、アタシ!!」
「何でも…それじゃあ…
グラタンとポテトとドライカレーと麻婆豆腐とビーフシチューとミートパイとカルパッチョとナシゴレンとチキンにポテトサラダとスコーンとクッパにトムヤムクンとライスあとデザートにマンゴープリンとみたらし団子20本で」

実に、デザート含め16品。カウンターにいるジェリーも、エリザベッタも空いた口が塞がらない。

「あんた、そんなに食べんの!?」
「すごーい…」

しかも全部量多めときた。パチリと二人は目を見合わせ、そしてもう一度アレンを見た。背丈はエリザベッタの妹分、リナリーとそんなに変わらなかったし、それに体躯は細い。エリザベッタも小食ではないが、精々行けてもグラタンとポテト、ドライカレーをなんとか食べて、苦しみながら麻婆豆腐を一口食すぐらいだろう。
そういえば、昨日アレンが発動していた対アクマ武器は鋼鉄の腕だった。寄生型のイノセンスの所持者なら、体力の消耗が激しいので、その分を食事で補う。きっと、アレンは寄生型なのだろう。

「…エリザ、アンタはどうする?」
「私は、そうだなあ…」

「んだとコラァ!!」

無難にAセット、いや、パスタに…と言葉をこぼしていると、食堂中に力強い声が響き渡った。中央に、白い団服姿の者たちが集まり、その中心には大柄な体躯の探索部隊――ファインダーのバズが、誰かに怒りの声を上げていた。
バズの広い背中に遮られよく見えないが、エリザベッタは確かに、黒い団服に高く結い上げた黒髪のポニーテールを見つけた。彼がまた、何か言ったに違いない。

「私、止めてくる!!」
「あ、エリザ!」
「エリザ、アンタ何にすんのーー!?」
「サンドウィッチ!チキンと野菜たっぷりの!!」

さりげなく注文をしながら、騒動の原因である場所に駆け出した。



「うるせーな」

ぱちん、と箸を麺つゆの入っている器に置き、顎に手の甲を添えた。神田の後ろには、神田の発言に腹を立てた、ファインダーのバズが拳をきつく握り、その瞳には、涙を流していた。

「メシ食ってる時に、後ろでメソメソ死んだ奴らの追悼されちゃ、味がマズくなるんだよ」
「テメェ…それが殉職した同志に言うセリフか!!」

同志などではない。神田は心の中で嘲笑った。
神田の同志は、8年前に自分が壊したあいつだけ。それ以外、自分に同志などいないし、作るつもりもない。当然、背後にいる男もそうだ。そして、彼女も…。

「俺たちファインダーは、お前らエクソシストの下で、命懸けでサポートしてやってるのに…それを、それを…っ、メシがマズくなるだと―――!!」

仲間を愚弄され、バズの堪忍袋の緒が切れた。拳を後ろに振り上げ、ものすごいスピードで神田に殴りかかった。
しかし、神田にはその拳が止まって見えた。顔をめがけて振り上げされた拳を難なく躱し、反対にバズの太い首を締め上げ、いとも簡単にその大柄な体躯を持ち上げた。
神田は、バズを鼻で笑い、その整った顔立ちからは想像できない、辛辣な言葉を投げつけた。

「“サポートしてやってる”だ?違げーだろ。“サポートしかできない”んだろ。お前らはイノセンスに選ばれなかったハズレ者だ」

的を得た言葉は、ファインダーの胸に突き刺さる。それぞれが悲痛な表情をして、何も言い返すことができない。
結局、自分たちはエクソシストのサポートはできても、アクマを倒すことはできないのだから。

「げふっ」
「死ぬのがイヤなら出てけよ。お前ひとり分の命くらい、いくらでも代わりはいる」
「待って!!」

ぐっ、と首を掴む手に力を込めたとき、ソプラノの声と共に、白い手が神田の手を掴んだ。
視界の端に、見知った金髪が映る。自分を見上げる宝石のような赤い瞳が必死に訴え掛ける。神田は怪訝な顔を隠さず、自分の手を掴むエリザベッタを睨む。

