dune 4-2





ace : this world through your eyes



 彼らは明日この都市を出発するようだ。エースにはなんの感慨も起こらなかった。
 見慣れた路地裏。強い日差しを遮るため、街並みはわざと日乾しレンガの建物同士を密接させて造られている。一見狭苦しくて非合理的だが、これが砂漠の都市の涼を取るための知恵なのだ。ロバがやっと通れるくらいの路地は、常に日影で心地よい。昼間は窓を閉ざしている方が涼しく、どの建物にも広々とした四角い中庭があった。

 初めてこの都市を訪れた人間は必ず道に迷うものだ。何度か来た人間でさえ迂濶には歩けない。しかしやがて慣れてくると、どの路地を通ったとしても、最後には町の中心にある奴隷市場にたどり着けることに気付く……。

 物心ついてからエースが暮らしてきた街だった。白ひげが一度連れ出してくれたが、彼の死後また引き戻されてしまった。愛着など全くなかった。一刻も早くここを出たいのだ。


 ベッドの天蓋の外にも、シャンクスの姿はなかった。一人でまともに起き上がるのは少なくとも二週間ぶりで、若馬のように逞しかった筋肉が嘘のように衰えていた。立ち上がっただけなのに、頭蓋の中で歯車が空回りするような感覚がした。一歩一歩踏みしめるようにして歩く。扉の隙間から眩しい光が漏れて彼を手招きしていた。

 中庭にそった回廊に出た。一瞬視界が真っ白になる。正午の眠たくなるような風が吹き付け、彼のくせ毛をくすぐるように揺らした。
 近くの部屋から話し声が聞こえる。シャンクスの声だ。どんなに小さくても、エースには彼の声はすぐにわかった。今までの主人とは違い、それだけで憎悪が沸き上がらないのが不思議だった。

 引き寄せられるように、壁伝いによろめき歩く。話し声がますます近くなった。


「……そのルートは避けた方が賢明だろう」
「でも不確かな情報に左右されるのも馬鹿馬鹿しいよ。ひでぇ遠回りだ」
「最近は鳴りを潜めてるって噂だしな」
「だがいつも襲撃は突然だって言うぜ」
「黒ひげか。……わざわざ喧嘩しに行くつもりはねェが、道を変える気もないな」

 シャンクスが言った。戸口に立ったエースが手をかけた瞬間、内側から勢い良く扉が開いた。自分を見下ろす黒い瞳に、エースは凍り付いた。

 殴られる。

 彼は反射的に身をかたくした。
 しかし彼の身体に触れたのは、大きな優しい手だった。

「……もう歩けるのか」

 顔を上げられずにいると、笑みを含んだような声が降ってきて、肩の手がいたわるように彼の身体を涼しい室内に引き入れた。

「なんだ、エース。来たのか」

 シャンクスの声がした。一番奥の、この国独特の広いソファーに座っている。怒ってはいないようだ。エースは戸惑った。

「……立ち聞きするつもりなんてなかったんだ」

 シャンクスが答える前に男たちから朗らかな笑い声が上がった。馬鹿にしたような色はなかった。

「来いよ」

 シャンクスが言ったが、気付けば部屋にいる隊員たちは皆幹部のようで、エースは尻込みした。

「いいよ。部屋に戻る……」
「いいから来い」

 長い黒髪の男に背中を押され、エースはおずおずと部屋の奥に進んだ。数人の男が口笛を吹いた。

「小汚かったガキが、見違えたじゃねぇか」
「おれの手柄だ」

 シャンクスが得意気に答えたが、すぐに男たちに野次り返された。

「手柄よりあんたが見物だったよ。慣れねぇことするもんだから」

 シャンクスが憮然とした顔になり、集まった男たちが可笑しそうに笑った。
 ようやく傍に来たエースを無造作に引き寄せたが、驚いたエースが両手を振り回した。不意に掴まれた力の強さに、今までの主人たちの振る舞いが一気によみがえって吐き気がした。

「おい……」

 がむしゃらに逃げ出そうとする彼の腕をつかみ、シャンクスは当惑した。エースの方もびっくりしていた。いくら自分が弱っているとはいえ、こんな風に簡単に抵抗を封じられるのは初めてだった。彼は半ばパニックになり、罰を覚悟でシャンクスを蹴飛ばそうとした。
 しかし足が彼にあたる前に、頭に強か衝撃が走った。

