「明日で戻らなきゃいけないってどいうこと!?」

 また明日となまえさんと別れて家に帰った後、ねーちゃんから言われた言葉が信じられなかった。

「ああもううるさいわね! 大きな声で言わなくても聞こえてるわよ!! もう、ブライア先生の事情よ」

 明日朝に公民館の前でアカデミーの生徒には伝えられるらしく、その時挨拶するから考えておきなさいよと姉は言い残して部屋へ戻っていった。
 人前で挨拶も嫌だけれどそれよりももうなまえさんと明日でお別れ!? 予定では今折り返し地点でまた時間はあるって思っていたからこの事実が受け止めきれない。でも決定におれが逆らえるわけでもないこともわかっていた。
 嫌だ、嫌だ、嫌だ! わかっていても感情が止まらない。
 おれは居ても立っても居られずにバタバタと駆け出した。どこへいくのというばーちゃんの声が遠くに聞こえたような気がしたけれど、そのまま向かう先は公民館。ちょっと遅いけれどまだ寝るような時間ではないはず……。どうしても会いたかった。

「あれ? スグリだ。そんなに慌ててどうしたの?」

「なまえさんどこにいるか知ってるだか!?」

 公民館に入って一番はじめに出会したのはアオイだった。必死なおれの勢いに押されながらも多分部屋にいるよと部屋を教えてくれたのでお礼もそこそこにそちらへ早足に向かう。
 はやる気持ちを抑えてノックをすればはぁーいとどこか間延びしたような穏やかな声が聞こえた。返事が聞こえてから扉が開くまでの数秒がもどかしくて気が焦った。
 がらりと音をたてた扉の先にいつものメガネをかけたなまえさんがいた。お風呂をすませたのかいつもの制服ではなくラフなシャツとパーカー姿。

「あれ、スグリくん!? びっくりした! ……とりあえず入る?」

 なまえさんの手に導かれて彼女にあてがわれている部屋へと入った。

 いつもは必要最低限の物しか置かれていない無機質なその部屋は少しだけなまえさんの生活の気配が足されていた。それはけして散らかっているとかではなくかけられた制服やブラシやポケモン用のオイル、それらの荷物が入っていたであろう旅行用キャリーケース、そういうちょっとしたものが部屋から無機質さを消していた。
 椅子がないからとふたりならんでベッドへ腰掛ける。ぎしりとベッドのスプリングが鳴いた。

「……ごめんな、急に押しかけて」

「ううんそれは気にしなくてもいいよ」

 むしろ会えて嬉しい、なんて笑うなまえさんにおれもようやく少し笑えて体温が戻ってくるのを感じる。血の気が引いていたらしいことにも今気づいた。
 今から言わなくちゃいけないことを思うと浮かんだ笑みは消えていく。

「あのな……明日おれたちブルーベリー学園に戻ることになっちまって」

「え!」

「……ブライア先生の事情らしくて、急だけど……。んだばなまえさんたちは期間までキタカミさ楽しんでな」

 ああ嫌だな、戻りたくないな。そう思いながら絞り出した言葉と表情が一致しなくて俯いた。おれがいないのに楽しんでるなまえさん……想像するとちょっと胸が痛くて、楽しんで欲しくないわけではないけれどそこにおれがいないのが嫌だった。

「そっかぁ……」

 ぽすりと肩に落ちる体温と少しの重み。シャンプーしたてなのか鼻に届く石鹸の香りに重みの方へ視線を動かすとなまえさんの頭が肩に乗っていて、こんな時だというのにおれの体は正直で瞬間的な熱が上る。わ、ちか、近い……! この距離感は慣れることなくいつもなまえさんの行動に平常心じゃいられない。

「スグリくんいないのヤダなぁ……」

 ぽつりとこぼされた言葉にそう思ってくれているのかという喜びとおれもまだ一緒にいたいと思っている寂しさが入り混じった思いが込み上げた。
 学生という立場と距離がもどかしい。イッシュ、パルデア、キタカミ、カロス……。卒業した時おれとなまえさんはどこにいるんだろう。それを考えると次を約束してもいいのか躊躇いが生まれた。

