ブルーベリー学園をスグリと一緒に回って最後に来たのはテラリウムドーム。
テラリウムドームは人工的に様々なポケモンが生息できるように環境を整えた大きな施設。話には聞いていたけれど想像よりも大きく立派で、どこか歪に見えた。
相変わらずポケモン勝負が苦手な私はスグリに守られながら四つのエリアをゆっくりと回る。林間学校のころと手持ちが違うみたいで、ますますポケモン勝負に磨きがかかっておりうっかりときめいてしまったのは内緒だ。四つのエリアのうちポーラエリアだけは雪まみれで足を踏み入れる前に回れ右だったのだけれど、コートは持ってきてないので見て回るのは少し先になりそうだ。
暖かい気候が再現されているコーストエリアに腰を落ち着ける。ここ人があんまり来なくて穴場なんだ、とスグリが教えてくれた。
ピクニックセットを広げてお互いの手持ちを放す。スグリのオオタチが私に気づいてくれて再会を熱烈に喜んでくれた。変わらずスグリが丁寧にブラッシングをしているらしく毛艶に指通りもよくふわふわだ。興奮したオオタチにぐるぐると手加減なく巻きつかれそうになったのでぐでんぐでんに転がしておいた。
「あのな」
のんびりした空気が漂う中、スグリが少し改まったように私に体を向けた。
「おれもひとつなまえに話していないことがあって」
そういうスグリに深刻な様子はなく、むしろ少し照れたような雰囲気があるので悪い話ではないらしい。そのことに少し安堵し、話の先を促す。
「えっと、おれ、ブルーベリー学園のリーグチャンピオンになったんだ」
にへへ、と少し頬を染めて報告してくれた言葉に一瞬理解が追いつかなかった。けれど、理解が追いついた途端に私は跳ねるように椅子から立ち上がった。
「………っっっすっご───い!!! この学園で一番強くなったの!?」
「う、うん」
「え、もうすごい! すごいしかいえない! おめでとうスグリ!!」
「っ、ありがと!」
興奮して飛び跳ねる私にスグリは引くことなく嬉しそうにしてくれている。
それと同時に学園を案内してくれていた最中に感じていた視線の多さに納得もした。あのエントランスでの出来事が原因かと思っていたけれど、スグリに対する注目度もあったらしい。
あの林間学校の時でも私にはとても強くみえていたスグリがここテラリウムドームを回る間にさらに研鑽を積んでいたことには気づいていたけれど、まさかチャンピオンにまで上り詰めているなんて思っていなかった。
嬉しいと同時にちょっと沸き上がる寂しさ。スグリが強いこと、私だけ知っていればよかったのに、なんて。
私も少し、立ち回り変えなくちゃ。
*****
「おはよう、スグリ!」
朝食を一緒に摂ろうという約束をしてなまえの部屋まで迎えに行った朝。彼女はとびりきり朝が弱いのでまたふらふらしながら出てくるのではと想像していたおれは溌剌とした様子に面食らった。でもそれ以上に驚いたのは。
「おは、え、あれ、メガネは!?」
教えてもらった彼女を守るためのメガネ。今日はそれをつけておらず、誰もが振り返るであろう美貌が惜しげもなくさらされている。どことなく周囲がきらきらと輝いているようにみえるのはおれの幻覚だろうか。
「……隠す必要がなくなっちゃったから。ほら、いこ!」
どこか含みを持たせた笑みに問い返そうとするも、行こうと促されて口を閉ざした。
おれの隣に座ってニコニコとおれに向かっておいしいね、と笑いかけてくるなまえは今日も最高に可愛いし今こうやって同じ学園で生活しているなんて信じられないくらいに嬉しい。けれどそれに付随して食事もままならない人々の不躾な視線が彼女に突き刺さっているのはいただけない。なまえがそれに気づいているのかいないのか、周りのことなんか気にした風もないことが幸いだ。
連絡先を交換したあとから何度も重ねたテレビ通話の中でなまえの素顔には見慣れたはずなのに少し微笑んだだけで簡単に飛び跳ねる心臓。尚更見慣れていない周囲の人間が釘付けになってしまうのも理解はできるけれど納得はできない。むしろおれの小さな心がみるなと叫んでいる。……なまえの素顔を知っているのはおれだけでよかったのに、なんて。
可憐な容姿を隠さなくなったなまえは人に囲まれるようになった。男子生徒だけではなく、その気さくで親しみのある性格ゆえか女子生徒にも囲まれているところもよくみかける。
それでおれと距離ができるかと思えば──。
「スグリ!」
どれだけ人に囲まれていようともおれの姿を見つければ抜け出して真っ直ぐにきてくれる。それを何度も繰り返していればおれ以外に向けられる笑顔が愛想笑いというか、営業スマイルというか、自惚れかもしれないけれどおれに向けてくれる笑顔とは少し違うように見えて優越感なのかいつも口にしてくれる『特別』に実感が伴うような心地になった。おれを見つけてくれた瞬間にぱっと輝くような笑顔を見せるのだから自惚れない方が難しいんじゃないだろうか。