「ちょっと落ち着け」

 何が起こったのか一瞬わからなかった。へたりこんだまま頭を押さえて見上げると、シャンクスが呆れた顔で自分を見ていた。
 頭を叩かれたのだとようやく気付いたが、今まで受けた罰のどれにもあてはまらないのでエースは混乱した。第一痛くないから罰にならない。

 目を丸くしていると、シャンクスが手を伸ばして彼の頬をつまんで少し笑った。我に返ったエースは何か言い返そうとしたが、頭に血が登るばかりで言葉が出て来なかった。

 シャンクスが彼の頭をついでのように撫でて、座りのいい位置に抱き込んだ。子供が猫を捕まえるような仕草だと、何人がの男がまた笑った。シャンクスはまだ混乱している様子のエースの注意を引き、絨毯の上に広げた地図を指さした。

「明日発つんだ。この道を通って四、五日もすれば海に出る」
「海……」

 エースがぎこちなく呟いた。

「坊主、海を見たことあるか」

 バンダナをした、特徴的な髪型の男が言った。その口調はかつて白ひげがエースにむけたものとどことなく似ていた。毒気を抜かれ、エースは頷いた。

「一回だけ」

 白ひげと一緒に。

「そうか。また連れてってやる」

 男が微笑んだ。エースはどんな顔をすればいいのかわからなかった。なぜか泣き出したいような弱気になったところを、男が節くれ立った手を伸ばして頭を乱暴に撫でた。エースは無意識に背中を丸めてシャンクスの脇腹に押し付けたので、シャンクスがちょっと笑った。

「そのルートが最短だが、黒ひげの件が気がかりだな」

 戸口の黒髪が呟くと、部屋の空気が一瞬にして張り詰めた。息を呑んで見守っている。全員が神経を集中させて、シャンクスの発言を待っていることがエースにも感じられた。

 緊張した空気に顔を上げることすら出来ずにいると、耳元にかかった吐息でシャンクスが微笑したらしいのがわかった。

「確かにそうだが、おれはこの道を行ってみてぇんだ」

 不意を突かれた一同が、弾かれたように笑いだした。

「じゃあ仕方ねぇや」
「かなわねぇよ。いつもそれだからな」
「だがまあ、頭の言う通りだ。おれたちが恐れる理由もねえ。決まったところで酒でも飲むか」

 男たちがめいめいの位置に陣取り、手を叩いて侍女に食事を言い付けた。

「お前も何か食えるだろ?」

 シャンクスが気軽そうに手を伸ばして、皿の上からこの国独特の砂糖を練った菓子を手に取った。奴隷の食べるようなものではない。白く歯ごたえのある砂糖に、甘い棗椰子の実やナッツがたくさん煮詰められていて、エースが幼い頃から一度でいいから食べてみたいと憧れていたものだった。

「……シャンクス」
「ん?」
「黒ひげは、この街じゃ名の知れた盗賊だ。全部奪って、皆殺しにするって……」
「へぇ、そうか」

 シャンクスがザクロ酒に手を伸ばした。

「聞けよ。わかんねぇのか?普通のキャラバンは避けて通ってる」
「聞いてるさ」

 シャンクスが急に真面目な顔で視線を合わせたので、エースはどきりとした。その時、彼の綺麗な瞳の上を三筋の傷痕が走っていることに改めて気付いた。しかし宝石のような緑色は相変わらず考えが読めなかった。

「それに、知ってる」

 無表情に告げられた一言にエースが眉をひそめたが、シャンクスは笑って可愛らしい砂糖菓子をエースに押し付けた。

「ほら、食ってみろ。舌が固まるくらい甘ぇから」

 シャンクスの言葉を追及したい欲求に駆られたが、エースは目の前の誘惑に負けた。生まれて初めて食べた砂糖菓子は、確かに舌がもげそうなくらい甘くて、想像よりはるかに美味しかった。

 この男たちは、もしかしたらエースが今まで出会ってきた人間とは違うのかもしれない。それよりも、白ひげと同じなのかもしれない。

 しかしあれほどの幸運がそう何度も起こるはずがなく、逆に不幸は油断すると何度でも訪れる。経験が警鐘を鳴らした。この男たちがどんな人間だろうと、早く逃げ出すことだ。一人でいる以上に安全なことはない。裏切られることが決してないのだから。

 口の中の砂糖菓子が味を失った。目の前に並んだ唾を飲むようなご馳走も、急に色褪せたものに見えた。
 その瞬間、そう考えた自分に、なぜか少し愛想が尽きたのだ。




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