chained 2





 船は雨雲を引き離して島についた。振り返ると遠くの空が恐ろしいほどに暗い。遮るものがないから、雨がそこだけ降っているのがわかる。明日の朝までに船に戻ると約束して仲間と別れた。
 何か強い酒が無性に飲みたくて、昼間からバーのドアを開けた。
 煙草の煙が立ち込めている。もともと治安の悪い島なので、こんな時間から店にはごろつきがたむろしている。
 人影の奥に目立つ赤い髪を見つけて目の前が真っ白になった。
 意識する前に駆け出していた。走っている途中で怒鳴り声と銃声が響いた。胸元を銃弾がいくつかすり抜けて行く。
 気付いて振り向いた彼の肩を乱暴に掴み、そのまま台の上に押し倒した。グラスが砕け散る音が響く。押さえつけて唇にかじりついた。シャンクスが引きつったように喉を鳴らすのを聞いて、震えがくるほど興奮する。唇を割って息が詰まるくらいに舌を絡めた。痺れような快感にうっとりとなった。
 全部奪いたい。
 このまま炎になりそうだ。
 この人に全部奪われたい。
 彼が身動ぎをし、ゆっくりと身体を起こした。キスに夢中になってるおれは彼の肩にすがりついた。上顎をかすめる感触がたまらない。無意識に喉が鳴ってしまう。目蓋の裏がちかちかする。息継ぎの合間に余裕のない吐息がもれた。温かい手がシャツの下の背中に滑り込んでくる。胸を触られそうになって思わず逃げると、腰を乱暴に引き寄せられた。

「……あっ……」
「……ん?」
「……」

 我に返った。シャンクスの整った顔が目の前にある。
 周囲の物音が再び戻ってきた。
 彼の腰の上に跨ったまま、ぼんやりと辺りを見回した。シャンクスが気にせずに喉に歯を立ててくる。店の中は静まり返っていた。知った顔がいくつか。呆気に取られて固まっている。床にはその手から落ちたらしいビールのジョッキ。シャンクスを押し倒したのはビリヤード台だった。キューと色とりどりのボールが散らばっているのを見ると、どうやら試合中だったらしい。これでもうゲームオーバーだ。

「あ……」

 シャンクスの肩を押し、おれはとりあえず息を整えた。まだ身体の芯が快感の余韻に痺れている。こんなときは何て言ったら正解だったか。

「……お楽しみのところ失礼しました。……じゃねぇか。おれがだよな。えーと、……お騒がせしました?」
「……」
「騒いでねェしな……」

 こんなに静かな酒場ははじめてだ。
 シャンクスが吹き出した。おれが困ってるのを助けもせず、うつむいて肩を震わせている。滑らかな髪がくすぐったい。

「……構わない。こちらこそだ。続けたらいい」

 ダーツを手に持ったベックマンが笑いをこらえるような顔で言った。おれは答えに困った。シャンクスは彼と勝負していたらしい。

「……遠慮しときます」

 とうとうシャンクスが笑い出し、それで店の雰囲気ももとに戻った。

「こんな迫られ方したのはじめてだ。おれの首でも取りに来たかと思ったじゃねぇか」
「そんなことするかよ。楽しみがなくなっちまう」
「ハハハ……、そう簡単にはくれてやんねぇ。でもエース、お前なんでいつも傷だらけなんだ? おまけに何か濡れてるな」
「ああ、沖で雨が降ってたんで」
「へえ、一戦やってきたわけか」
「そう」
「仲間はどうした。勝利の宴はいいのか」
「そんなのいらねえ。祝うこともねぇし」
「勝ったってのに祝うことがないのか?」
「……」

 返す言葉が見つからない自分がなんとなくショックで、おれは言葉に詰まった。シャンクスが苦笑した。腰に置いた手で励ますように 身体を軽くゆさぶられる。

「来いよ。面倒見てやる」



「スコールだ」

 シャンクスが呟いた。外に出るとたちまち土砂降りになった。沖の雨雲が追い付いて来たのだ。泥水を跳ね上げ、シャンクスが走りだした。おれも後に続く。古い石畳は水捌けが悪く、地面を蹴るたびに飛沫が飛んだ。

「宿までどれくらいだよ?」

 答えずにシャンクスがおれの手を掴んだ。引っ張られるままに彼の隣に並ぶと、無造作にマントの中に抱き込まれた。

「シャンクス!」

 温かい腕に顔が火照る。おれの肩を抱いて、シャンクスが路地の軒下に走り込んだ。

「降ってきたな……」

 濡れた髪をかきあげながら、シャンクスが空を見上げた。そして今 気付いたようにおれの顔を見る。

「野良猫みてぇ」

 湿気を吹き飛ばすような顔で笑った。マントの端を持ち上げ、本当に猫でも洗ったかのようにおれの髪をくしゃくしゃと拭いた。おれは思わず振り払った。シャンクスがきょとんとした表情になる。おれは漆黒のマントを見つめた。