留学してからそんなに時間がかかることなくおれとなまえはセットで扱われることが増えた。チャンピオンと留学生は恋人同士だと噂されていることは知っているし、実際に聞かれたこともある。留学生がなまえであることを確認してなまえのことであれば、否定はしなかった。肯定したわけでもないけれど、それが噂に拍車をかけたであろう自覚はある。
多分、なまえもおれに好意を持ってくれているんだと思う。『特別』とは何度も言ってくれるけれど好きだとか愛している、だとか、決定的な言葉をくれたことはない。それはおれも同じ、だけれど。もしその『特別』が友達としての『特別』だったのなら、決定的な言葉を告げてなまえの隣に居られなくなってしまうのではないかと思うと好きだと告げることに躊躇いが生まれてしまった。臆病なおれは今この『特別』でいられるこの立場を手放すことができない。もしなまえにおれ以外の恋人ができてしまったらと思うだけで胸が焼き切れそうなくらいに彼女の存在はおれの中で大きくて、その恋人がおれであればいいと思うのに。一歩踏み出すことができずにいる。
*****
ブルーベリー学園に来てから少し時間が経って生活に慣れてきたころ、なんだかスグリの元気がないように見えて心配していた。なにか気にかかることがあるのかと聞いてみたのだけれどなんでもないとしか言ってくれないのだ。話して欲しいと願う心がないといえば嘘になるけれど多分私には聞かれたくないことなのだろう。無理に聞き出すことはできなかった。
メガネを外すして過ごすようになってから思った以上に効果が出ているみたいで内心ほくそ笑んでいたけれど、一つうまく行ったと思えば一つはままならないことも出てくるらしい。スグリの曇った心が早く晴れてくれるといいな、と願うしかできなかった。
メガネを外すようになってからあの両親の娘だということもあり人に囲まれるようになったのは煩わしいけれど、予想通り牽制になったみたいでほくほくだ。ブルーベリー学園のリーグチャンピオンになったスグリに集まる注目の中に恋の混じる視線がいくつもあったことに気づかないわけはない。メガネの姿でも効果はあったと思うけれど、外したこの姿ほど劇的な効果がなかったであろうことは想像に難くない。もう何もかもバレてしまった今、この容姿を武器にすることに躊躇いはなかった。自分の容姿が良くも悪くも人目を引き付けることに自覚はある。使えるものはなんでも使うのだ。
「ちょっと、あんた」
ある時スグリはリーグ部の活動があるとかで別行動をしていた時に引き止められた。どこかで聞き覚えのある声に振り返れば、あのキタカミの里での林間学校で一度会ったスグリのお姉さんだった。
気の強そうな瞳が私を真っ直ぐに捉えた。
「スグリのお姉さんですよね」
値踏みするような、突き刺さる視線にわざと気にした風もなく微笑みで応える。
「ふぅん、あの時はあんなに野暮ったかったのにどういう風の吹き回し?」
「隠す必要がなくなりましたので」
私は笑みを絶やすことなく言葉を返す。私は笑顔が武器であり防具であることをよく知っている。
スグリのお姉さんは私の言葉に何も返してこずじっと私を見つめている。沈黙の時間が長くなり私は首を少し傾げた。
「……あの、用がないならもう行ってもいいですか?」
何も用がないのなら部屋に戻りたい。私も暇ではなく今週の担当するポケモンについて家族にアドバイスをもらうために連絡するからだ。トリミングを受け付けるポケモンのタイプに制限はないため得意なノーマルタイプ以外も担当する。一通りは手ほどきは受けているものの兄妹同士得意なタイプがあるので時にこうしてアドバイスを求め合うのだ。
「……あんたはスグのこと、どう思ってんの?」
また少しの沈黙の後、予想していなかったお姉さんからの問いかけに私は面を食らって瞬きを何度も繰り返した。その真意を問おうと思うより先に、先ほどの値踏みする視線とは打って変わった真剣な表情にふざけて聞いているわけではないのだと理解する。
「好きですよ。もちろん、恋愛感情として」
だから私も目を逸らさずに真剣に返す。
「……そう。ならいいこと教えてあげるわ」
やれやれ仕方ないわね、と言わんばかりの表情を浮かべたスグリのお姉さんは私の思ってもいなかったことを教えてくれた。国も違えば文化も違うことは知っていたけれど、そんなことも違うなんて!
衝撃の事実を知った私はお姉さんへのお礼もそこそこに、スグリに会うためリーグ部の部室へ駆け出した。
「貸し1よ!」
「トリミング一回、引き受けまーす!」
背中に投げかけられた言葉に私は振り返って返す。その時に見えた表情は世話焼きな姉の顔でなんだか懐かしい気持ちになる。
言葉は強くてもきっとお姉さんはスグリのことが大切なんだろうなと私は思った。