真綿で窒息


「ごめんね、」

彼の普段は見えない片目が顕になる。暗く、重い色を映した両の目に私を捉える氷室くんはいったいどうしてこうなってしまったんだろうか。

「今まで、我慢していたんだ。名字…いや、名前とはまだ付き合っていないから、俺に君を束縛することはできないだろう?だからずっと、ずっと我慢していたんだ。―――刹那的な激情で君を傷付けたくもなかったからね。」

ただのクラスメイトだと思ってた。むしろ私のような平凡な女からすればどこかの王子様のようなそんな憧れとでもいうような存在だった。物腰は柔らかで、女の子に優しくて、それでいてどこかミステリアスで、その上バスケがとても上手で。普通の女の子なら誰だって憧れくらい抱くような存在だった。
それなのに。それなのに、どうして、今彼は私にここまでの劣情を向けるているのか。一体私の何が、彼をこうさせてしまったのだろう。

そこで穏やかな色を浮かべていた氷室くんの表情が苦々しげにくしゃりと歪む。氷室くんでもこんな表情するんだ、なんて検討外れな感想が頭に浮かぶ。

「でもね、他の男が、名前を邪な目で見ていると知って、我慢なんて出来なくなった。

だって、君を汚していいのは俺だけ、だろう?」

氷室くんの細長い綺麗な指が私の唇をなぞる。つつ、とまるで壊れ物を愛でるかのような触り方で私の唇を彼の意外に熱い指が犯す。もしかすると彼が触れた部分から毒が流し込まれているのかもしれない。だって頭がぼうっとして何も考えられない。

「君の、この唇が、この細い首が、この身体までも他の誰かに汚されるなんて、気が狂ってしまいそうになる。」

氷室くんの赤く熱い唇が私の首筋をスルリとなぞる。その感覚に少し身じろげば、ジャラリと無機質な音をたてる足元の鈍く光るそれと、目の前にある綺麗な、けれど狂気に濡れた黒に私はもうどうにもならないことを悟る。先ほどまでは確かにあった恐怖がじわりじわりと諦めに変わっていく。

「誰かに汚される前に、――いや、もうそんなこと誰にもさせないけど。俺に染まって、俺なしじゃ生きていけない身体になってくれないか。」

そう言った彼は、私の自由を奪った怖い人のはずなのに、何故か迷子の幼子であるような、そんな気がして私はゆっくりと瞳を閉じた。


真綿で窒息
(身体だけでもいいから俺を、俺だけを、愛して)

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