somewhere i belong 1




「また目付きの悪ィのがきたな」

 食堂の入り口でからかうようなざわめきが起こった。隣で食べていたサッチが顔を上げ、面白そうにマルコを肘でこづいた。

「あのガキ、中で食うようになったんだな」

 マルコは黙ってパンを口に運んだ。さりげなく伺うと、親父の首を狙う殺気立ったルーキーはちょっとした見せ物になっているらしかった。食事を乗せたトレイを持ち、周囲に注意を払いながら、エースは空いている席に座った。周りに鋭い視線を走らせ、警戒のあまり料理を味わう余裕もない様子で掻き込んでいる。

「あいつも良く続くなあ」

 サッチが呟いた。

「そろそろ馴染んでもいいはずなのにな」
「親父を討ち取ろうって奴は馴染みはしねぇだろい」
「でも集中力にも限界はあるだろ」

 限界は確かにありそうだった。マルコはそう思っていた。マルコが彼を見かける機会は少ないが、近頃のエースは最初の頃とは少し態度が違う気がした。はじめは警戒と威嚇ばかりだったが、最近はどこか当惑しているような仕草が見える。白ひげのクルーの野次にも、怒っているというよりは戸惑っているような顔をしていることがある。
 白ひげに挑み続けることに、迷いを感じているのかもしれない。

「限界はあるだろうな」

 マルコが独り言のように答えると、サッチはすでに席を立っていた。思わずため息が出る。

「好きだない」

 サッチがにやにやしながらエースに近づいた。エースが気付き、飛び上がるように椅子を蹴って彼と向き合った。

「そんなに睨まなくてもいいだろ」
「……何か用か」

 エースが身体を低くしてステーキ用のナイフを握った。サッチが笑った。

「炎を出さなかっただけましか?」

 エースが唇を噛んだ。サッチはいつもの彼流の冗談のつもりなのだろうが、追い詰められて毛を逆立てた猫を連想して、マルコは何となく放っておいてやれと言いたくなった。

「あんたじゃねェんだよ。おれが用があんのは」
「ああ、わかってるさ、100回以上も見てりゃあな」

 見物していたクルーが笑った。サッチが手を伸ばし、身体を固くしているエースの頭を一つ撫でた。エースは攻撃せずに耐えたが、乱暴に彼の手を振り払った。サッチが残念そうに肩をすくめた。

「そんなに怒るなよ。かまいたくなっちまう」

 また笑い声が上がる。エースが睨み返したときには、サッチはすでに食堂のドアを閉めていた。
 憮然とした顔でエースが椅子に戻ると、誰が投げたのかオレンジが一つ飛んできた。エースがびくりとして再び椅子から飛び退いた。柄の悪い海賊達のことで、いたずらの成功に歓声が上がった。エースが忌々しそうにオレンジを投げたクルーを探した。

「どうした? 怖いものなんてないと言い切ってみせたくせに」

 どこからかダミ声が上がった。

「今さら失うものなんてないと、吐き捨てたんじゃなかったか」

 びくびくしている様子がおかしいと、クルーは若造をからかっているのだ。乗組員同士の罵り合いは日々の暇潰しで、これくらいは日常茶飯事だった。しかしエースは一瞬あまりに無防備で幼い顔をした。マルコには彼が気の毒なように見えた。
 エースのいつもの威勢のいい啖呵を期待していた者も多かったはずだった。しかしエースはうつむいてトレイを掴み、返却場に持っていくと、黙って食堂を後にした。



 手摺りに座り、エースは一人でデッキを見下ろしていた。夜番のクルーが何人か車座になって酒を飲んでいるだけで、特に面白い景色ではない。ただ物思いに耽っているような様子だった。

