intensive care |
気付かれたのは初めてだった。 エースが二番隊の隊長に抜擢されて間もないころだった。その日、隊のクルーに指示をしている所に、いつもの陽気な声とともに慣れた重さが背中に飛びついてきた。そしてその一瞬マルコがかすかに顔をしかめたのには、今までなら誰も気づかないはずだったのだ。 「マルコ」 マルコの背中に強引におぶさったまま、エースがつぶやいた。息がかすかに酒臭い。気づけば、首に回された手にはラムのボトルが握られている。マルコは眉をひそめた。 「昼間っから酒かい」 「マルコだって水の代わりに飲んでるだろ」 「おれは酔わねえんだよい」 「……」 背中にしがみついたままのエースがボトルを手渡し、マルコは一口飲んで何事もなかったかのようにクルーに指示を飛ばした。 「なあ、マルコ」 「何だよい」 「部屋に行こうぜ。二番隊に差し入れが届いたんだ」 それで酒臭かったのか、とマルコは思った。しかし今はそれどころではない。昨夜遅くマルコが率いる一番隊は出先で襲撃に会い、ちょうどその戦利品の後始末をしているところなのだ。相手はマルコの首を取って名を上げようとする海賊で、懸賞金もかなりのものだった。激しい戦闘になったが、もちろんマルコが手こずるほどのことはなかった。 「今忙しいのが見てわからねえのか」 「……」 きっぱりと言いはなって腕組みをしたマルコに、エースがぽつりと口を開いた。 「だって、マルコ調子悪いんだろ」 「……なんでそう思うんだよい」 「どっかかばって動いてるみてえだったから……」 顔には出さなかったが、マルコは内心で驚いていた。たしかに昨夜の戦闘で、マルコは一つだけ傷を負った。不意打ちで、ただのかすり傷だったが、マルコが悪魔の実の能力を使うのが間に合わなかった。運悪く相手の刃に毒が塗ってあって、たいしたことはないがいまだに少し調子が悪い。 長い航海生活で、今までにもこういうことはよくあった。でも誰かに気づかれたのははじめてだ。 「……気が抜けねえなあ」 「やっぱりどっか悪いのか? なあ、船医に見せろよ!」 エースが声を大きくし、ますますマルコの肩にしがみついた。 「たいしたことねえよい。おまえと違うんだ。体の管理くらい自分でできる」 「ふーん……」 「そういう心配してんなら、いい加減降りろよい」 「いやだ」 「エース」 訳が分からず、マルコは少し厳しい声で名前を呼ぶと、エースが叱られた子供のような口調で言った。 「なあ、いい酒が手に入ったんだよ。おれは酒の味がわかんねえから、あんたに飲んでほしいんだ。そりゃ、クルー全員にふるまいてえけど、そうもいかねえだろ。うちの隊は飲兵衛が多いから、他のやつに持ってかれちまう前に……」 マルコは思わず微笑した。 「早く言えよい」 デッキにおさまりきらないほどの宝を整理しているクルーに、あとは各自山分けにしていいと声をかけると、大きな歓声が起こった。それを聞いて、エースの顔が輝く。マルコの背中から飛び降り、彼の肩を押してせっかちに回れ右をさせた。 「隊長はなにもいらねえんですか?」 マルコの部下が声をかけたが、マルコは興味無さそうに片手を振った。 「おまえたちで好きにしろ」 今回の戦利品の中にも、探せば上等な酒があることは間違いない。しかしそれは関係のないことだった。うちの頭は心が広い、と何も知らない隊員が嬉しそうに話すのを苦笑しつつ聞き流す。そして、毒と酒は相性が悪かったか、しかしまあ平気だろうと内心考えつつ、マルコは目の前を歩くクセ毛を優しく叩いた。 月明かりの下、車座になって騒いでいるのは二番隊のクルーたちだった。他の隊のクルーもちらほらと交え、ご馳走に余興に歓声を上げている。 エースの快気祝い、という名目だった。クルーは船全体で祝いたがったが、エースがそもそもこれは自分が大怪我をしたという不名誉だと嫌がったので、内輪で宴をすることになった。 二番隊のクルーはもともとエースの船に乗っていた者が多かったので、隊長に似てうるさいのが多い。マルコが廊下を歩いていても、騒がしい笑い声が響いてきた。