last lullaby before storm 1





 細波は子守唄だ。優しい揺れはゆりかごになる。
 目を閉じて体をゆだねると、いつでもおれは平静を取り戻す。何も持たず、何にもとらわれず。
 ただどの海をわたるときでも、背中のタトゥーがおれを包んでくれる。思い出させてくれる。
 お前が帰る場所はここにあると、力強く囁いてくれる……。




 潮と太陽をいっぱいに含んだ渇いた風が、彼の柔らかいくせっ毛を揺らした。青年は強い日差しに焼けた肌を無頓着にさらして、酒樽の上に行儀悪くしゃがみこんでいた。裸の背中一面に、白ひげ海賊団のマークを誇らしげに背負っている。
 彼は愛想のいい笑顔を見せていたが、彼を取り囲む船員には一種何とも言い難い緊張が漂っていた。


「あ、あの、酒でもお持ちしますか?」
「バカ、お前、何言ってんだよ、敵船の隊長だぞ」
「だってよ……」
「あ、いいんだ、おかまいなく。おれァただ……」

 青年はかすかに困ったように片手を挙げたが、口論を始めた船員たちは彼の言葉など聞いていなかった。仕方がないので、彼らが一段落つけるまでおとなしく待つことにする。実際ここは彼の宿敵の船だったし、敵意はないとはいえ彼は本当に侵入者だったので、相手の流儀に合わせるのが礼儀だと彼は思った。妙なところで行儀のいい海賊だった。

 それにしても、来たタイミングが悪かった。赤髪のシャンクスの海賊船はちょうど久しぶりの帰港を遂げたところだったらしく、彼と馴染みの古株たちは港に出払ったり、クルーに忙しく指示を飛ばしていた。彼が日頃可愛がってもらっている狙撃手ヤソップにしても、

「おう、よく来たな、夜までいろよ。宴だぞ」

 と指を突き付けて、せわしなく通り過ぎていった。宿敵の船の2番隊隊長への態度としては驚くほどフレンドリーだったが、赤髪と白ひげの間には不文律があった。互いに、道理にもとることはしない。不意討ちや、無意味な戦争はしない。
 しかし今日はそんなタイミングだったので、彼の相手をしてくれるのが新顔のクルーばかりだったのは不幸だっだ。

 自分に怯える敵船の乗組員を前に、微かな苦笑いで手持ちぶさたによく晴れた空を見上げたりしていると、ようやく待ちに待った声が聞こえた。

「エース、人の船で何ぼんやりしてるんだ?」

 青空によく映える赤い髪が、広い甲板の真ん中にあった。並み居る乗組員たちが道を空けるのを、急ぐわけでもなく鷹揚に突っ切ってくる。エースはにやりと笑った。

「来たぜ」
「呼んでねえ」

 シャンクスがすぐに言い返した。静かに指示をいいつけながら、後ろについて来た副船長のベックマンは、エースを見ると微かに目を細めた。テンガロンハットを抑え、エースはぺこりと頭を下げる。

「邪魔んなってます」
「ゆっくりしていけ」

 エースはにっと笑った。シャンクスが肩をすくめた。

「おまえたちが甘やかすからだ」

 エースはにやにやとベックマンと視線を交わし、酒樽から飛び降りると、餌をねだる猫のようにシャンクスの後についていった。




 水面が真っ赤に染め上げられるころ、宴は始まった。太陽がじりじりと水平線に沈んでいく。朝日は、顔を出したと思ったらもう空高くに上がっているが、夕日はいつまでたってもしぶとく水平線に引っ掛かっているとエースは思う。

「お前、いつもかまって欲しくなるとおれのところに来るな。いい加減にしろ、野良猫立ち寄り所じゃないんだ」

 憎まれ口を叩いてばかりいるが、エースがくるとシャンクスはいつも彼を隣に座らせてくれる。それに彼の軽口は、エースは全然悪い気はしなかった。

「退屈を持て余してるご隠居が、何言ってやがる」
「おれは忙しいんだ」
「へえ……そうは見えねえ」
「それに隠居じゃねえ」
「ああ、そう。初耳」
「こっちの台詞だ」

 遠慮のない受け答えをしながらも、エースはシャンクスの杯に酒が絶えないよう、さりげなくいちいち注いでやっていた。彼の揶揄に『はいはい』と適当な返事をしながら、あぶり肉の一番いいところを彼に手渡している。古株などは、見習えよ、と新入りに酒の席の説教をしていたりする。
 エースが挑発するようにシャンクスの顔を覗き込んだ。

「おれは、飯を食わしてくれる船は覚えてるんだ」
「良く言うぜ。一石二鳥で黒ひげの情報を捜してるんだろ」

 シャンクスがかすかに口元をあげた。笑顔のまま、エースの眉間がかすかに引き締まる。

「この船に上がるときは、そんなこと考えてねえよ」
「かわいい子には旅をさせろっていうからな。しかしおまえの旅は少し厄介だ」

 エースは肩をすくめた。

「説教か? 年だな、船長」
「放り出すぞ、寂しがり」
「そりゃあんただろ」

 エースは気軽に言い返したが、ふいにシャンクスが微かに目を細め、いつもと違う柔らかな声で言った。

「……一人でこの海を行くのは、面白くないな」

 口に運んでいた杯を、エースが止めた。なぜかわからないが、彼の大きな手で優しく頭をなでられたような気分になった。皮肉な笑いを納め、少し無防備にシャンクスの顔を見る。シャンクスが顎で促した。

