we belong to the sea 1






 夏島の浜風に赤い髪が揺れていた。西に傾いた太陽の光に、ときどき硝子のように輝いた。初夏独特の、風がどこか懐かしい香りを帯びる夕暮だ。左腕の袖がゆるくなびいているのを見るのは、ベックマンには耐えがたかった。しかし本人は気にした風もなく、気楽そうに酒樽の上でラムの瓶をあおっている。

 いつも全身が酒に濡れたような印象がある男だったが、彼が本気で酔っているところは想像できなかった。
 シャンクスが振り向いた。意外そうに眉を上げる。

「どうした、久しぶりの丘だろう? 上がらねぇのか」

 陽気さはいつもと変わらなかった。あんなにひどい事件があったあとなのに、彼は何一つ変わらないようだった。でもそれを真に受けて流されるような浅い付き合いではない。

 印象的な目元はいつでも、芸術家が作り上げた彫刻のように完璧だった。エメラルドを思わせる緑色の瞳が快活に表情を変える様は、どんな宝石より見る者を魅了した。
 その瞳が、今は微かに陰りを帯びて沈んでいる。長い付き合いの中で、ベックマンが初めて見る表情だった。

「あんたはどうなんだ」

 驚いた顔をしたシャンクスが、困ったように微笑した。

「……お前、その全部お見通しみてぇな面止めろ」
「わかっちまうものは仕方ない」
「頭のいいのも考えものだ」

 シャンクスが視線を海に向けると、長い前髪で彼の表情は見えなくなった。彼は何気ない仕草で左肩を上げたが、その先には腕がなかった。
 ため息が聞こえた。

「煙草くれ 」

 ぶっきらぼうな声に、ベックマンは自分がくわえていたのを渡してやった。一息吸いこみ、シャンクスが頭を後ろに倒して船室の壁に寄り掛かった。柔らかい風に乗って白い煙が流れていくのを、しばらく黙ったまま眺めていた。


 シャンクスが左腕を失ったという情報が海を駆け巡ると、彼の首を狙う海賊やバウンティ・ハンターが続々と集まってきた。砂糖に群がるアリみてえだとヤソップが言い、お頭が砂糖ってタマかとルウが笑った。
 シャンクスといえば完全に面白がっていた。右腕で戦うのを習う調度いい機会だと、自分以外が相手をするのを許さなかった。

 シャンクスは冗談めかしていたが、クルーたちには、それが彼への試練でありテストであると分かっていた。だから誰も手助けはしなかった。乗組員は全員気心の知れた仲で、シャンクスが利き腕を失ったくらいで揺らぐ絆ではない。

 しかし彼は船長として、これくらいではびくともしないことを、以前と変わらない自分の力と強さを、部下の前ではっきりと示さねばならなかった。麗しい友情だけでは生き残れない弱肉強食の世界なのだ。
 レッドフォース号には、一船を率いる器量のある男はいくらでもいる。

「一つ外したな」

 シャンクスがはっとしたようにベックマンの顔を見て、声を出して笑った。右手に持ったボトルを揺らす。

 最後に向かってきた相手は手ごわかった。高額懸賞金のかかった海賊で、シャンクスは彼らしくない一撃を打つはめになった。あの戦いでマイナス点をつけられるところといえばそれだけだったし、もちろん戦いには勝ったものの、攻撃を外すなんて以前の彼には考えられないことだった。

「怖ぇなあ」
「何だ」
「まいっちまう」
「お見通しだ、実際」
「おれだって」

 ちょっと目を細め、シャンクスがからかうようにベックマンを見た。にやにやと口元が緩んでいる。この優男が、戦場ではうかつに近寄れないような物騒な人間になると言っても、誰も信じないだろうとベックマンは思った。

「お前が何で来たかくらいはわかってるぜ」
「結構なことだ」
「そんなにおれのことが好きか」

 海風が繊細に浮いた彼の鎖骨を撫で、着古された白いシャツを小麦色の肌に押し付けた。拍子に、鍛え上げられた平らな腹筋のラインが明らかになり、ベックマンは下腹のあたりが疼くのを感じた。
 彼を引き倒して、思うままに蹂躙したい劣情に駆られた。あの燃えるように赤い髪が、自分の下で乱れるのを見ることができるなら、その場で殺されてもかまわない。

「シャンクス」

 名前を呼ばれ、不意をつかれた顔でシャンクスがふりかえった。ベックマンは喉の奥で少し笑った。

「次は外さねぇさ」

 シャンクスが口元を上げた。

「ああそうさ、当たり前だ」

 そう答えたものの、彼は何かを押さえ込むように黙り込んだ。片袖が頼りなく揺れた。
 もともと屈強な男たちの中に入ると彼は華奢にすら見えた。力自慢の海賊にかかれば彼の身体など簡単にへし折られてしまいそうだった。それでもなぜかクルーは皆、理由もなく彼は無敵だと信じていたのだ。切れば血が出る人間だということを忘れて。

 夕日は水面に降り、溶けた金属のように空を照らし上げている。髪を過ぎる涼しい風の心地を、ベックマンはしばらく楽しんだ。そして何気ないことのように口を開いた。

「外さなくなる」

 シャンクスは少しうつむいて煙草をくわえたまま答えなかった。頬にかかった髪で表情はわからなかったが、長い睫毛が、頬に繊細な影を落としていた。鋭い頬の輪郭には、まだ危うい若さがあった。
 ベックマンは彼の顎に手をそえ、自分の方を向かせた。

「おれがあんたの左腕になる。あんたの役に立つ。こんなことはもう起こらせねえ。二度とあんたから目を離さないと誓う」

 シャンクスは煙草をくわえたまま、茫然とした様子で彼の瞳を見詰めた。ベックマンが初めて見る、ひどく無防備な表情だった。彼の瞳に涙が溢れた。
 ベックマンが彼の煙草をとって握り潰した。彼の涙がこぼれる寸前、そこにキスをした。

 シャンクスが我に返ったように彼の手から逃れ、右手で両目を覆った。

「……こんな思いをするのは一度で十分だ」

 ベックマンが低く囁くと、うつむいたシャンクスが歯を食い縛った。ベックマンは彼の頭を無造作に胸に抱き込んだ。ひどく熱かった。傷のせいで熱が出ているのだ。今まで彼がこんなに高熱だったなんて、クルーの誰も気付かなかった。

 彼の頭を胸に押し付けたまま、ベックマンは片手で新しい煙草をくわえた。シャンクスの身体から伝わる高い熱と、それを見過ごした自分への憤りを、煙と一緒に吐きだした。

 やがてシャンクスが彼の手をほどき、大きく息をついた。
 決意の漲った緑の瞳が、ぎらぎらと彼を見据えた。

「おれも誓う」

 ラムを無造作に掴み、喉をさらして煽ると、彼は乱暴に船の手摺りに投げつけた。ボトルと残った液体が粉々に砕け散った。サバンナを睥睨するライオンのように、シャンクスは視線を海に向けた。

「二度とこんな様は見せない」

 意志に満ちた精悍な横顔は、初めて出会ったときから何一つ変わっていなかった。シャンクスの右手は白く筋がたつほどに握りしめられている。ベックマンはその手をとった。もともと細く繊細なつくりの手だったが、長い航海で荒っぽい力強さが加わっている。そして誓いのように、そこにキスをした。  



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