窓の外を眺めてうらやましそうにしている他の隊のクルーも何人も見かける。陸のように好きなときに出歩ける環境にないので、自然と誰もがパーティー好きになるのだ。 「混ざって来いよい」 マルコが声をかけてやると、男たちは嬉しそうに外に出て行った。マルコもあとに続き、高い位置から宴の様子を眺めた。 こういうとき視線は自然とエースのことを追いかけてしまう。表情や仕草が見ていて飽きないとか、顔立ちもルックスも整っていて見た目がいいとか、弟のようで気に掛かるとか、理由はいろいろつけることができた。どれも違う気もするし、どれも本当なのだと思う。実際、彼の姿はクルーの中でも人目を引く。 そのエースは船の手摺りに腰掛け、マルコが見たことのないクルーと談笑していた。きっと新入りだろう。見ているとさりげなく酒を注いだりしてやって、屈託のない笑顔で聞き役に回っている。エースは派手でいつも輪の中心にいる印象があるが、本当はそうでもない。宴などで一人きりになっているクルーがいると、古株や新入りに関わらず傍に行って自ら酒を注いでやっている。エースがいるところに人が集まってくるのだ。彼が誰からも慕われるのはこういうところだった。どんな人間にも隔てなく親身になって向き合うので、クルーも彼のために全力で尽くす。 手摺りに腰掛けているエースの肩を、強か酔っているらしいクルーが強引に引き寄せ、フロアに座らせた。エースの笑顔が一瞬こわばったのを見て、マルコは自分の心配が的中したのを悟った。 まだ回復していないらしい。そもそも、数日間目覚めないほどの大怪我が、1日2日で治るはずがない。船医などは酒も禁じると言っていたほどだ。それでもエースは、酔った相手に包帯だらけの背中を叩かれてニコニコしている。 楽しんでいるところ水を差すのは気が進まなかったが、マルコは手摺りに肘をついて階下を見下ろした。 「エース」 さして大きな声ではなかったが、あまり飲んでなかったのだろう、エースが顔を上げた。 「悪いが、上がって来れるかい」 心なしか、エースがほっとしたような顔をした。クルーをかきわけて階段を上がって来る。途中で腰を掴もうとする手を笑いながら叩きおとした。 「事件か?」 「いや、体は大丈夫かよい」 虚をつかれ、エースは何度かまばたきをしたが、観念したように笑った。 「……正直キツい」 やっぱりな、という気持ちでマルコは頷いた。 「隊員相手に、そんなに気を遣う必要はねぇんだよい」 「気を遣ってるってほどでも……」 「そう見えるよい」 「……」 「お前が無理して倒れたら、誰がお前のクルーを守ってやれるんだ」 エースが顔を上げた。 「あ……、そうだな。ごめん」 「謝らなくていいよい」 真面目な顔で反省したエースに苦笑し、マルコが彼の肩を優しく引き寄せた。エースが甘えるように寄りかかってマルコの肩に頭をもたせる。 「医務室に行け」 「やだ」 「だったら自分の部屋で……」 「いやだ」 マルコが呆れて半眼で見下ろすと、エースがおかしそうに彼を見上げていた。マルコがため息をついた。 「……わかったよい」 エースがにっと笑った。 「宴の最中だぜ? 一人で寝せとく気かよ」 「主役をかっさらっちまって悪ィな」 マルコがエースの髪をくしゃくしゃと撫で、自分の部屋に向かって歩き出した。その背中を見て、エースは彼に抱きつきたくなった。 「マルコ」 「どうした」 「ありがとな」 マルコがちょっと振り向いて肩をすくめたが、すぐにまた歩き出した。 「……気付いたの、マルコだけだった」 その言葉に、彼は明るく振る舞いながら、今までいつもこうして無理をして来たのだろうとマルコは思った。 「お前も、気が付いたじゃねぇか」 「おれが?」 「この間、いい酒をもらったときだよい」 「ああ……あれは」 言いさしてエースが黙りこんだ。部屋のドアを開けたマルコが不思議そうに彼の顔を見たが、エースは口元を上げた。 「あれは、いい酒だっただろ」 おれはマルコのことはいつも見てるから、という言葉をなんとなく胸に収め、エースは遠慮なくマルコのベッドに寝転がった。 |