「飲めよ、エース。今夜はおれが付き合ってやる」

 エースははにかむように笑い、一気に杯をあおった。

 シャンクスは、ルフィとよく似ていると思う。どこが、と聞かれると説明するのは難しいが、エースはなぜか懐かしくなる。ルフィもシャンクスも、エースが日ごろ注意深くまとっているガードを、いとも簡単に取り払ってしまう。今までに切ないという言葉を使ったことなどなかった。エースは自分にそんな感情を持って生きることを許したことはなかったが、ルフィやシャンクスのそばにいると、彼らの隣りで永遠に眠っていたくなるような感覚にとらわれた。

 振り切るようにエースは笑って、シャンクスの杯に酒を注いだ。

 下座にいる集団が、威勢のいい歌声を張り上げ始めている。酔いが回った歌声はほとんど叫び声に近かったが、不思議と酒場で聞く歌い手の声よりエースには居心地が良かった。
 いつの間にか周囲は闇に包まれ、太陽の代わりに満月が夜を明るく照らしている。街にはオレンジ色の明かりが灯り、島を囲んで小さな光の帯になっていた。かすかな街の喧騒が、冷たい夜風に乗って船の上まで届いている。

 若い船員たちの半分くらいは酔いつぶれ、デッキの床でいびきをかき始めている。エースも酒に強い方ではなかったが、飲み方は心得ていた。
 シャンクスの好きな、素直な飲み口の酒を運びながら、聞きなれた歌を小さく口ずさんでいると、ふいにシャンクスが腰を上げた。

「来い」
「……」

 エースは黙って立ち上がった。ボトルをつかんで自室への階段を登るシャンクスの背に、おとなしく続く。扉の前まで来たところで、不意に彼が振り向き、ボトルを持ったままの片腕でエースの腰を抱き寄せた。突然のことでエースは一瞬身構えたが、抵抗はしなかった。

 階段を上がりきったこの位置だと、低いデッキで車座になっている乗組員たちからよく見えてしまう。わざとやっているのだとエースはすぐに勘付いた。シャンクスとエースの関係を知っているクルーも多いが、普通あまり大声で言うようなことではない。特に今のシャンクスの行動は、どちらが女役か宣言するようなものだった。
 ニヤニヤ笑っている端正な顔が簡単に思い浮かぶ。負けず嫌いな男のことだから、きっと先程のエースの軽口の仕返しなのだろう。

 しかし別に、エースは気にしなかった。彼は好きなときに好きな人間と好きなことをする。他人がどう思おうと関係ない。そして今目の前にいるのは、世界が恐れ、目標とする男だった。彼を欲しがらない人間なんていない。

 彼はシャンクスの肩に腕を回した。自分から身体を押し付け、口の中に割って入ってきた舌を積極的に追いかける。すぐに夢中になっていたので、寝室に押し込まれていたことにも気付かなかった。

 唇を離して我に返ったが、考える前にシャンクスをベッドに押し倒していた。蹴飛ばしたドアが派手な音を立てて閉まり、ボトルがフロアに砕け散る。シャンクスが小さく舌打ちをした。
 かまわずに彼の腰の上に乗り上げ、もう一度キスしようと顔を近づけると、相手が喉の奥で笑った。エースが一瞬ひるみ、シャンクスが彼の帽子を取り上げてサイドボードに置いた。

「そうがっつくな、青年」
「なんだよ……、枯れてんのか? ご老人」

 薄い笑みを浮かべたままのシャンクスの眉が、かすかにこわばった。エースが満足そうに意地悪く笑うと、シャンクスが片方の腕で器用に彼の体を捕まえ、シーツの上に押し倒した。
 彼が抵抗を始める前に、シャンクスがキスをしている。こういうところが、経験の差だ。しかしエースはかまわなかった。気持ちよくなれれば何でもいいし、シャンクスはそれにかけては天才的だった。

 彼の背中に腕を余裕なくまわして、赤いなめらかな髪をつかんだ。シャンクスがエースの首にかみつき、エースが機嫌のいい猫のように少し喉を鳴らした。
 海の香りを含んだ彼の髪の匂いが、エースは好きだった。あまりに気持ちがよくて頭の中が真っ白になり、ねだるつもりで彼の耳をなめた。いたずら心が湧いて、炎にした舌先で彼の耳を軽くあぶってやると、シャンクスが不機嫌そうに耳元で唸った。


「炎をしまえ、エース。ここで止めるぞ」

 エースが少し笑った。しかし止められては困るので、謝るように彼の頭を抱えてたくさんキスをした。





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