dune 1





shanks : if someone cares



 マーケットはにぎわっていた。太陽はもう高くにあり、布で隠さなければ肌を火傷してしまうほどに日射しは強い。こんな時間帯では、いい品はすでに売り切れているはずだった。

 マーケットで有名なこの都市には、一番近い港からでも馬や駱駝を使って5日はかかる。日頃海を行き慣れた仲間たちは陸路を嫌がったが、砂漠の道は驚くほどに美しかったので、シャンクスは少しも苦にならなかった。生来明るい性質で、普通の人間なら参ってしまう困難にも今まで数え切れないほどぶつかって来ているが、決して音を上げたことはない。今回の砂の道の灼熱の昼と極寒の夜の厳しさも、彼にとっては騒ぐほどのものではなかった。美しい情景を見るためにはそれなりの代償が必要だ。
 しかし今回の目的は、砂漠の美しい景色ではなかった。むしろその対照にあるもの、奴隷売買だった。
 シャンクスは海路から世界各国を旅していたが、奴隷売買を現在も合法的に認めている国は少なかった。今向かっている都市は、数ヶ月に一度巨大な奴隷マーケットが開かれることで有名だ。シャンクスは奴隷制度を憎んでいたが、だからこそそれを自分の目で見ておきたかった。

「もう店じまいのところも多いな」

 副隊長のベックマンが呟いた。行き交う人々は男性は長い顎髭をはやし、女性は目だけを出して全身を布で覆いかくす衣装を身につけている。この国では男性より女性の方が身分が低い。自分の夫以外には肌を見せてはいけない決まりになっているのだ。しかし奴隷は人間としてすら扱われないのだった。
 即席の店棚には、首を鎖で繋がれた人々が力なく座り込んでいた。皆美しい衣装を着せられているが、顔に生気がない。重たそうな首輪を嵌められていた。

「周到だな」

 ベックマンが皮肉そうに言った。シャンクスも以前耳にしたことを思い出した。あの独特の首輪は、無理に外そうとすると爆発する仕掛けになっている。シャンクスの船の若い乗組員たちが哀れだと口々に悪態をついたが、シャンクスは何も言葉にする気が起きなかった。彼にしてやれることは何もなく、これが現実なのだ。奴隷たちの前で軽々しく同情してみせないだけの分別だった。

「旦那、この娘はお買い得だよ」

 商人が愛想良くシャンクスの肩を掴んだ。足を止めると、若い女性の鎖を持った男が彼を値踏みするように見ている。

「ベッドの相手をさせるのには最適だし、料理は上手い、女中にもちょうどいい。安くしとくよ」

 美しい女のようだった。ぐったりとうなだれ、自分が売り付けられる相手を見る気力もないようだ。シャンクスは買い取って自由にしてやりたくなったが、かといってこのマーケット全体の奴隷全員を自由にしてやることもできない。

「奴隷を買いに来たんじゃないんだ」

 とたんに、商人が鼻を鳴らした。

「なんだ、冷やかしか。観光客には見えなかったが」

 奴隷の娘を押し退けるようにした。シャンクスはさりげなく彼女が転ばないように支えてやって、商人の店を観察した。

「あんたの店か」
「じいさんの代からさ」

 店には若い者から老いた者まで、奴隷が10人ほどいた。

「奴隷はどうやってあんたのところに来るんだ?」
「まちまちだな。戦争もあるし、もとの飼い主から売られたもの、親に売られたもの、親が奴隷だったもの、さらわれて来たもの、借金のカタもある。まあ、おれには関係ないね。おれはやつらを売るだけさ」
「みんな綺麗な服を着せられてるな」
「そりゃそうさ。誰が小汚い奴隷を買おうとするかい。これは商品なんだぜ。自分とこの商品の品質を保つのもディーラーの腕の見せ所だ」
「へえ……」

 男との会話に胸のむかつきを覚えながら、シャンクスは相づちを打った。

「オッサン、じゃああれは商品じゃないのか」

 店のわきを覗いていたヤソップが商人に声をかけた。

「ああ、そいつはもうダメだね」

 商人が素っ気なく言った。
 肌を焼く日差しの中、みすぼらしい傷だらけの少年が一人だけ店の外に鎖で繋がれていた。両手両足を拘束され、十字に打ち付けられた板に手首を繋がれている。

「何代か前の飼い主が、自分のマークを背中にでかでかと入れやがったのさ。本人は自分で入れたって言い張ってるけどな。そんなことする見上げた奴隷がいるか? いずれにしろ、ああなるともう買い手がつかない」
「ずいぶん厳重に繋がれてるな」
「前の飼い主を半殺しの目に合わせたんだ。それも一人じゃない。ああでもしないと凶暴で手がつけられなくてね。苦労して繋いだんだ」
「主人に刃向かった奴隷が、よく殺されなかったな」

 ヤソップが言った。商人がタバコに火をつけた。

「殺しちまったらタダだが、生かしておけば少なくとも値がつくからな。実際あれもここに来たときは半死半生に叩きのめされてたんで、一時はもうダメだろうと思ってたんだ。でもたとえ生きたとしても、あれじゃ誰も買いたがらんね。まあ、買値もタダ同然だったし、ウチの損にもならないからかまわないさ。そのうち物好きがいるだろう」
「そういうものか。……シャンクス、何してる」