「おれも、戻りたくない……」

 考えて考えて、口をついたのは自分の今思う素直なことだった。

「おれ、絶対スマホロトムさ買ってもらう! だから、えっと」

「いちばんに連絡してくれる?」

「う、うん!」

「約束だよ」

 結べたひとつの約束はまた会おうねとかそんなのではなく、まだ学生の身で現実的なラインの堅実なもの。でも果たせない約束よりも優しくて近い約束がおれの胸を満たした。
 その後は消灯時間までずっと一緒にいた。いつの間にか繋がれた手が暖かくて離し難い。おれの手に絡む綺麗に手入れされた指と爪が愛おしくて痛くないように気をつけて少し強めに握ればなまえさんからも強めにぎゅうと返されて多幸感に包まれた。


 そうして翌朝ねーちゃんとプライア先生とブルーベリー学園へ戻った。
 日常に戻った中、スマホロトムをねだりスグリがお願いごとなんて珍しい! とすぐに買い与えてもらえた。届いたピカピカのスマホロトムが目の前にある。ただロトムはいない。自分で捕まえて育てた子といたいと思ったからだ。
 慣れない電子機器に説明書を見ながら苦戦するおれにみかねたねーちゃんがやってあげるととりあげられそうになったけれど、断固拒否した。キーキー怒っていたけれど今からおれがやるのはなまえさんの連絡先の登録と連絡だ。ねーちゃんを部屋から追い出して改めて格闘した。
 やってみると案外簡単で説明書を読むよりも触った方がいいのかもしれない。そんなことを思いながら登録された一つの項目に緊張と早る気持ちと色んなものが入り混じった感情で通話ボタンを押した。
 ぷるるると聞こえてくる電子音にどきどきと心音が速くなっていく。

『もしもし』

 知らない番号だからだろうか、電話口の声は少し硬い。けれど耳に馴染むあの声で……。

「あの、えっと」

『……もしかして、スグリくん?』

「う、うん」

『わ! 連絡くれて嬉しい! スマホロトム買ってもらえたんだ!』

 緊張で口篭ってしまったおれをなまえさんはすぐに気づいてくれて、瞬間弾けるような明るい声に変わった。
 そこからは時間があるといってくれたので簡単な近況報告やら他愛のない話がどんどん出てくる。おれの最初の緊張はどこへいったのか楽しくて仕方がない。
 その際におすすめのメッセージアプリやDLしたら便利なものを教えてもらったりして色んなアイコンが増えた。メッセージアプリにはもちろんなまえさんの名前が並んでいて、アイコンはあの二匹だ。
 まだスマホにロトムがいないのでどれも手動でやっていたらなまえさんに驚かれた。でも自分で捕まえたいと言えば応援されてくすぐったかった。

『あ、ごめんね、そろそろ切らないと……』

「結構長くしゃべってたしな」

『ふふ、またお話ししようね』

「うん、またな」

 またね! と声が聞こえて通話が切れた音がした。
 また、か。前に言えなかった言葉がすんなり出てきて頬が緩む。
 久しぶりのなまえさんとの時間は楽しくて心が安らいだ。あの時と変わりなく明るい声でおれに話してくれて、嬉しかった。噛み締めるように思い返しては余韻に浸る。

 ああ、やっぱりおれはなまえさんが好きだ。トリマーとして腕を磨いて努力する彼女に釣り合うようになりたい。……いつか恥じることなく彼女の隣にたてるように。

 きめた、おれ、チャンピオン目指す。

 強くて頼もしいと言ってくれたなまえさんを思い返す。
 ポケモンと勝負するのは好きだ。ポケモンは言葉は喋れないけれど好意も悪意もわかりやすくて人間よりも一緒にいて安心する。
 おれが好きなことで、なまえさんが頼りにしてくれそうなこと。きっとトレーナーとして腕を磨いていけば自信にもなるだろうし、彼女の隣にだって恥じずに立てるようになるはずだ。
 目標は大きい方がいい。だからまずはこのブルーベリー学園のリーグチャンピオンをおれは目指す。

「まっててな、なまえさん」

 貴女に誇ってもらえるおれになるまで。


 会えない間は些細なことでもメッセージアプリで連絡を取り合ったり時間があった時には話をしたり、実際の距離は遠くても心の距離はどんどん近づいていった。
 いつしかなまえさんをなまえと呼ぶようになり、なまえもおれをスグリと呼ぶようになった。男の子を呼び捨てにするのは初めてだと少し照れたように言われてときめきで心臓が止まってしまうかと思った。
 なまえとの時間はきちんと確保しつつその他の空いた時間は全てトレーナーとしての研鑽にあてがった。実戦はもちろん机に齧り付いて知識も今の四天王やチャンピオンの対策も重ねていく。
 うちの学園はダブルバトルに重きを置いているのでシングルではあまり活躍しにくいポケモンも輝けることがある。ダブルバトル特有の面白いギミックを思いつくと組み立てるのが楽しくてどんどんのめり込んでいくのを感じた。……まぁ実践じゃ使いにくかったりするからロマンで終わることも多いけれど。でも初見殺し的に使えたりするものもあって面白い。そんな感じで苦しさはなくて好きだからこそ楽しかった。
 そしてその努力はどんどん実り、目に見える形で成果が出る。リーグのランキングを駆け上がっていくにつれ煩わしいほどに注目されていった。以前のおれは見向きもされなかったのに。
 相手の次の手が読める、最適解がハマる、なによりパートナーたちとの息が合うことに高揚感を覚えた。ひたすら勝ち上がる。最後に負けたのはいつだったか思い出せない。むいているのは前だけだ。

そして。

「……勝った」

 チャンピオン、カキツバタの最後のポケモン、ブリジュラスが地に伏した。
 久方ぶりのチャンピオン交代に歓声が上がっているがそれが気にならないくらい達成感に打ち震える。
 おれにも、届いた。眩しい場所へ。

 それからは目まぐるしいほど生活が変わって必死に適応していく。チャンピオンになるということはリーグ部の部長になるということ。ろくにチャンピオン業をしていなかったらしいカキツバタではなく四天王のタロに教わることになり、難しいことではないが覚えることが多い。
 そんな中でもなまえさんとの時間はしっかり確保はしていてそれだけがおれの癒しで楽しみだった。でもおれがチャンピオンになったこと、いつ言おうか……。それだけが悩みだった。

 なんとか部長業と学業の両立が形になってきた頃、シアノ校長にねーちゃんと揃って呼び出された。
 校長室へと向かえばそこにはシアノ校長のほかにブライア先生もいて、なぜ呼び出されたのか説明を受けた。なんでも交換留学をパルデアのアカデミーと行うらしく、以前の林間学校に参加した際推薦したい生徒がいれば教えて欲しいと参加メンバーだったおれとねーちゃんが呼ばれたようだ。

「アオイね!」

 アオイほど面白いやつはいないわよとねーちゃんが上機嫌でいう。
 確かにアオイもすごいやつだけど、おれは……。

「おれはなまえがいい、です」

 おれと違う方向でたくさん努力している人。そしておれが今もっとも会いたい人。
 私欲が強いことは理解している。でも今おれがここで頑張っている姿をみてほしい。それにまた会えるのなら私欲だとなんだと言われても構わなかった。
 おれたちの意見を参考にするということで解散になった。
 ねーちゃんがあんたなんでアオイじゃないのよ! と言ってきたけれど、知らね。最近はねーちゃんに怒鳴られても怖くなくなった。それにブライア先生と校外活動に行くことが多く前よりも別で行動するのが当たり前になったこともあり、顔を合わせる回数が減った。おれにもリーグ部の仕事があるし、お互い忙しくなったように思う。

 ……会えるといいな。

 会えなかった時の落胆が大きくなるとは理解してはいても期待する気持ちは膨らんでいくばかり。おれがチャンピオンだと知ったらどんな顔をしてくれるのだろう。喜んでくれるかな。想像したら頬が緩んでしまい、人に見られないように手の甲で隠した。


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