snow snow, you're so warm 1 |
目の前に置かれた大皿を見て、その手を引っ掻いてやろうかと思った。持ってきた張本人は、隣に腰掛け暢気そうに煙草をふかしている。降りしきる雪に肩を震わせて、エースは毛布をいっそうきつく手繰りよせた。隣で酒ビンを煽る男に、刺すような視線を向ける。 「いらねえ」 雪の中毛布にくるまって凍えるエースを見て、マルコは無表情に肩をすくめた。触るな、近寄るな、あっちに行け、と新参者の顔に書いてある。腹が空いてないはずがないのに、警戒心ばかり剥き出しにこちらを睨み付けて、取りつく島もない。手負いの獣の必死の威嚇だ。強がりもここまで来ると立派なものだと思う。 冬島が近い海域に入り、夕飯どきのモビーディック号の食堂はいつもに増してにぎやかだった。普段は外で食べたりゲームに興じたりするクルーも、凍てつく陽気の中出ていく者はいない。一番隊隊長のマルコが普段のように激務を飄々とこなして入って行くと、案の定座る椅子もないほどだった。もちろん彼の姿を見たクルーは喜んで席を譲ったが、マルコは取り合わずに隊長らが集まっている奥のテーブルに腰を落ち着けた。 「ご苦労さん」 サッチが温かいエールを手渡し、マルコはありがたく飲み干した。 「さすがににぎやかだな」 「この寒い中外で食おうってバカはいねぇよ」 マルコは頷き、テーブルの上の空になった皿を見回した。それでもきちんとマルコの分が別の皿に残されているのは、日頃の彼の人徳だ。 「おめえらはもう食ったのかよい」 「ああ、悪ィな。先に食っちまった」 「構わねぇよい」 「そういえば、あのガキ見ねぇな」 「げ、もしかしてあいつ、この雪ん中まだ外にいるんじゃねえか?」 ワインの利いたビーフシチューを口に運んでいたマルコが、ふと手を止めた。 「この間オヤジが拾ったあの子供か」 サッチがリンゴを一口齧った。 「おう、あいつ、きっとまだ外にいるぜ。この船の食い物は食わねぇとか言ってたからな。もう何日になるかな? そのうち餓死するか、その前に凍死しちまうかも………」 「なぜ誰も行ってやらねぇんだよい」 「いや、みんな一通り説得に行ってるんだが、何しろ強情でなぁ。警戒心丸出しで噛み付いてくるぜ」 「部屋ん中に入るくらい……」 「無理やり引っ張りこもうとすると炎になるしな」 「お前がろくでもない場所に引っ張りこもうとしたんじゃないのか」 ジョズの横やりに声を上げて笑ったが、全員真剣に気に掛けているようだ。実際サッチも何度も様子を見に行ってやっているが、相手は頑として言うことを聞かないらしい。マルコはちょっとため息をつき、自分のために残されていた料理をトレイに載せた。 「見てくるよい」 「聞かないと思うぜあいつは」 「死なせちまったらオヤジに申し訳が立たねぇだろい」 人混みを分けて歩いていく背中を見送り、隊長たちは笑った。 「苦労性だからなあ」 「世話をかけるよ」 「いらねえってんだよ。あんた聞こえねぇのか」 震えながらエースが吐き捨てた。 「いらねえことねえだろい」 ウイスキーを喉に流し込み、マルコが答えた。熱い液体が胸を焼きながら腹に降りていく。 「寒いな」 「だったら中に入りゃいいだろ」 船室の壁に背を預け、出来る限り縮こまりながらエースが毒づく。そうしている間にも柔らかい黒髪に、白い粉雪が降り掛かっている。エースの剣幕にマルコが動じた様子はなかった。 「お前、その毛布の下、まさか半袖じゃないだろうな」 「あんたには関係ねぇ」 「わかったよい、とにかく食え。腹にモノ入れれば少しはましだ」 「いらねえ!」 その時、エースの腹が派手な音を立てた。エースの顔が赤くなったが、マルコは何も言わない。 「……なあ、いい加減おれも寒いんだ」 「だから、部屋ん中入れよ」 「お前が食うまでは入らねえよい」 「なんだそれ! 