アレン・ウォーカーの神の結晶は大きな鋼鉄の鉤爪だった。エリザベッタは彼のイノセンスを、昨日の夜に教団の門の前で初めて見た。その時は既に神田からの攻撃を受け、腕に一閃の傷を抱えていた。
アンバランス。アレンとそのイノセンスである左腕を観察して、直感でそう感じた。どこか、自分の感情に任せて武器を動かしているような、とても危うい感じするのだ。

「やめろ!」

ファインダーを弄んでいたピエロ姿のアクマの元へ、アレンが電光石火の速さで駆け付けアクマに攻撃を仕掛けるが、鋼鉄の腕は軽々と受け止められてしまう。ペンタクルが刻まれた左目を頼りにアクマと人間を判断し戦っているアレンは、目の前のアクマを“アクマである”と遅れて認識することで反応が遅れてしまったのだ。
ニコォ、と目の前のアクマは無邪気に微笑み、強烈な蹴りをアレンの腹に決めた。

「あの馬鹿」

ガラガラ、と既に誰もいない住家に投げ込まれたアレンを離れた住家の上から見ていた神田は、眉間のシワを隠さずに言葉を吐き捨てた。隣にいるエリザベッタは「アレン......」とつぶやきながらアレンが投げ込まれた方向を見ている。
神田ユウはアレン・ウォーカーを心底嫌っている。元々彼が人を好きになることは殆どない。人が嫌い、というよりも興味が無いのだ。だから、神田が誰かを嫌いになることが珍しかった。しかし、彼はアレンを助けない。エリザベッタが注意をしたにも関わらず、勝手に動き出したのはあいつだ。勝手に野垂れ死ねばいい。

「神田!アレンのあの様子、きっと今までレベル2と戦ったことがないのよ!」
「それがどうした。勝手に突っ込んでいったのはあいつだ」
「勝手にって...あの子はレベル2が能力持ちだって知らない!助けないと......」

レベル2のアクマはレベル1にはない、個々に様々な能力を持つ。奴らは格段に強くなっている上、意思が生まれたことでより残虐な殺し方をするのだ。そんな未知数な能力のアクマを相手にアレンが無事でいられるか。
しかし神田はエリザベッタの訴えを無視して彼女に指示をした。

「あいつのことはいい。お前は人形の元に行け」
「だけど...」
「見ろ」

神田はあごをしゃくってエリザベッタの視線を促す。
エリザベッタは再び住家へと視線を戻すと、アレンが怪我を負いながらも立ち上がる姿だった。

「ファインダーの人たちを殺したのはお前か……!」

言いようのない怒りがアレンを襲う。アレンは大勢の人がアクマから虐殺される場面を初めて見た。エクソシスト以外、アクマに立ち向かうことすら叶わないのだ。エリザベッタが言った、「慢性的な人手不足」というのはこの事を指していた。なんと虚しく、酷いことだろうか。腸が煮えくり返るという気持ちになったのは初めてだった。
怒りを抑えられないアレンに対して、アクマは不気味な笑顔を隠すことをしない。そして、ふわふわと興奮した気持ちのまま初めて見る白髪のエクソシストの元へ飛んだ。

「おそらく、あそこにいるのが人形だ。だがあの結界も4つでは、そう長くはもたないだろうな」

アクマが元いた場所に視線を戻すと、結界装置に囲まれた人影らしきものが見える、しかし、すぐ上空にはアクマが2体漂っている

「もう一度言うぞ。エリザベッタ、人形の元へ行け。あのアクマ共は俺が一掃する」
「アレンはどうするの?このまま一人で戦わせる気?」
「俺達の目的は何だ?あの人形のイノセンスを回収することだろ。みすみすアクマに渡すつもりか」

「目的を履き違えるなよ」と言いたげな瞳がエリザベッタを貫く。いくらアレンの初めての任務だからといって、彼もエクソシストなのだ。上手くやるだろう。
エリザベッタは意を決して、アレンがいる方向から視線を外し、人形を真っ直ぐ見据えた。エリザベッタが体を構えた瞬間、神田は黒刀の相棒へと手をかけた。

「行くぞ、六幻!」

−−抜刀!!

漆黒の刀身に指を這わせ、鋒まで走らせる。黒い刃が白刃へと変わり、神の力が宿る。神田ユウのイノセンスは装備型である日本刀、『六幻』である!

