winter night





 この島の場合、雪になることは稀だ。霙まじりの冷たい雨が窓を激しく叩いている。寒いのが苦手なエースは、夜も早いうちから自分のベッドにもぐりこんでいた。ベッドサイドのランプをつけて、様々な軍艦や武器がたくさん載った図鑑を眺めている。クリスマスプレゼントにガープが送ってくれたのだった。
 近頃のガープはしきりにエースを海軍に入れたがっていたが、16歳の子供なりに彼は自分が海兵になどなれないことはわかっていた。もし海軍に入ったら、常に父親の影に怯えながら、父親を悪として否定していかなければならない。少なくとも、政府の体制の中で一生身を小さくしながら生きることになる。それでは今と変わらない。変わらないどころか、今より悪い。父親の血は憎んでいた。自分の人生を、自分にはどうにもならないレベルでめちゃくちゃにした。しかし、彼を悪だと自分が裁くことを考えると怖気がさした。
 本当は、エースはガープの期待に応えたい気持ちでいっぱいだった。口では悪態ばかりついている が、自分が今生きているのは彼のおかげで、彼が負ったリスクを考えるとそのことには感謝してもしきれない。言うことの一つも聞いてやりたいと思う。
 しかしだからこそ、彼が自分の意見ばかり押し付けてエースの気持ちをわかってくれないのに腹が立った。エースが海軍に入ったとして、もし彼の出生の秘密がばれ、ガープが彼を匿ったことが明るみに出たら、ガープも何らかの責任を取らされるだろう。エースはこれ以上彼に迷惑をかけたくなかった。僭越すぎて本人に面と向かって言えるはずもないが、エースはそこまで考えて反抗しているのだ。ガープの態度も彼が赤の他人だったら許せただろう。エースは他人とは器用に適度な距離を取れた。でも保護者だと思うからこそ素直になれないことも、我慢できないこともある。これは甘えだった。
 軍艦のページをめくると、ガープの船の写真がでかでかと載っていた。犬のピークヘッドの立派な戦艦だ。

「あのジジイ……」

 エースは思わず口元を上げた。孫たちを前に大声で自慢しているガープの顔がありありと思い浮かぶ。

「ぜってぇこれ見せたかっただけだろ」

 エースは笑いをこらえた。本人のいないところでは、エースは彼が大好きだった。いざ来るとうるせェし鬱陶しいけどな……、と呟いていると、突然背中に重いものが飛び乗ってきた。

「ルフィ! 止めろ、今本読んでんだよ……」

 日常茶飯事なので相手の方を見もせずにエースが言うと、弟も勝手に毛布を持ち上げてベッドにもぐりこんできた。

「うー、さみさみ……」
「お前のベッドは向こうだろうが」
「だって今日さみぃんだ、おれここで寝る。決めた」
「ふうん」

 ルフィの細い背中に毛布を回してやり、エースは再び図鑑に目を落とした。しかしすぐに軽く飛び上がった。

「……冷てぇ! なんだお前、頭くらいちゃんと拭いて来い。風邪引くだろ」

 文句を言いながらも、エースは仕方なく重たい図鑑を閉じて弟の頭にタオルをかぶせた。

「面倒くせぇからいいよ……」
「よくねえ」

 雑な手つきで頭を拭いていると、すでに飽きているらしいルフィが胸をこづいたり腹を蹴ったりと色々仕掛けて来る。エースは慣れっこなので無視して細い髪を黙々と拭いていた。しかし彼の忍耐も長い方ではないので、いい加減髪が乾いたところで調子に乗っていた弟の腕を掴んだ。ルフィが嬉々としてじゃれついて来るが、彼がエースに勝てた試しがない。しかし今回は油断していたので、飛び付いてきた勢いに負けてエースはベッドのヘッドボードにしたたか頭を打った。

「うっ……」
「お」

 隙ありとばかりに押さえつけてくる細い前椀をあわてて掴んだ。

「ルフィ、ちょっと待て、そりゃねえだろ」
「……」

 言ってもどうせ聞かないだろうとエースは思っていたが、ルフィは案外素直におとなしくなった。

「? おい?」

 猫のような無垢な目でじっと見つめてくる。エースはなんとなく居心地が悪くなった。
 どうした? と口を開こうとすると、ルフィが身を屈めた。整った顔が近づいて来て、唇をかすめていった。
 エースは頭が真っ白になった。