「おい、エリザベッタ。手を放せ」
「じゃあもう止めよう?仲間内でケンカなんてしちゃだめだよ!」
「こいつらが先に仕掛けてきた。それに、俺はこいつらのこと仲間だと思ってねえよ」

冷たい物言いは今に始まったことではない。エリザベッタは負けじと神田を睨み返した。

「みんな世界のために戦ってる。誰の命も代わりなんてないの、私たちとの立場に優劣なんてないわ」
「優劣?そんなの決まってるだろ。俺たちは力を持ち、こいつらに力がない。足でまといになるやつはいらねぇよ」

神田がその言葉を紡いだ途端、食堂の空気が冷え切った。エリザベッタは赤い瞳を鋭くさせるが、神田はその視線すら苦としない。孤高の剣士。彼は自分にも厳しいが、他人にも厳しかった。
誰か、止めてくれ。食堂にいる人間全ての思考が一致した時だった。

「ストップ」

そして、その救世主はモノの数秒で現れた。
未だバズの首を掴んでいた神田の手首を掴み、神田と対峙していたエリザベッタの肩をやんわり掴み、まるで神田と離れさせるようにその肩を引いた。

「関係ないとこ悪いですけど、そういう言い方はないと思いますよ」
「…………離せよモヤシ」
「…アレンです」
「はっ。1か月でくたばらなかったら覚えてやるよ。ここじゃパタパタ死んでく奴が多いからな」

「こいつらみたいに」と加え、冷笑を携えた。またそんなことを言って、とエリザベッタは胃が痛くなる思いだった。
しかし、アレンはその挑発にも怯まず、イノセンスの宿る左手に力を込め、神田の手からバズの首を離した。

「早死するぜお前…キライなタイプだ」
「そりゃどうも」

まさに一触即発。エリザベッタはもうすっかり蚊帳の外でアレンの後ろでオロオロしているだけだった。
自分はどうにもケンカを止めるのが下手みたいだ。今度からリナリーを呼ぼう、とエリザベッタは心に誓った。

「あ、いたいた!神田!アレン!エリザ!」

今にも昨日の続きをしそうな勢いのアレンと神田であったが、廊下から自分たちの名前を呼ばれ一旦争うことを止めた。
呼ばれた一人であるエリザベッタも廊下を見れば、大量の資料を抱えているリーバーと後ろに控えているリナリーがいた。

「10分でメシ食って司令室に来てくれ。任務だ」

リーバーの一声で、食堂の雰囲気が一転した。そして、任務と聞いた途端、神田がアレンから離れ、きびきびと何事も無かったように食器を返却しに行った。その際、アレンを睨むのを忘れずに。
すっかり食堂に来たときのようにざわついた空間に拍子抜けしたアレンだが、もちろん、そんな暇を与えられるほど時間は優しくない。

「こうしちゃいられない!アレン、ご飯食べよう!ていうかあの量10分で食べられる?」
「え、あ、それは楽勝です」
「まあ、食いしん坊ね」

これを食いしん坊と言えるエリザベッタは人間の皮をかぶった天然記念物だろうか。
ふふっ、と微笑みながらアレンの手を引いてカウンターに向かったエリザベッタ。出口には神田の姿が見えたが、流石に声をかけることはできなかった。

「アレン」
「はい?」
「さっきの、気にしなくていいからね。あの人、自分が気に入らない人には子供みたいに突っかかるから…」

しゅん、とあからさまに落ち込んでいるエリザベッタにアレンは「大丈夫ですよ」と気にしてない風を装った。本当は思い出すだけで腹が立つけど、エリザベッタを悲しませるのはいけないような気がして、顔に出さないようにした。
そんなアレンの優しさに気づいたエリザベッタは、申し訳なさそうにしてから、ジェリーからサンドウィッチを受け取った。