勝手に決めるな!」 「お前が勝手に食わねぇなら、おれも勝手にするさ」 眉間に皺を寄せ、エースが歯ぎしりした。震えているのは、今は寒さのせいではなさそうだ。怒鳴りちらそうとエースが息を吸い込んだとき、マルコがはじめて彼と目を合わせた。困ったように、少し笑った。 「エース、食えよい。寒いだろ。おれが中に入りてぇんだ」 「……」 「頼むよい」 あまりに穏やかに言わたので、エースは頭が真っ白になった。毒気を抜かれ、今まで張り詰めていた体の力も抜けてしまった。言葉を失うエースをよそに、マルコは何事もなかったかのように煙草をふかしている。 エースは目の前で暖かい湯気を立てる皿を見つめた。数日ぶりに、食べ物を食べ物として見た。空腹はすでに耐え難いただの痛みになっている。何日食事をしていなかったかもう記憶もなかった。そっとマルコを伺うと、エースが食べようが食べなかろうがお構い無しと言った様子で海に溶けていく雪を眺めている。 ボトルを煽るマルコの隣で、エースはそろそろとパンに手を伸ばした。一切れ掴むと、もう我慢が出来なかった。 今までの強がりが嘘のような健啖ぶりで平らげていく。マルコは思わず微笑んだ。 「うちの料理長は腕がいいだろ」 肉を喉に詰まらせながらエースが必死に頷いた。マルコが背中を叩いてやると、息をつく間もなく次の料理に手を伸ばした。 瞬く間に全部の皿を平らげ、頬張ったものを飲み込もうと苦心している。 「飲むか?」 マルコが持っていたウイスキーを差し出すと、がっつくように受け取った。一口飲み、すぐに咳き込む。 「ああ、悪い、少し強かったかい」 マルコが気が付いて謝ったが、エースは立て続けに煽って口元を拭った。ちょっとむせて、ようやく息をつく。マルコが背中をさすってやった。 「……うまかった」 気恥ずかしそうに首をすくめて呟くのを聞いて、マルコは笑った。さっきまでの頑なさが打って変わって、エースは神妙に、どこかしょげているように見える。見れば案の定、毛布の下はもともと着ていたシャツ一枚で、降りつもる雪の中寒々しいことこの上ない。すっかり濡れてしまっている黒髪から雪を払ってやると、おとなしくなった体がかくんと傾いた。 「おい……?」 倒れそうになる体をあわてて支えてやる。気付けば、規則正しい寝息が聞こえてきた。 「このタイミングで寝るかい……」 マルコは呆れたが、返って手間が省けて安心した。どうにか飯は食わせたものの、部屋に入るの入らないのでまた一暴れされるのを覚悟していたのだ。 ぐったりと力の抜けた体を毛布でくるんで抱え上げる。胸に凭れかかった体温の高い体が震えていた。長いこと何も食べてなかったのだろう、腕に収まった体は戦場で見た印象よりずいぶん細く頼りない。 内心でため息をついていると、食堂から出てきたジョズと鉢合わせした。 「おう、……」 反射的に道を譲り、ジョズはマルコが抱えている毛布に目をやった。見覚えのある癖毛が覗いている。ジョズは驚きに目を見開いたが、すぐに面白がるような顔をした。 「無事保護できたか」 「明日の朝に凍死体を見つけるのは御免だよい」 ジョズが笑い声を上げた。 「誰が行っても聞かなかったのになぁ」 どんな手品を使ったんだ? と笑う友人に、マルコは肩をすくめてみせた。 「どこか空いている部屋はあるか? 大部屋に突っ込んでおいても構わねぇが、こいつが起きたときがまた面倒だからよい」 「何言ってんだ。お前が拾ったんだ。最後まで責任持って面倒見てやれよ」 子供を諭す母親のようなことを言ってマルコの肩をぽんと叩くと、ジョズは悠々と去っていった。これからポーカーでもしに行くのだろう気楽な背中に向かって、お前が一番無責任だよい、とマルコは呟いた。しかし確かに他にしようもない。腕の中で安心しきって眠っている体を抱えなおし、マルコは自分の部屋に足を向けた。 next |