one love: atonement 1





 エースに負けると悔しくて泣いた。
 でも知ってる。
 エースが負けたら、おれはきっともっと悔しくて、きっともっと泣いた。





 やりきれなくなる。
 こんなときには。
 自分が情けなくてたまらなくなる。
 男は昔仲間を失ったと言った。
 でも今はオヤジもお前もいてくれると彼は、潮風に焼けた顔でエースに笑った。海で生きてきたタフな男は、悼む言葉に詰まった経験の足りない若造に、温かい笑顔を作ってまで見せた。

 彼から奪ったのはロジャーだった。

 エースを破壊に駆り立てた憤怒も憤りも、独り暗い炎をたぎらせていた過去の遺物になった。抗う情熱さえ彼を離れて、今はただ砂のように、この虚脱感を噛みしめる。

 おれは彼らの誰一人にも、悲しみを望んでなんかいないのに。
 この船に乗っていることすら、この幸福を分かち合っていることすら、自分にはその権利があるのだろうか……。

 白ひげの船に馴染めば馴染むほど、胸の奥底で繰り返される問いだった。ロジャーが彼らに与えた苦痛を彼は許せなかった。そして償うこともできずに彼らの隣で笑っている自分自身に虫酸が走った。
 自分は何も知らない、あの男のことは関係ないと、自己弁護することは無意味だった。ただの言い訳なのだ。

 もう、力が抜けてしまった。

 白ひげを、仲間を、この船のすべてを愛した今はじめて、エースは村の連中が言っていたことの意味を本当に理解した。自分という存在は罪深い。それは確かに真実だった。あの男がしてきたことは、自分から仲間を奪うのと同じことなのだ。

 あの男は救いようがない。エース自身が誰より彼を憎み、許すことができなくなった。物心ついたときから否定しようと躍起になってきた自分の姿が、今静かに鏡の向こうに立っていた。鬼の子だ。

 それでもルフィは彼を愛してくれた。それは痛いほどわかっていて、彼がすべてを投げ出してすがることができる救いだった。そしてこの船の仲間もきっとそうだ。エースに優しくしてくれる。
 そんな値打ちがあると信じさせてくれる。

 しかしこんな風にあの男が奪った命を思うとき、それでも埋まらない風穴があった。行き場を無くした愛情を思うとき、残された仲間の、母親の悲嘆を思うとき、彼が今生を享受してることはやはりひどく不公平だ。
 彼らから愛する者を奪った男の子供が、罪の血が、今こうしてのうのうと、愛され、幸せに、……。
 彼らが自分を憎むのはそんなに不思議なことだろうか?

 時々世界は、彼に絶望を教える。




 絹糸のような雨が素肌に触れる。母の手のように優しく、包み込むようにくまなく濡らしていく。
 モビーディック号より随分小振りな船の上は、珍しく静かだった。夕食時で皆食堂に集まっているのだ。見張りの顔馴染みにちょっと会釈して見せると、口元を上げて船長室を指差した。薄闇に浮かぶ窓に灯りがちらちらと写っていた。

 エースは足音を忍ばせ、そっと扉を開けた。ランプの揺れる光の中、マホガニーの机と古びた羊皮紙に、赤い髪が綺麗に広がっている。鏡のように、滑らかな髪に炎が写っていた。小難しい書面と格闘してはみたものの、きっと睡魔に負けたのだろう。エースは思わず微笑んだ。そしてそうした自分に驚いた。
 どんなに打ちのめされたときでも、シャンクスやルフィは彼に微笑むことを思い出させてくれる。

 不意に泣きたくなった。きっとずっと前から泣きたかったのかもしれない。

 ゆっくりと近づき、驚かさないよう背中からそっと抱きしめた。滑らかな髪に擦り寄ると、シャンクスが喉の奥で少し声をたてた。エースは頭を押し付け、彼の耳の後ろの辺りにキスをした。よく知っている大好きな匂いがした。
 船はゆったりと揺れている。二人のための揺りかごのようだった。
 こんなときでさえ、海は優しい。

「エース……?」

 寝起きの掠れた声だ。エースは彼の髪に顔をうずめたまま、ただ唸るような返事をした。思いがけず甘えるような声になった。シャンクスが髪をかきあげながら身体を起こしたので、離されないように正面からしがみついた。霧雨で濡れた身体はシャンクスには居心地が悪いに違いない。でも彼はそんなことで文句を言うはずがないと、エースは知っていた。

 彼のしっかりした腕が背中に回った。しかしほっとした瞬間シャンクスが立ち上がったので、エースは焦った。無理に立たされて抗議しようとすると、安心させるように唇が湿った髪に触れた。押されるままに数歩下がると膝の後ろに柔らかい布が触れ、二人でベッドに倒れこんだ。

 シャンクスの背中を抱え、身体に力を入れて彼の上に乗り上げる。ブーツを脱ぎ捨ててゆっくりと脚を絡めながら、無防備な首筋に何度も唇を押しあてた。猫のように擦り寄る。

「シャンクス」
「どうした。甘ったれだな……」
「眠ィ……」

 目蓋の上に彼の唇が降ってきた。くすぐったさに顔を背け、日焼けした胸に頬を押し付けた。低い振動が伝わり、シャンクスが笑ったのがわかった。気まぐれに髪を梳かれ、今度は額に唇が触れた。

「……寝るのか」

 シャンクスが言った。エースは答えようと思ったが、溢れそうになる涙をこらえるのが精一杯だった。シャンクスが身体を伸ばしてランプの灯りを消した。一瞬離れた身体を寂しく思う間もなく温もりが戻ってきて、彼の腕がしっかりと肩を包んだ。
 エースは噛み締めるように目を閉じる。こらえきれなかった涙が一粒落ちたので、ごまかすようにその上にキスをした。
 そしてシャンクスの背中に腕を回し、温かい彼の香りを痛む胸に吸い込んだ。




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