「汚れちまうから」

 シャンクスの目に一瞬不意を突かれた色が浮かんだ。そして笑った。

「可愛いな、お前は」

 目の前の瞳を見つめて、おれは固まった。濡れた髪をシャンクスに撫でられる。なぜだか知らないが彼はおれのことを笑っている。今までこんな風に自分を笑う奴は許さなかった。そうされる度におれは怒った。でもシャンクスだけは別だった。彼がからかうように笑うと、胸の奥に何か温かいものが詰まったようになって、くすぐったいような、何もかも投げ出して泣きたいような気分になる。抱きつきたい気分になる。
 おれがそうする前に、シャンクスがおれを抱きしめた。おれは肩に顔を伏せて濡れたシャツに頬をすり寄せた。シャンクスが笑った。

「本当に猫だな」

 雨音に二つの心音が溶け込んだ。シャンクスが今どんな顔をしてるのかわからない。彼の鍛えぬかれた身体に体重を預けると、しっかりと抱きしめてくれた。ため息をつく。安心とはきっとこういうものだ。
 前回シャンクスを訪ねたときの記憶が、鮮明によみがえる。
 彼はあの男を語った。
 清々しい声だった。
 ルフィがシャンクスを語るような顔で、シャンクスはあの男のことを語ったのだ。
 憧れとか、夢とか、まるで美しい思い出を、何より貴重な経験を語るように。
 今までそんな風に言ってくれた人間はいなかった。今まで誰も、あの男を認める人間なんていなかった。だからおれもあの男を憎んだ。
 でも本当は、……。
 シャンクスが髪を撫でてそこにキスをした。そうされると自分が大切なものになったように感じる。見上げると、戸惑うくらいに優しい目と出会った。

「……どうやったらあんたみたいになれる?」
「そのまま進めばいい」

 おれは唇を噛み、彼を睨んだ。シャンクスの穏やかな、困ったような表情は変わらない。目の辺りが熱くなった。

「お前はまだ若い。ほら、泣くなよ、笑え」

 堪えきれなくて涙が零れた。両手で顔を覆うと、シャンクスがそれを遮った。嫌がって首を背けても、無理に目元にキスされる。

「このまま進んでもあんたみたいにはなれねぇよ」
「エース。お前は大丈夫だ」

 シャンクスの低音が胸から直に響いてくる。

「先に何があるかなんて誰も知らねぇさ。だったら進め」

 シャンクスが額を押し付けた。強い瞳、新世界の一角の瞳だ。おれは唾を延んだ。眉間にぎゅっと力をこめ、彼を睨み返した。シャンクスが満足そうに口角を上げ、おれの頭を自分の肩に押し付けた。

「聞かねぇ面だな。だから気に入ってる」

 シャンクスの肩越しに空を見上げた。辺りが明るくなり、雨の間から青空がのぞいている。低い空を行く真っ黒な雨雲の遥か上空に、眩しい青と白く薄い雲があった。差し込んだ日差しに、シャンクスの赤い髪が一瞬光った。

「晴れたな」

 そう言っておれの頬を親指で拭った。マントを翻し、いつものように気楽そうに路地に出ていく。人気のない通りに、いくつも残った水溜まりが輝いていた。
 おれは今も鎖の夢にうなされる。永遠に解けない鎖だろう。救いようがない現実だから。
 でもシャンクスがあの男の話をしたとき、少しだけ何かを許された気がした。そっと背を押してもらった気がした。
 本当は、嬉しかったんだ。

「……あと15、6年くらいだったか?」

 呟くと、シャンクスが眉を上げて視線だけでおれを見た。

「あんたの年になるまで。意外とオッサンだったんだな」

 シャンクスは面白そうな顔をした。

「オッサンって言ってるうちはまだまだだ。せいぜい励めよお子さま」
「励めって何にだよ」
「自分で考えろ」

 おれは思わせ振りに彼を見た。シャンクスが吹き出した。

「エロガキ。思うツボじゃねぇか」
「何も言ってねぇよ」
「あーそう」
「エロいのはどっちだ」
「はいはい」

 宿はもうすぐそこだった。





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 DADAの薬屋さんに捧げさせていただきます。ありがとうございましたv 








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