住家から高く跳躍し、人形の真上にいるアクマたちに攻撃を仕掛ける。

「六幻、災厄招来!」

−−界蟲『一幻』!

それらは一閃と共に現れる、剣戟の蟲たち。主の命令に従い、悪しきモノたちの命を喰らう。
アクマたちが神田に気を取られているうちに、エリザベッタは人形がいる結界へ急いだ。



そこは死臭が漂う。何人が命を落としたのだろう。
だが、エリザベッタに思考をめぐらす暇はない。結界装置には簡単に敵の手に渡らせないために、解除コードが存在する。その解除コードを聞き出し、人形を外に出さなければならない。
ただ一人、息をしているファインダーがいた。しかし、既に虫の息だ。

「遅くなってごめんなさい…結界装置の解除コードを聞きたいの」
「き、来てくれたのか……エクソシスト」
「……ええ、助けに来たわ。もう奴らの好きにはさせない」

エクソシストが来てくれた。ファインダーの彼はエリザベッタの姿を見て涙を流し、安堵した。

「解除コードは、は…Have a hope…“希望を…持て…”だ!」
「……ありがとう。決して、無駄にしないわ」

そして彼は、解除コードを口にしてすぐ事切れてしまった。
エリザベッタは誓いを呟いた後祈り、素早く結界装置を解除しに行く。そして、人形と思われる二人組に手を差し伸べた。

「私達と来て。あなた達と話がしたい」

エリザベッタは自身の手を取った二人組を抱え上げ、アクマたちを倒した神田の元へ向かう。神田は背の高い方をエリザベッタから受け取った。
その様子を見ていたピエロ型のアクマはアレンとエリザベッタたちをまるでどっちの玩具で遊ぼうか、という仕草で交互に見るが、「そっちは後で捕まえるからいいもん!」と今目の前にいるアレンを優先した。ダークマターの本能に従った黒い殺気がアレンを包む。迎え撃つつもりのアレンに神田が冷たい言葉を浴びせる。

「助けないぜ。感情で動いたお前が悪いんだからな。ひとりで何とかしな」
「ちょっと、神田…!」
「いいよ。置いてって」

神田を諌めようとしたエリザベッタの言葉を遮って、アレンは目の前のアクマから目を離さなかった。

「庇ってくれてありがとうエリザ。僕はここでアクマを破壊してから行きます。イノセンスが二人の所にあるなら安心です」

この新人エクソシストは自分のやるべき事をきちんと理解していた。神田に言われたからではない。アレンは「このアクマは僕が救済しなくてはならない」という愚直な程に自分の心と宿命に従い、アクマと向き合っていた。エリザベッタは言いようのない虚しさを感じて神田の後を追った。





エリザベッタ達は現在、建物と建物の間の入り組んだ通路で待機していた。エリザベッタが抱えていた少女がアクマは空を飛ぶから地下通路に隠れた方がいいと提案をし、エクソシストたちはそれを受けた。
神田は今アクマの様子を観察しているトマと連絡を取っており、人形達の見張りはエリザベッタが担っていた。

「そんなに怯えないで。さっきも言ったように私達はあなた達と話をしたいの」
「……話って何」
「それは彼が帰ってきてからにするわ」

人形達に笑顔で接するエリザベッタ。しかし人形達は警戒心をなくす事はなかった。
彼らの警戒心を受けて苦笑を零すものの、まるで諭すように再び話し始める。

「私はね、あなた達と同じでこのイタリアの出身なのよ」
「……どこの出身だ」
「北イタリアのヴェネツィアよ。最も、10歳になる前には出てしまったけれど」
「……そうか。北か」

エリザベッタが話すことに興味を示した背の高い方の標的。しゃがれた声でまるで老人のようだった。しかし暫く会話を交わした後にまた黙り込んでしまった。少女が彼に訴えるように視線を寄越す傍ら、エリザベッタは神田が来るまで彼らを見て微笑んでいた。

「おかえりなさい。状況は?」
「モヤシの安否は不明だ。現在アクマはティムキャンピーを襲ってる。状況が収まり次第ティムを連れてこっちへ来る」
「そう…ならまずはイノセンスだね」

