sweet escape






 大晦日は空けておけよ。

 2ヶ月前、彼はそう言っていた。もう忘れてるかもしれないし、覚えていても約束は無効かもしれない。というか当日の今日の時点で連絡が無いから、きっともう無効なんだ。

 MP3のイヤホン越しに今のおれの心境をグゥエン・ステファニーが歌っている。
 甘い声。本当に、この歌詞の通りの状況だ。英語は主語が曖昧だから、女の子の曲にも簡単に感情移入できる。それとも、今おれが付き合ってる相手が男だからか?


 もし逃避できるならとっくにしてる
 でも一つ言わせて?
 あんたに謝らなきゃいけない
 おれはマジで可愛げがなかった ひどい態度 最低な態度だった
 床にこぼれた酸っぱいミルクみたいに
 でもそもそもあんたが冷蔵庫なんか締め忘れたからさ
 だからおれだってあんな態度とったんじゃねえの


 本当に、ここまで被る歌詞も珍しい。女の子の愛らしい口調が、何故かおれのしゃべり方に翻訳されて聞こえてくるくらいだ。

 お互い疲れていた。シャンクスは久しぶりに帰国したばかりで−−彼の肩書きは一応作家、世界中を回って紀行文を書いてる−−おれはレポート締切後しょっぱなの6時間のバイトを終えたところ。くたくただった。
 わざわざぼろアパートまで来てくれた彼に、ろくな歓迎もしなかったし、海外土産も素直に喜ばなかった。

 でもあれはいつまで経ってもあんたがおれの好みを覚えてくれなくて、苦手なコーヒーなんか買ってくるから。おれはあんたが好きな銘柄も、入れる砂糖の数まで覚えてるのに−−ああ、まただ。
 おれは相当怒りっぽくなってた。

 でもいつものシャンクスならこんな喧嘩買ったりしなかったのに。

 それが1ヶ月前で、彼はそのまますぐに次の仕事で海外に出た。いつ帰国するか聞かなかったし、一度国外に出かけるとしばらくは帰らないから、やっぱりあの時の約束は反故だろう。

 日頃人で溢れ返ってる街が、毎年この季節だけは閑散として、まるで知らない場所のようだ。私鉄の駅のホームにも誰もいない。学生も社会人も、帰る暇と家がある人は実家に帰っているのだ。家族のもとに。

 おれの家族は一人だけ。その愛しくてたまらない弟は、今は異国にいる。シャンクスの知り合いの探検家のところで面倒を見てもらっている。
 それはルフィ自身が強く望んだことだったけど、本当は金もないし頼れる親戚もいないから、ルフィの面倒はやつが大人になるまでおれが見るつもりだった。

 でもシャンクスがそれを止めて、おれは甘えて大学に入った。今は奨学金とバイトで自分が暮らしていくのが精一杯で、ルフィのことは任せきりだ。
 結局、出会ってから今までシャンクスに頼りっぱなしなのだ。何の責任もないのに、彼は不思議なくらいおれたち兄弟を守ってくれる。
 シャンクスに会いたかった。


 もし現実逃避できたら
 おれだけの世界をつくって
 おれはあんたのお気に入りになって 永遠に
 完璧にお似合い
 それってすごくいいと思うだろ
 もしおれが優しくなれたら
 ずっと悪いコにしてたってわかってる
 あんたを傷つけるつもりなんてなかったんだよ なんにしろ
 おれたちはもっとうまくやれるだろ
 その方が良いって言ってくれよ


 歩き慣れた道を歩く。まばらにあるバーも今日はほとんど閉まっていて、反対にどこの家も明かりがついてる。マフラーに埋めた鼻先でおれは口元を緩めた。なんかいいなぁと思う。そんな家族の時間に憧れる。
 ルフィは今何をしているだろう?

 最近携帯の電源も切ってる。着信を拒んでるわけじゃなくて、かかって来ないのが怖いからだ。それでもせわしなく何度も確認して、やっぱりシャンクスからのメールも電話もなくて、一人でため息をつく。
 胸の奥に銃弾でも打ち込まれたみたいだ。

 実際、そのくらい痛んだ。あの時のあんたは知らない人みたいだった。あんな冷たい態度とるつもりはなかったんだ。出てって欲しかったわけなんてない。あんただってそんなドアの閉め方しなくたってよかっただろ。まるで何もかもシャットアウトするみたいに。
 笑ってるあんたの方が好きだよ。


 あんたが押さえつけるから
 おれは最悪に怒りっぽくなってる
 助け出して 連れ出してもらわなきゃダメなんだ
 一緒に抜け出そう むくれたおれを掴んで振り向かせてくれないかって
 あんたのことあてにしてる
 うだうだ悩んでる代わりにさ
 お互い妥協点を探そう


 目指していたダーツバー『one piece』のドアを開けた。行き付けの店だ。カウンターの向こうから大学の仲間のサンジが驚いた様子で目を見開いている。

「エース。今夜は来ねぇんじゃなかったのか?」

 その声に、フロアにいた全員がおれの方を向いた。驚きと歓迎の声が上がる。

「エースはおれの組な」
「ダメ! うちに入ってよ」

 おれは笑顔を作った。

「一年お疲れさん。ちょっと待ってくんねぇ?」

 マフラーを解いてジャケットを脱ぐと、目の前にコロナビールが差し出された。

「まず飲めよい。寒いだろい」

 マルコの顔を見上げて笑い、おれはライムをボトルの口に押し込んだ。

「今日はシャンクスは一緒じゃねえのか?」

 つまみにピザを出しながらサンジが言った。おれは一瞬笑顔を忘れた。サンジにはそれでわかったようだ。こういうところが彼は聡い。

「……来ない、みてぇ」
「……そうか、残念だな。それ、自信作だから心して食えよ。後でおれもダーツ参加するから、エースも一緒にやろうぜ」

 この時間になっても携帯には着信はない。
 最後に話したときの彼のかたい声を思い出した。笑い声の余韻もかけらもない声。冗談を言える空気もなくて、おれにうんざりしてるのがわかった。

