ひらり、すり抜ける


彼女はまるで蝶だ。
それもとびきり美しく人を魅了する、哀しい蝶だ。

「名前さん、」

好きです、その一言が言えない。彼女の後ろにある影がその言葉を伝えることを酷く難しくさせる。

「ん?なぁに、俊ちゃん。」

「、紅茶でも飲みますか?勿論ミルクティーですけど。」

彼女はあの日からミルクティーしか飲まない。まるで、その甘さで胸に燻る苦さを打ち消すかのように。

「飲む。ふふ、俊ちゃん愛してるよー。」

そうやってふわりと笑う彼女の口から紡がれる「愛してる」は酷く薄っぺらい。だって彼女の「愛してる」にこもるはずの感情はすべてあの人が持って行ってしまったから。

「相変わらず俊ちゃんのミルクティーは美味しいね」

にこり、と俺に笑いかける名前さんは椅子に体育座りをして、両手でマグカップを包み込んでいる。

「名前さん、マニキュアなんてしてましたか?」

俺は彼女の丸い爪の上に乗る鮮やかな赤に目がいった。

「ふふ、あの人が好きだったの。」

彼女は自分の赤く彩られた指先をいとおしそうに眺める。照れたように、それでもどこか影をおとして笑う彼女は美しくも哀しい。
「俊ちゃんは彼女を置いてきぼりにしちゃだめよ?」

そんなに悲しそうに笑わないで。何なら俺が、一時でも貴女の羽を休める花になるから。貴女を癒す蜜になるから。

それでも、俺がいくら願ったところで―――…

「私も連れて行ってくれたら良かったのにね、」

彼女の片羽はあの日から蜘蛛の糸にからめとられている。

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