神田がトマから伝えられた情報をエリザベッタに報告し、今優先すべきことを確認しあった。ティムキャンピーは神田やエリザベッタが所持しているゴーレムとは違い通信能力がない代わりに映像記録能力がある。アクマの能力が分からない今ティムキャンピーの映像が必要となる。二人は早期決着を図るためにイノセンスであると思われる人形達に向き合う。

「さて、それじゃ地下に入るが道は知ってるんだろうな」
「知って…いる」
「グゾル…」
「私は…ここに五百年いる。知らぬ道は無い」

背の高い方の標的。老人のようなしゃがれた声。彼がエクソシスト達が求める人形だった。少女からは“グゾル”と呼ばれている。
グゾルは顔を隠すように被っていた帽子をゆっくり下ろした。グゾルの顔は水疱瘡のように膨れ上がっており変色している。疱瘡が瞼にまで及び、きっと目は視えていないだろう。

「くく、醜いだろう」

老人形はそう言うとまた帽子を被り直す。

「お前が人形か?話せるとは驚きだな」
「そうだ…お前達は私の心臓を奪いにきたのだろう」
「ああ。出来れば今すぐ頂きたい」

でかいまま運ぶのは手間がかかるんでな。黒髪のエクソシストは鋭く言い、決して妥協を許さなかった。
グゾルが殺されてしまう。そう思ったのかグゾルを心配そうな眼差しで見ていた少女が彼の前に飛び出した。

「ち、地下への道はグゾルしか知らないから、今グゾルを殺してしまえばあなた達が迷うだけだよ!」
「お前は何だ?」
「私は…グゾルの……」
「人間に捨てられていた子供だ…!私が拾ったから…そばに置いた…!」

言うやいなや、老人形は苦しそうに咳き込んでしまう。少女はそっと老人形に寄り添った。
神田は老人形と少女を見て何か思うところがあったのか、鋭さを孕んでいた声は幾らか穏やかさがあったように思う。

「悪いが引き下がれん。アクマに前の二心臓を奪われるわけにはいかないんだ。今はいいが、最後には必ず心臓をもらう。…巻き込んですまない」

エリザベッタはこの人が本当に神田であるのか少し疑った。神田が任務対象に慈悲を見せるのは珍しい。それでも今すぐイノセンスを回収したい事に変わらず、妥協はしないのだろうが。
神田が自身の対アクマ武器に手をかけた瞬間、「神田殿。リカタ殿」と誰かから呼ばれた。建物の影にトマが隠れていた。手には何か黄色い塊を持っている。それを視認した神田は刀に掛けていた手を戻し、トマに「無事でよかった」と話すエリザベッタをいつもより幾らか小さい声で呼び出した。

「エリザベッタ」
「何?」
「俺はトマから報告を受ける。アクマの特徴は追って説明するから今はイノセンスを見張れ」
「…ねえ、神田。あの人形…」
「その話は後で聞く」

トマの元へ向かう神田を見送り、金糸のエクソシストは再び寄り添う老人形と少女の前に座った。標的の警戒心が強まった気がする。


「グゾル、もう咳は大丈夫?」

笑みを浮かべるエリザベッタ。グゾルは答えない。

「私、あなたと同じ病気の子を見たことあるの。その地域での流行り病だったみたい」

グゾルは答えない。少女がグゾルにしがみつく。

「ねえ。あなたはどこの出身?」

グゾルは答えない。エリザベッタの笑みは消えることがない。

「私が何が言いたいか、分かるよね?」

グゾルは答えない。

「ねえ、あなたなんでしょう」

ここでエリザベッタは初めて少女が視界に入れることを認めた。相変わらず、笑っていた。
少女もとい人形は必死に考えた。−−さっきこの女に聞かれた質問は誘導されてたんだ。グゾルの関心を引く質問をして私たちのどちらが人形か試してた。人形である私にはこの女がグゾルの同胞であろうと関係ないから。そしてあの男のエクソシストとの会話で私が人形だということが気づいてしまった。この女に嘘は通じない。今はとられなくても、きっと最後には心臓を奪われてしまう。この女を振り切れる自信はない。だったら……