 シャンクスは少年の前に膝をついた。固い砂の地面にどす黒い血の染みがいくつもできている。美しく飾りつけされた他の奴隷たちとは対照的に、彼が纏っているのはもとの色もわからないようなぼろ布だった。繋がれた手首は赤く腫れ上がり、黒い髪には血がこびりついて固まっている。息をしているのも辛いらしく、そのたびに肩が大きく上下した。傍に人がいることすら気付かないほどに余裕がない。

「旦那、あまり近寄らないでください。怪我しますぜ」

 シャンクスは黙って少年に手を伸ばした。うつむいた視界にシャンクスの手が入った瞬間、弾かれたように少年が顔を上げた。彼の黒い瞳がシャンクスを捉え、荒々しい殺気が彼を貫いた。
 シャンクスは嬉しくなって微笑した。

「……へえ、いい目をするな」

 しかしすぐに商人が割って入り、少年の頬を棒で強か殴り付けた。シャンクスが眉をひそめたが、何か言う前にヤソップが彼の手首を掴んだ。

「ガキ相手に、あまり手荒なことするな」
「こいつは危険なんだよ、旦那」
「繋がれた相手に危険も何もないだろう」

 シャンクスが低く呟き、少年の肩口に手を伸ばした。少年がびくりと震え、唸り声を上げる獣のようにシャンクスの目を油断なく睨み付けていたが、シャンクスはかまわなかった。破れた肩口の布を捲ると、タトゥーがのぞいている。

「……お前、エースって言うのか」

 少年は答えなかった。歯ぎしりをしながら、憎しみのこもった目でシャンクスを睨み付けている。

「なあ、このタトゥーのせいで買い手がつかないのか?」
「いや、それじゃねぇ。背中だよ背中」

 言いながら、商人はエースの背中を棒で捲り上げた。エースが屈辱に顔をゆがめながら嫌そうに身をよじった。

「へえ……」

 ベックマンがシャンクスの後ろで呟いた。シャンクスも内心驚いていた。背中に大きく彫られたマークは、彼らがよく知っているものだった。

「もう死んじまったがね。探検家だか冒険家だか肩書きは知らないが、けっこう有名だったらしい。たいそうな資産家で、財団なんかも持ってたらしいが、奴隷をよく買っていった。変わった男で、奴隷たちをただで解放してやって、息子だの娘だの呼んで可愛がってたって話だ。奴隷もよく懐いて、解放されてもあの男のもとにとどまるやつらが多かったらしい。こいつもそのクチだ」
「そのオヤジならよく知ってるよ」

 シャンクスが言った。商人がタバコの煙を吐き出した。

「へえ? 有名だったらしいしね。このガキも、あの男のことを神様みたいに信仰してる。おかげでますます買い手もつかずこっちは商売上がったりさ」

 そう言ってもう一度殴ろうと振り下ろされた棒を、シャンクスが素手で受け止めた。

「な……何をするんだ!」
「もう止めろ」

 殴られる覚悟で身を竦めたエースが息を飲んだ。驚愕に目を丸くしながら、呆然と二人を見上げる。

「うちの商品に何をしようがおれの勝手だ」
「もう商品じゃない」
「……!?」
「おれが買うよ」
「買うって旦那……こんな使い道のない奴隷、どうするんだ。凶暴でおまけに傷モノだぜ」
「あんたが口を出すことじゃないさ。いくらだ?」
「いくらって……」

 商人は改めてシャンクスを値踏みした。豪華絢爛な身なりではないが、身綺麗でよく見ると金を持っていそうな男だった。若さに似合わない堂々とした落ち着きがあるし、ふっかければ気前よく出しそうだ。しかし自分で散々けなした手前、いまさら高い金額を言うのも気がひけた。迷っていると、シャンクスがため息をついた。

「おい、今おれたちはいくら持ってる」

 シャンクスがベックマンに言った。ベックマンはヤソップと目を見合せ、観念したように苦笑した。

「現金か?」
「ああ。あるだけ全部出してくれ」

 何も言わずに、ベックマンは部下から重たそうな小包みを受け取り、シャンクスに手渡した。シャンクスはそれを商人の番台に無造作に投げた。どさりと響いた重たい音に、商人がうろたえた。中を覗いて声を上げる。

「だ、旦那、多すぎるよ。これじゃあ何十と買えちまう……」
「命の値段だ。おれにはわからない。こいつはもらっていっていいな?」

 言うが早いが、シャンクスはエースが繋がれている鎖をナイフで断ち切った。

「待ってください旦那、そいつは危険だ」

 戸惑いながらも暴れようとしたエースの腕を、ベックマンが難なく掴んだ。当惑しきったあどけなさの残る顔を覗き込み、シャンクスが笑った。

「よし、まだ元気だな」

 ベックマンにがっちりと掴まれたまま必死に威勢を保ってはいるが、エースは怯えた様子で固まっている。首輪の鍵を受け取ると、商人が止めるのを無視してシャンクスはその場で外してやった。

「これはもういらない」

 シャンクスは首輪を商人に渡した。呆気なく外された首輪を、エースは信じられない顔で見つめていた。首筋は赤く腫れ、長い間の拘束で痛々しい傷痕が残っている。シャンクスは眉をひそめ、そっと跡をなぞった。とたんにエースが我に返ったように暴れだした。商人が舌打ちをした。

「だから言わんこっちゃない……!」

 エースを押さえているベックマンが苦笑した。

「とんだ暴れ猫だな」
「見込みあるだろ」

 シャンクスが満足げに笑い、抵抗を続けるエースの首に手刀を入れた。  









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