「気にするんじゃねぇよい」

 マルコが声をかけると、エースが驚いたように顔を上げた。

「あいつらの野次はいつものことだ」

 エースが何度かまばたきをした。気が抜けたような顔になる。

「ああ……あれは、気にしてねぇよ」
「そうかい? おれァまた、拗ねてんのかと思ったが」

 エースが肩をすくめた。

「おれだって嫌われてんのとイジられてんのの区別くらいつくよ。そんなにガキじゃねぇ」

 大人びた口調に、マルコは思わず吹き出した。たちまちエースがじろりと睨んだ。

「馬鹿にしてんのか」
「ガキじゃなかったかい」

 エースは不機嫌な顔で視線を眼下に戻したが、ふと顔を上げた。

「……雨だ」

 マルコも夜空を見上げた。

「ああ、本当だ」

 まだ星は見えていたが、気を付けていると小さな雨粒を確かに感じる。海から吹く風も生暖かい湿り気を帯びてきた。

「お前、少し付き合わねぇか」

 エースがマルコを見上げた。跳ねた癖毛が風に揺れている。

「ここで雨に濡れるよりはいいだろい」

 エースの返事を聞くより先に、マルコは彼に背を向けて歩きだした。少し迷った後、エースがおとなしくついてきた。



 渡されたボトルを、エースがしげしげと見た。

「シードルだ」
「酒か?」
「リンゴの酒だ。近くの秋島の名産だよい」

 エースが一口飲んで微笑んだ。めったにないが、笑うと普通の子供のようだ。

「美味ぇ」
「それも食え」

 いつの間にか机に置かれていたパウンドケーキを出してやった。皿の下に急ぎの書類が留められていたので、この時間に書類だけ持っていくのは悪いと隊員が気をきかせたのだろう。
 きつね色に焼けたケーキにエースが手を伸ばした。マルコは書類に目を走らせる。

「あんたも」

 目の前に無理やり差し出されたケーキにちょっと顔をしかめたが、マルコはおとなしく受け取った。

「食わせるために呼んだのか?」
「さあな」
「……説教したがる人には見えねぇが」
「笑わせんじゃねえよい」
「暇だったのか?」
「まあな」
「書類見てるのに?」
「戻ってくるまでは暇だった」
「嘘つけ。あんたはいつも忙しいだろ」

 マルコは顔を上げた。意外と良く見ているものだ。感心していると、エースが無言のまま手を伸ばしてきたので、彼は眉をひそめた。

「何だい」
「それ、いらねぇならおれが食う」

 マルコは眉を上げ、一口食べて辟易していたパウンドケーキをエースに渡した。彼には甘すぎた。

「美味ぇのに」
「全部食えよい」

 冗談で言ったつもりだったが、エースは真顔でいいのか? と聞き返した。けっこうな量がある。

「この処理のために連れてきたんじゃねぇの」

 マルコは笑った。

「役に立つじゃねえか」
「たまにはな」
「食ったら好きにしてろい」

 エースが真面目な顔で彼をじっと見つめた。

「おれは食ったら寝ちまう」
「かまわねぇよい」
「あんたは?」
「おれは仕事が入った」

 書類を確認しながらマルコが答えた。エースはしばし手元のボトルを見つめ、一口煽った。

「……あんまり、こういうことするなよ。あんたらさ」

 ぽつりと呟かれた言葉に、マルコは視線を上げた。エースは膝に両肘をついてボトルをもてあそんでいる。

「おれを何だと思ってる」

 マルコは微笑し、エースの言葉の続きを待った。

「おれは、あんたらの大将を狙ってんだよ」
「好きにしろい。お前の勝手だ」
「……」

 エースが言い返そうと口を開いたが、結局何も言わなかった。マルコは机に向き直った。

「……ケーキ食っちまうぞ」
「ああ」

 背中ごしに返事をする。本当に全部食べるのかと思うと驚嘆するやら呆れるやらだったが、無性に彼の頭を撫でたくなった。
 無言のまま仕事をする。静寂が苦にならない質だったが、エースもおとなしくケーキを食べていた。すさんだ言動のわりにわきまえた子供だと思う。

「……仕事まだ終わらねぇの?」
「そんなに簡単に終わるかよい」
「ケーキ食っちまった」
「ああ。外は雨だ。ここにいろい」

 マルコは振り向きはしなかった。でもかすかな気配で、うつむいたエースがくすぐったそうに笑った気がした。




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