「……な!? 何してんだよお前!!」
「キス。なんだ、エースは知らねェのか?」

 ルフィが平然と答え、エースは再び言葉を失った。すごい勢いで主張をはじめた心音に、鎮まれと頭の中で命令しつつ、どうにか平静を保った。

「……知ってるよ。じゃなくて兄貴相手に何してんだって言ってんだ!」
「だからキスだろ」

 エースは舌打ちした。

「……だからそうなんだがよ。……誰に教わった」

 最後の質問は兄としての責任感から反射的に出た。しかしルフィは肩をすくめた。

「それは言えねぇ」
「なんで突然キスなんだよ」
「好きな人にするもんだって聞いたから」

 エースは目の上を片手で覆い、深いため息をついた。どっと疲れた気がした。

「……ああそうか、じゃほら、ダダンにもしてこい」
「嫌だ」
「なんで」
「したくねえ」
「……おれにするのと一緒だろ」
「一緒じゃねえよ!」

 こういうのを暖簾に腕押しというのだろうと、エースは場違いに冷静なことを考えた。まだ少年らしい弟の肩を掴み、年上の口調で言い聞かせた。

「あのな、ルフィ、こういうの興味持つ年頃なのはわかるけどな、普通キスは女の子相手にするもんなんだよ」
「なんで?」
「……。なんでって……。あーもう、うるせェな……いいから言うこと聞け! そういうもんなんだ」
「だっておれエースが好きで、エースにキスしてぇんだ。何か悪ィのか?」
「……!!」

 エースが固まっていると、彼は真顔で詰め寄ってきた。

「エース」
「……そりゃそれでマズいだろ……」
「だから、何がだよ」
「もうさっさと寝ろ」
「なあ、なんでキスしちゃダメなんだ?」
「ダメなもんはダメなんだ!」
「ふーん……」

 絶対納得してないな、と内心ひやひやしつつ、エースは弟に強引に毛布をかぶせてランプを消した。
一旦興味を持ったら簡単に誤魔化される弟ではないとわかっていたが、やっぱりルフィは引き下がらなかった。鎖骨の辺りに鋭い痛みが走り、エースは咄嗟に目の前の頭をこづいた。

「てっ」
「……噛むな」
「ケチ」
「ケチじゃねぇ」
「いいだろ減るもんじゃねえし」
「オッサンみてぇなこと言うな。減る減らねぇの問題じゃねぇ」
「じゃあ何だよ」
「痛ぇ」
「そうか。悪ィ」
「悪ガキが」

 ルフィが黙ってエースを引き寄せ、胸に頬を押し付けた。ようやく静かになったので、エースは彼の頭を抱え込んで目を閉じた。やっと収まったかと安心して寝る体勢に入る。ルフィの馴染んだ体温が気持ち良くて、猫のように機嫌よく柔らかい髪にすり寄った。すぐに温まったベッドでうとうとしていると、胸に柔らかい感触がしてちくりと痛んだ。エースはルフィの肩を押し返した。

「バカ、止めろって……」
「エース」
「……食いもんじゃねえぞ」
「エース!」

 珍しく真剣な低い声に、エースは少し怯んだ。本気になったルフィには妙な迫力がある。
 自分を見つめるぎらついた瞳に、体の奥がぞくりとなった。口がからからに渇いてくる。

「……なんだよ」
「好きだ」

 エースは目眩がした。心臓が壊れそうに高鳴っていたが、ルフィは悔しいくらい落ち着いていた。獲物を爪の下敷きにした獣のように、じっとエースの瞳を捉えている。先に耐えられなくなって視線を逸らしたのはエースの方だった。

「……当たり前だろ」

 ルフィがちょっと眉をひそめた。

「お前はおれの一人きりの弟なんだ。いまさら嫌いだなんて言ったらぶっ飛ばすぞ」

 ルフィが目を見開き、そして屈託なく笑った。

「ああ。そうだな」
「ああそうだ」

 エースは有無を言わさずに彼を引き寄せ、目を閉じた。ルフィは抵抗せずに抱かれたが、エースはなんとなく後ろめたい気持ちが残った。

「……」
「……」

 おとなしくなった弟になぜか返って胸が痛い。エースは心中でため息をつき、ルフィの前髪を掻き上げた。額にほんの触れるだけのキスをする。ルフィがぱっと顔を上げた。

「なあ、今……」
「いいから寝ろ」

 怒ったような固い声に、ルフィが嬉しそうに笑った。そして彼の体を引き寄せ、気持ちのいい体温にすり寄った。










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