10分後。アレンのブラックホールの如き吸引力のお陰で、指定された時間になんとか間に合った。すでに神田は司令室で待機しており、アレンを見た瞬間チッ、と舌打ちを漏らした。
足の踏み場がない司令室だが、リーバーは慣れた様子で容赦なく資料を踏みつけ、資料で埋まった机で不貞寝しているコムイに近づいた。何度も声をかけたり揺すったり、しまいには殴ったりしたが、起きる気配がない。
そしてリーバーは、あの魔法の呪文をコムイの耳元で囁いた。

「リナリーちゃんが、結婚するってさー」
「リナリィィー!!!お兄ちゃんに黙って結婚なんてヒドイよぉー!!!」

あら不思議。殴っても起きなかったコムイ君が一発で起きた。

「悪いな。このネタでしか起きねェんだこの人」
「面白いよねぇこれ。どうなってるんだろうね?」

純粋に面白がっているエリザベッタを他所に、他の同僚たちは一歩下がってコムイの奇行を引いて見ていた。実の妹のリナリーでさえ顔色を悪くして居心地悪そうに佇んでいる。
初めて見たアレンは相当衝撃を受けただろう。


「さて、時間がないので粗筋を聞いたらすぐ出発して」

あれから自分をウジ虫か何かを見ている(若干1名を除き)彼らに気づいたコムイは、徹夜明けを理由に自分の奇行から話題を変えた。
リナリーから資料を渡されるが、その資料の内容がみんな同じ物だった。

「三人チームで行ってもらうよ」
「「ゲッ」」
「え、何ナニ?もう仲悪くなったのキミら?エリザちゃん大変だねぇ」

他人事のように軽い調子で言われ、アレンと神田の間に座っているエリザベッタは苦笑を隠すことをしなかった。

「でも、ワガママは聞かないよ。南イタリアで発見されたイノセンスがアクマに奪われるかもしれない。早急に敵を破壊し、イノセンスを保護してくれ」

先ほどまでの軽い雰囲気は一変し、室長の威厳を感じさせる佇まいで告げた。
それに伴い、睨み合っていたアレンと神田、そしてエリザベッタの表情は真剣なものへと変えた。










「アレン、来ないねえ」

地下水路はたった一つの灯りで周りを明るく保っている。任務に出るエクソシスト・ファインダーはこの地下水路を通って外界に出る。
エリザベッタと神田は、未だ来ない新人エクソシストと室長を待っている。壁に寄っかかり、ブーツの爪先を眺めながら呟いたが神田からの反応は無かった。
いつも通りのことだ、とエリザベッタは特に気にすることなく喋る。

「二人でアレンのことサポートしないとね。アレン、初めての任務だし」
「そんなことはお前一人でやれ。俺はアクマを破壊するだけだ」
「また言ってる…さっきのことまだ引き摺ってるの?」
「引き摺ってんのはお前だろ」

エリザベッタの子供を宥めるような言い方に嫌気がさし、ピシャリと言い放つ。朝、明らかに彼女は自分に反感を抱いていたし、アレンの肩を妙に持つから気にしているのだろうと思った。
しかし、エリザベッタは存外何でもなさそうに答えた。

「自分の言ったことを曲げるつもりもないけど、神田の言ってることが間違ってるとは思ってないわ。だって、私達の戦いには制限があって、それを誰かに押し付ける余裕はないんだもの」

涙を流す間も奴らは待ってくれない。だから私達は、より多くの勝利を手にしなくちゃならないの。誰かに押し付ける前に、決着をつけなくては。

「あ、アレンと室長達来たみたい!」

小さな足音に気がついて、エリザベッタは軽快な足取りでアレン達を迎えに行った。

神田は金糸の少女の背中を見つめる。
昔からその背中は細かった。それでも、体から出る力は誰よりも強くて、誰よりも虚ろだった。
そんな彼女の存在が、自分達より“壊れた”ものだと気づいたのはいつのことだろう――。






上手な殺意の隠し方

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -