私は駆けた。廊下を走るなんてとんでもない、と真面目な人ならば顔を顰めたことだろう。今は放課後で人はまばらどころかほとんどいないので幸い見咎めるものはいなかった。
 今の私には早くスグリに会わなくてはと強い焦燥にかられていた。知らなかったのだ。最近のあの元気のなさが私のせいだったなんて。文化の違いを言い訳にしたくないけれどそれは本当に想定外だったから、早く、早く会って、ちゃんと。
 こんな風に走るのなんていつぶりだろうか。呼吸は荒くて苦しいし、足は痛みを訴える。とっくに限界は見えていたけれど止まるなんて絶対許さない。
 もうその角を曲がればリーグ部の部室だ。最後の力を振り絞るかのように勢いよくリーグ部の扉を開いた。
 大きく音が鳴って部室内にいる人からの視線が一気に集まった。けれど私の視界に入るのはその中心にいたスグリだけ。大きな垂れ目の瞳をまんまるにして今にもこぼれ落ちそうなシトリンは彼の驚きを表しているようだ。
 私は部室内へ踏み込み、その両手を握りしめた。

「スグリ! あのね、私、スグリが好きだよ!」

「え!? は、え? えっ??」

「知らなかったの、スグリの故郷ではちゃんと言葉にしないと恋人になれないって! だからあのね、私スグリのことが大好きだから恋人になりたい。貴方の『特別』にしてほしいの」

 走ったせいで上擦りそうになる声と乱れそうになる呼吸を抑えて早く伝えなくてはと思っていた言葉を一思いに吐き出した。
 真っ直ぐにスグリを見つめて返事を待つ間、私の言葉が飲み込めていなかったのか大きな瞳を何度を瞬かさせていたけれどだんだんと回数が減り、代わりに白い肌がどんどんと赤く染まっていった。顔だけじゃなくて耳も、首も、指先も。見える範囲全てが私の言葉で赤く染まっていく。それに何とも言えない充足感が心を占めていった。
 はくはくとスグリの口が開閉する。言葉にならない呼吸音だけが漏れている。早く、早く、返事が欲しい。

「っ、………っ……!」

「……スグリ?」

「っっ、ここ部室だからぁ!!」

 うん、知ってるよ、なんて言ったら怒られちゃうかな?


 その後スグリが解散、と叫んで引っ張られて部室をでた。
 その際目に入らなかったリーグ部のメンバーを見回してみれば面白そうなからかいのタネを見つけた様な顔をした人や顔を真っ赤にして口を両手で抑える人がいたりと多種多様。そこに同じく留学生のアオイちゃんがいたのは少し驚いた。
 正直見せつける目的がなかったとは言わない。だってスグリをそういう目で見ているリーグ部の幹部がいるのはわかっていたから。性格が悪い? 何とでも言って欲しい。私と出会う前から出会っていたアドバンテージを活かせなかったのは彼女なのだから。
 とりあえず過剰にスグリをからかいそうな男には視線で黙らせておいた。察しが良さそうなタイプだから理解したと思う。
 赤が冷めやらないスグリに連れられてきたのは彼の部屋でぱたりと扉を閉めてしまえば2人っきりの静かな空間。
 ようやく返事が聞けると思えば後ろ手で私の手を掴んだまま彼は振り向かない。はやる心を抑えて私はしばらくそのままで待つものの、一向に動かない彼に焦れて控えめに名前を呼んだ。

「……スグリ?」

 ぴくりと肩が震えた。
 恐る恐る顔を覗き込もうと動けば瞳を潤ませながら顔を真っ赤にしたスグリと目があった。
 瞬間、サッと血の気が引いていくのを感じる。真っ赤になっているのは照れているからだと思っていた。でも潤むのは涙が滲んでいるからで……もしかして、好きだったのは私だけ? 私の気持ちは泣くほど嫌だったんだろうかと頭までのぼっていた熱が一瞬で覚める。

「ご、ごめんなさ、い。私の気持ち、迷惑だった?」

 今度は私の目が潤み出して声が震える。私は別に鈍い方ではないと思っていたしスグリからの好意は確かに感じていたから。もしそれが勘違いだったのなら、って。
 駆け巡るネガティブな感情に顔が青ざめて、手足から温度が消えていく。

「ち、違う! 迷惑とかじゃねから!」

 泣きそうになっている私をみてスグリが慌てている。驚きと焦りでさっきまでの涙がひいたのかもうそのシトリンは揺らいでいない。その言葉は嘘じゃないと思えてほんの少しだけ体温が戻ってきた。

「……ただ、人前だったから……恥ずかしかっただけだべ……」

 消え入る様な声で告げられたそれ。あの場で告げたのは少々の打算があったとはいえスグリの気持ちを蔑ろにしてしまったなと反省する。恥ずかしがることはわかっていたけれどここまでとは思っていなかった。

「ごめんなさい。スグリのお姉さんに文化の違いをきいていてもたってもいられなくって……」

 これも紛れもなく本音。告白してから付き合うという文化圏からすると私の行動は決定的な言葉を言わず思わせぶりなのだという。告白もなく流れで付き合うカロスの文化からするともう付き合っているつもりで私はいたのだ。だってお互いにお互いのこと最優先にして空いてる時間はいつも一緒なんだもの。スキンシップこそ最低限ではあるけれど肩が触れ合う様な距離で隣に座ったり照れ屋なスグリが逃げない様に徐々に進めているつもりでいたから。
 悩ませていると知ってしまったからこそ、私の気持ちは貴方にあるのだと早く知って欲しかった。

「ううん、おれもその、意気地なしだったから。言わせてごめんな」

「ううん、いいの」

 スグリが緊張した様に呼吸を繰り返す。迷ったように何度か視線をうろうろとさせるとよし、と意を決した様にシトリンが私を捕まえる。真剣さを帯びた視線に射抜かれてしまいそうだ。

「あのな、おれもなまえが好き。おれをなまえの恋人にしてほしい。……にへへ、言わせるだけじゃかっこわりぃもんな」

 真剣さから一変、照れた様に笑った表情。真剣なきりりとした表情も好きだけれど、このへにゃりと柔らかく笑った顔が一番大好きだ。
 大好き、の気持ちでいっぱいになった私はその衝動のままスグリにぎゅうっと抱きついた。彼の温かな体温、清潔な匂いの中にするスグリの匂い。初めて感じるわけじゃないのに何だか今日は特別に染み渡っていく様で言葉ならない。
 でも、これだけはちゃんと言わなくちゃ。

「私もスグリが好き! 大好き! 恋人にしてください!」


****


 なまえの『特別』はおれの望む『特別』だった。

 予定より長くなったリーグ部のミーティングが終わった頃。解散の号令をかけようとしたタイミングで扉が大きな音を立てて開かれた。
 扉を開けた正体はなまえでそのことを理解するより早く告げられた言葉はおれが待ち望んだ言葉で、歓喜の気持ちが湧き上がると同時に他の人がいるという恥ずかしさに一気に顔が熱くなる。
 嬉しい、嬉しいけど、恥ずかしい。
 でも何よりもおれに好意を告げる可愛いなまえの顔を誰にも見せたくなかった。ピンクに染まった頬、少しだけ潤んだ瞳、おれを愛しいと全力で伝える様は誰よりも何よりも可愛い、おれだけのなまえだから。

 解散、と叫んで痛くないようにだけ気をつけてなまえの手を掴んで急いでおれの部屋まで連れていくまではよかった。
 想像以上の嬉しさと人前だったことによる恥ずかしさでうまく、早く返事ができなかったせいで最悪の勘違いをさせるところだったけれどちゃんとおれからも気持ちをちゃんと伝えて名実共になまえの恋人になれたのだ。
 意気地なしでなまえに先に言わせてしまった分、恋人になったからにはこれからはおれがリードしていけたら、と思っていたけれどやっぱりそこはなまえの方が積極的で。返事と共におれの胸に飛び込んできた可愛い恋人にすでにノックアウト寸前だったのはいうまでもない。
 でも少しだけ意趣返し、ではないけれど。今はほぼ同じ身長のおれたちだから顔のすぐ横に見える可愛いピンクの頬目掛けて軽く唇を落とせばちゅ、と小さく微かなリップ音が響いた。なまえはすぐおれになにをされたかわかったのか、大きな目を何度も瞬かせて顔を真っ赤にして固まっている。そうしてからそれはもう嬉しそうに顔を綻ばせ、おれにお返しのキスを贈ってくれた。


****


「そういえば普段よりミーティング長かった様に思うけど、なにか特別なことでもやるの?」

 そのままスグリのお部屋でピッタリとくっつきながらおしゃべりをしている最中、ふと思ったことを聞いてみる。

「ああ、それは……。うん、もう発表されてるから話しても大丈夫そうだな」

「?」

「ほら、これ」

 スグリくんのスマホロトムには最近になってロトムが入る様になり、本格的に使いこなし始めた。そのスマホロトムを確認して私へと画面を向けてくれるとそこはブルーベリー学園生徒向けアプリの新着のお知らせだった。

「ええと、パルデアチャンピオンランクとブルーベリー学園リーグ部の親善試合……?」

「ん、そう。おれたちブルーベリーリーグの四天王、おれの5人がアオイと勝負するんだべ」

「この日付で1日1回ずつ順番に戦っていくんだ」

 リーグ部のランクが低い順からアオイちゃんが一戦ずつ挑み、最終日はスグリと。せっかくパルデアのチャンピオンランクが留学しているのだからとこうして企画が組まれたらしい。

「応援、いくからね!」

「おれアオイに勝ちたい……。だからちょっと今より一緒にいられる時間減っちまうけど、ごめんな」

「ううん、大丈夫」

「……でも、一番はなまえにかっこ悪いとこ見せたくねから、おれけっぱる!」


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