「来て」

人形はエリザベッタの目を逸らさずに命令した。

「心臓をとられたくなかったら来て。でないとアクマの前に出て心臓をくれてやるんだから。あの男の人にも言っちゃだめ」

この女に嘘は通じない。だけど話は通じるはず。だってあの白い髪の男の子のことを心配してたから。

−−心配なの?あの人の事…

−−…そうね。エクソシストになったばかりだから…

人形はアクマの巣窟から抜け出した時のことを思い出した。人形は金糸のエクソシストに抱えられて移動していた。三人のエクソシスト。そのうちの一人がこのエクソシストとは別行動をとった時のこと。本当に冷徹な人なら、あの黒髪のエクソシストのように突き放すようなことを言うはずである。だからこそ、人形はある考えが浮かんだ。
−−私とグゾルの願いを叶えてくれるかもしれない。

「…いいわ。どこへ行くの」
「! こっち!グゾル、行こう…」
「ああ…」

エリザベッタは笑顔のまま人形とグゾルの後ろについて行く。エリザベッタの前を歩く彼らには、このエクソシストの瞳が鋭さを増したことに気づかなかった。






「おい、エリザベッタ?」









――イノセンス取らないの?

……今はね

――じゃあいつ取るの?

もう少ししたらね

――じゃあ、人間の方を殺しちゃえばいいよ。そうしたらイノセンスも取れる

…だめよ。それだけはだめ

−−どうして?エリザはエクソシストじゃないの?

エクソシストよ。だけどね、人を殺して得る物は虚しさだけ。一番やってはいけないの

−−…ふうん。だったらさ、僕はどうして





「どうしたの?」

深く深く沈んでいた意識が、水底から一気に押し上げられて現実に戻る。重く閉じられていたルビーの瞳も白金色のまつ毛の陰に隠れている。下向きの視線を上げれば、グゾルとグゾルに寄り添う人形・ララの姿。たっぷりとした黄金の彼女が踊りを舞い、歌を奏でる快楽人形。しかし彼女が奏でる歌は鎮魂歌。

「随分悲しい歌を歌うのね」
「……分かるの?」
「何となくだけど」

エリザベッタがララとグゾルについて来て辿りついたのは、砂が蔓延し、僅かな光しか届かない地下の広場。ここまで来るのに迷路のような道を幾つも通り、ある通路から繋がった長い穴を飛び降りた。この穴道が相当の曲者で、暗い上にスピードも出る。本当はもう少しマシな道があったらしいが今回はアクマとエクソシストから逃げなくてはならないから特別だ。お陰でグゾルを支えて穴を通り抜けたララの腕は見事に潰れてしまった。
体が負荷に耐えられなかったのか、咳と共に喀血を起こしたグゾルのためにララは歌を歌っていた。エリザベッタは少し離れた階段から、小さなリサイタルを眺めていた。

「ねえ。聞いてもいい?」
「…何?」
「なぜ私をあなた達と一緒に連れてきたの?あの場で交渉が決裂して心臓を抜かれる可能性もあったし、途中であなた達を裏切って後ろから…何てこともある。あなたにも私にもメリットがあるようには思えないのだけど」

エリザベッタは淡々と言葉を紡いだ。彼らの提案に乗ったのは自分の意思だが、どうにも腑に落ちなかった。ここまでの危険を犯してなぜエリザベッタを連れてきたのか。
ララは憂いを秘めた瞳をエリザベッタから外し自分の足元にある砂を見た。

「あなた、怖いね」
「え?」
「顔は笑っているのに、何か違う。きっと考えている事は言葉よりも残酷なのね」
「分かるの?」
「…何となく。私は酷い人を何人も見てきたから」

砂の中に指を入れてクルクル回す。グゾルが小さい頃はこの砂を使ってたくさんのお城を作った。たくさん、年月を忘れるほどに。

「それじゃあ、私はあなたにとって酷い人なのね」
「……でも、だからこそあなたを連れてきたの。あの男の人じゃなくて」
「酷い人なのに?」
「あなたの言うとおり私はあの場で心臓を奪われていたかもしれない。それでも私たちについて来てくれた。優しいのね」

ララは偽ることなくエリザベッタに言い放った。心から、そう思ったから。
言われた側のエリザベッタは呆気に取られたようで驚いた顔のまま、変な子、と小さい声で呟いた。

「それで、あなた達の願いは?」

「……グゾルが死ぬまで、人形でいたいの。グゾルのために歌いたいの。だからお願い。それまで心臓は奪わないで……!」

ここに来て初めて、エリザベッタはイノセンスである十字筒に手をかけた。









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