 甘えすぎてたのはわかってる。シャンクスはずっと年上で、人間もできてる。いつも尊敬してるし感謝もしてる。でもあまりに経験が違いすぎて、時折おれはどう振る舞えばいいのかわからなくなる。

 おれが今までに付き合ったコなんて片手で数えられてしまうくらいで、同い年くらいの女の子ばかりで、こんな気持ちを味わったことなんてなかった。あんたと付き合うようになって、おれは今までの恋愛がおままごとだったって知ったんだ。

 どうしたらいいのかわからなくなる。こんなときでもあんたのこと頼っちまう。おれを助けに来てくれないかって。


 ほら 事態はだんだん手に負えなくなってきてる
 おれはちょっとダレてきたよ
 あんたの助けを待ってんのがさ
 あんたが怒ってるのはわかってる
 おれを扱う態度でね
 できれば本当に
 愛想尽かさないで欲しいって思う
 おれとここにいて欲しい


 もう少し優しくできればよかった。おれは可愛げがなかった。もっと素直になれればよかった。
 あんたにサヨナラされたらどうしよう。

「やべ……」

 カウンターに水滴が落ちておれは慌てた。
 拭っても涙が止まらない。袖口で払おうとしても、乾き切ったセーターが全然役に立たない。

「エース……」

 気づいたサンジが本当に心配そうな顔でカウンター越しに手を伸ばしてくる。どこかで予想してたって感じだ。

「悪ィ、おれ、なんか変……」

 笑おうとしても無理だった。おれはとうとう両手を額にあててうつむいた。嗚咽をこらえるのに必死だ。
 シャンクスにサヨナラされたら……。

「……明日、お前の誕生日だよな? シャンクスと祝いたかったんだろ?」

 サンジが優しい声で言うのにますます涙が出てきた。おれはなんとか頷いた。サンジの温かい手が肩にある。

「よう、ジントニックと、ジョニーウォーカーのロックと、……ん? どうした? エース?」

 サッチの声が上から降ってきた。脈打っている頭で、サンジが言葉少なにサッチに何か言ってるのがわかった。サッチが引く唸った。泣き止むことができないでいるおれの肩に、サンジと反対側からサッチが腕を回した。

「どうした兄弟? なあ、おれたちがいるだろ? 泣くなよ。今夜はおれたちと飲もうぜ。なあ?」

 ますます涙が止まらない。


 もし現実逃避できたら
 おれだけの世界をつくって
 おれはあんたのお気に入りになって 永遠に
 完璧にお似合い
 それってすごくいいと思うだろ
 もし優しくなれたら
 ずっと悪いコにしてたってわかってる
 あんたを傷つけるつもりなんてなかったんだよ なんにしろ
 おれたちはもっとうまくやれるだろ
 その方が良いって言ってくれよ


 もし現実逃避できたら……。
 あんたのところに行きたいんだ。ずっと一緒にいたい。





「……悪いが、こいつは予約済みなんだ」

 背中に体温があたって、耳元で低く甘い声がした。懐かしい、良い匂い。
 頭の中が真っ白になる。

「忘れたのか?」

 頬に唇が触れた。身体中の温度が上がって、おれは動けなくなった。

「エース」

 涙のせいでろくに息もできないまま、腰に回された手にそろそろと自分の手を重ねる。氷のように冷えていた。パニック一歩手前で、現実なのか信じられない。

「遅ぇよ、色男」
「ったく、どうしようかと思ったぜ」

 ほっとした様子のサンジたちの非難に、シャンクスが笑った。おれは顔を上げられない。

「やっぱりここにいたな」

 おれは嗚咽を飲み込んだ。まだ震えが止まらなかった。

「……他に行くところねぇよ」
「おれのところに来い」

 また涙が溢れそうになって、目元にキスされる。

「……怒って悪かった」

 シャンクスが低く囁いた。重ねた手に力をこめておれは首を振った。セーターに涙が落ちる。

「……あんたが好き」

 シャンクスが笑って首筋にキスをした。濡れた音がして、きっとキスマークになった気がする。フロアのみんながカウントダウンをはじめて、彼がおれの肩越しに腕時計を覗き込んだ。新しい年の始まりだ。

「間に合ったな。ハッピーバースデー、エース」
「……プレゼントのリクエスト、してもいいか」
「聞いてやる」

 首を上げて、はじめて彼と視線を合わせた。心臓が高鳴って困る。目眩がするくらい良い男だと思う。おれはひどい顔をしてるだろう。

「……来年も、それ言ってくれよ」

 シャンクスが笑った。ルフィに似てる笑顔。苦しいくらいに抱きしめられ、額が押し付けられて、触れるだけのキスを何度もされた。温まった手が頬を拭う。

「来年は、二人きりでな。覚悟しとけ」

 温かい胸に体重を預け、おれはやっと心から笑った。







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