renegade 1






RENEGADE

FILE.1
19th JULY 12:41
ACE: POINT OF NO RETURN


 火薬のにおいがする。

 炎が好きだ。

 炎に包まれて眠りたい。

 あの赤が好きだ。炎には誰も決して触れないからいい。そんなのがいい。

 おれの身体は火薬のにおいがすると、昨晩抱いた女が言っていたが、女はいつも血のにおいがしていた。おれたちのように傷を負って流れる血や、相手を傷つけて流す血ではなく、身体の中から染み出るような甘い血の香りだ。それはおれの脳に薄い紗をかけたようにしてしまい、おれの本能を直撃し、enchantedという言葉がしっくりくる。でもおれはあのにおいを嗅ぐと舌の裏から嫌な唾液が出た。女の柔らかさには慰められるが、あのにおいには嫌悪感しかうかばない。

 怯えているのかもしれない。男たちはきっと太古の昔から、本当はずっと女に怯えてるんだ。ただそれを必死に認めまいとしてるだけ。女が持つ魔術にも似た魅力に怯えて、支配されることを恐れている。でも本当ははじめから屈してるんだ、だっておれたちは彼女らの腹から生まれたんだから。

 男は肌を裂かれない限り血なんて見ることはないが、女は何もしなくても血を流さなきゃならない。
 あげく数ヶ月も身体の中に他の生き物を入れておくなんて、しかもそれがだんだん育っていくのを感じているなんて、一体どうやったら我慢できるんだ? 自分の身体が他の生物に支配されるのを黙認する、そんな寛大さや余裕は男にはない。

 そしてそいつをいざこのろくでもない人生に送り出す大仕事には、命懸けで挑むのさ。おれなんてびびっちまって当然だろ。尻尾まいて逃げるぜ。

 ああ、母さん。
 おれをこの世界に落として死んじまった女。
 あんたの勇気には感服するが、あんたには大恩を感じて当然だが、どうやら感謝だの愛だのを捧げることは難しそうだ。あんたにだけそうできないわけじゃない。おれにだっていくらかの想像力はある。母親に会えなかったおれよりも、きっとあんたの方が悲しかったんだろう。
 ただおれが生きている世界は、愛だの感謝だのが道端に転がってるディズニー・アニメとは違うってことだ。


 火薬のにおいは消えていた。
 薄い壁ごしにドグラがわめいているのが聞こえる。あいつはいつまで経っても正しい前置詞の使い方を覚えないが、ここは別にハーバードじゃないから、そんなお説教は誰もしない。

 コニー・アイランドはかつての隆盛を失ったという。オヤジはめそめそ嘆くタイプじゃないから言わないが、「懐かしい黒い海、島、そして半島」出のタフな移民たちはときどきかつての自分らの過去の栄光を思い出しては、ヴィーノをがぶ飲みする。愛すべきモビー・ディックのファミリーだ。おれはやつらが誇る黒い海とやらの出じゃないが、オヤジもみんなもよくしてくれている。

 血族の結束を何より重んじてた社会だった。それがエドワード・ニューゲートの代にずいぶん変わった。おれみたいな半端ものも、隔てなく受け入れてくれる。マフィアは社会の脅威だと人は言うが、おれはこんな生き方しか知らないから、こんなおれを拾い上げてくれるオヤジは神様だ。

 神の名なんてクソ食らえだ。でもおれが祈るとしたら、その言葉はオヤジの名だろう。そんなチンピラは今この栄えあるビッグアップルに腐るほどいる。

 オヤジがいなかったら、やつらはみんなただの社会のダニだった。



 ヴィーノの香りがした。ヴィーノじゃねえ、ワインだよ、とおれが言うたび、オヤジはあのでっかくとがったひげを上げてにやにや笑ったものだ。でも本当はおれは、オヤジが使う言葉ならなんでも好きだった。歌うような、少し間延びしたあの柔らかい、明るいアクセント。地響きみてえなオヤジのダミ声で聞くとすごくクールだ。


 寝がえりを打った。またあのフルーツのような甘い香りだ。女と寝たはずだったのに、なぜこんなにおいがするんだろう?

 おれは飛び起きた。


 そこは血の海だった。女の姿はない。
最悪の事態が頭を過った。

 薄汚れてはいたが、一応白と形容できたはずのシーツが、真っ赤に染まっている。
おれは自分の身体を確認した。真っ裸で寝ていたが、傷一つない。

 頭の中で警報が鳴り響いた。
 脈拍数が上がり、血管をアドレナリンが駆け巡る。
 パニックに陥りそうになった。
 落ち着けと自分に繰り返すと、オヤジの朗らかな声を聞いた気がした。
 鼓動が落ち着いてきて、やがていつもの皮肉っぽい余裕が徐々に戻ってきた。
 敵の気配はない。もう去った後なのだ。

 首をぐっと下におろし、シーツのくぼみにできた血だまりのようなものに舌を浸した。

「ヴィーノ。上物じゃねえな」

 オヤジのまねをして言ってみた。ワインだ。ほっと息をついた。

「馬の首じゃねえのかよ」


 天才マーロン・ブランドの渋すぎる演技を思い出しながら、おれは笑った。
 赤髪の仕業だろう。こんな馬鹿馬鹿しい、カギみてえなイタズラを仕掛けるやつは、この業界には名高いあの男しかいない。いくら寝汚いおれでも殺気を感じれば飛び起きるから、やつにはおれを取る気はなかったのだろう。

 あの女にも赤髪の息がかかってたのか。もともといい女だったが、赤髪の手がついてたと思うと、無性に惜しい気持ちになった。もう一度会ったらベッドに引きずりこむだろう。

 そもそも赤髪が起こす事件といったら、マフィアでさえ常識外れだと呆れかえる、胸がすくような面白いことばかりだった。
 だから本当は、おれは嫌いじゃなかった。でも最近うちとあいつらの間では小さないざこざが絶えなくなっている。

 もともと赤髪たちはよその国にのりこんでいって略奪を働いていたバイキングの子孫だとかいう、北の島国の出身だ。移民ばかりのこの街でも喧嘩っ早くて短気な民族として有名だった。

 伝統的に、そういう侵入者の侵略から土地の人間を守るために、自警団的に発展してきた(とオヤジは言ってる)マフィアとは、そりが合わなくて当然だ。
 だいたいオヤジたちは、のどかで陽気で太陽がギラギラ光ってるような「アフロディテが生まれた海」の出身だ。基本的に楽天的で、ファミリー然とした安心感がある。

 笑ってはいてもいつも殺気立っていて、何か「銃がぶっ放されてボトルが砕け散る」的なことが起こることをワクワク期待しているような、赤髪たちのグループとは根本的に違う。レッド・フォースのメンバーは、驚くほど血の気の多い男ばかりだ。

 おれといえば、今まではどちらにも汲みさずのんきでやりたい放題の野良猫生活だった。でも最近、どうしたことか白ひげに惚れちまった。もとはあの男を討ち取ってこのごみだめにのさばってやるつもりだったのだが、今となっちゃ昔の話だ。

 ゴッドファーザーの仰せとあらばなんでも従うし、いずれあの男をこの美しい巨大なはきだめの王にすると決心していた。

 赤髪が邪魔だっていうなら、おれが、あの男の首を取ってやる。

 白ひげはおれの恩人なのだから、おれはそれくらい報いて当然だ。



FILE.2








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