shadows of my yesterday 1






 薄暗い部屋の中は、いつものように酒と男たちの汗のにおいがした。オレンジ色のランプの下、着古したキャミソール姿のウェイトレスが、腰に延ばされた男の手を叩いた。この手のバーでは見慣れた光景だ。

「バーボン、ロックで」

 近寄ってきた彼女に頼み、思いがけず初心な笑顔が愛らしかったのでチップをはずんだ。
 シャンクスは客をかき分けた。
 奥の暗がりになっているカウンター席に、不似合いにおとなしく飲んでいる姿を見つけたのだ。





 嫌な人に見つかっちまった、というのが、その時のおれの正直な気持ちだった。こんな奥まった席で、せっかく一人でしんみりと飲んでいるのだから、気づかないふりでもしてくれればいい。
 でもルフィやこの男にそういった微妙な心の機微を求めるのは不毛なことだ。暗さ湿っぽさが皆無の人間に、それを汲み取れといっても仕方がない。

 無頼者たちをかき分け、シャンクスは一人で来た。四皇の一角でありがなら、単独で気ままにふらふらするのはこの男くらいだろう。あまりに自然で誰も気づかない。白ひげがこんなことをしたら往来がパニックになるはずだ。

「よう」

 いつものように軽い調子で声をかけてきた。おれはちょっと笑顔を作り、カウンターに肘をついたまま片手をあげた。予想どおり、シャンクスの視線がおれの背中に向いた。

「ずいぶん立派なものを背負ってるな」
「かっこいいだろ」
「噂には聞いていた。挨拶くらい言いに来い」
「悪イ。忘れてたわけじゃねえんだ」

 シャンクスにグラスが届いたので、おれは自分の飲みかけをカチンとぶつけた。

「おごる」
「お前におごられてたまるか」

 シャンクスが苦笑して、琥珀色の度数の高い液体を水のように煽った。

「祝い酒か? 入隊の。地味だな」
「いや、今日は、葬式」
「誰か死んだのか」

 シャンクスがまじめな顔をして聞いたので、おれは笑いをこらえた。

 しばらくおれは目の前の液体を眺めていた。薄暗いランプの光が、カットアイスの不均等な面にちらちらと輝いている。
 今は重い荷が下りたような、驚くほどほっとした気分だった。シャンクスは辛抱強くおれの答えを待っていた。彼はそういうやつだ。
 おれはようやく言葉を続けた。

「ああ。やっと死んでくれたんだ」

 その声は我ながら、何かつきものが落ちたようにすっきりとしていた。
 今度は、彼は聞き返さなかった。おれが言っている意味をなんとなく察したようだ。

 白ひげはおれを息子と呼んでくれた。何も聞かずに、ただありのままのおれを息子と呼んだ。目の前に差し出されたあの大きな手を、おれは一生忘れない。それでおれの体に流れる男の血が消えるわけじゃない。でも白ひげは何も言わかなった。何も聞かなかった。そして受け入れてくれた。
 その男がそれでいいというのだから、おれはこのままでいいのだろう。不思議なほど素直に思えた。

 白ひげがおれを息子と呼んだ。おれの父親は白ひげなのだ。

 それを考えるだけで、口元がゆるんでしまうのをこらえられなかった。今まで感じたことのなかった温かさに、全身をつつみこまれたような心地がしている。今日は、それまでの自分を葬る日だった。
 過去の自分を否定するわけじゃない。いつも何かに追い立てられていた自分も、持てる限りで戦った自分も、いとしく思う。でも今は前に進む時だ。

 シャンクスが手をのばしておれの背中に触れた。グラスを手に、白ひげのマークをなぞっている。おれはされるままになっていた。

「……おれはそこはあまり感じないぜ」

 にやにやしながら言うと、シャンクスが手を腰の方に滑らせたので、あわてて手首をつかんだ。

「葬式の割に、嬉しそうだな」
「複雑なんだよ。若者はな」

 シャンクスが席を立ち、おれの体を自分の方に向かせた。逃げ場を塞ぐようにカウンターに腕をついてかがみこんできたので、おれは身動きが取れなくなった。

「それで、こんなところで一人で飲んでるわけか」
「あんたに見つかったけどな」
「見つけてもらえてよかっただろ」

 おれは上を向いてちょっと考えた。確かに今の気分は、一人で飲んでいた時よりだいぶ良い。シャンクスがそばにいてほっとしている。

「まあ、そうだな」

 シャンクスが額を押し付けてきた。近くで見ると整った顔がますます非の打ちどころがない。睫毛は長いし肌もきれいだし、それだけだと女っぽくなってしまうところを、額から頬に走る3筋の傷跡が救っている。

「あんた美人だよなあ」

 目の前の顔をまじまじと見つめて、半ばあきれたように感心していると、やつはちょっと眉をひそめた。

「年下が生意気言うな。男前って言え」
「どっちでもいいけどよ……」

 おれはカウンターに背を預けたまま苦笑した。シャンクスが慣れた様子で体を押し付けてきた。

「今夜は暇か?」
「ああ。モビーディックには帰らねえ」
「一緒に来い。抱いてやる」

 まっすぐに貫いてくる彼の澄んだ瞳を見つめ返しながら、おれはぼんやりしていた。

 少し前なら餓えたように飛びついただろう提案。あの頃は、シャンクスも、その他のいろいろなことも、自分が追いかけるのを止めたらすぐに去って行ってしまうような気がした。今自分が持っているものを握りしめながら、いつ失うかもしれないと常に恐れていた。シャンクスの言葉にノーと言うことが怖くて、彼にすがりつくのに必死だった。
 しかし今は自分でも首をかしげたが、あっけないくらい自然に言葉が出た。

「ああ……、いや」

 予想してなかっただろう反応にシャンクスが眉をひそめた。それを見て、おれはなんだかいい気になってにやりと口元をあげた。

「あんたの申し出は魅力的だけど、言い方が気に食わねえ」

 目を丸くしたシャンクスが、すぐに子供のような笑顔になった。おれの腰を無造作に引き寄せ、耳元に唇を近付けた。

「……エース、お前を抱きたい」

 懇願するような囁きに、顔が真っ赤になったのが自分でもわかった。避けるようにうつむいたのを、シャンクスが可笑しそうに覗き込んでくる。

「気に入ったか」
「……四皇が、そんなこと言うなよ」

 自分を安売りするようなこと、とほのめかしたつもりだった。しかしシャンクスは表情を変えなかった。

「関係あるのか」

 おれは答えずに彼の肩に腕をまわして引き寄せた。シャンクスが待ちきれないようにキスをしてくる。
 彼の唇に舌を割り込ませ、ねだるように腰に足を絡めた。背中を強く引き寄せられ、より深く口づけられて不覚にも声が漏れる。それだけで意識が飛びそうになった。

 シャンクスの背に男がぶつかって謝るような言葉を呟いたが、おれたちに気にしている余裕はなかった。

「……一緒に来るか」

 魅入られたように彼の瞳を見つめながら、おれは黙って頷いた。
 シャンクスがおれの手を掴み、おれが椅子から滑り降りるより先に、むさくるしい人ごみをかき分け始めた。


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