片方の口端を少しだけ上げて、艶めかしく、笑う。その仕種が頭から離れない。
最初は、5月半ばの放課後。桜もほとんど散ってしまい、葉桜となってしまって残念だなあなんて呑気に思っていた事をよく覚えている。
その日はそんな事を考えてぼんやりしていたせいか、いつもより帰り支度が遅くなってしまって、最早うちのクラスの名物と化しはじめてる緑間くんと高尾くんの口喧嘩…というか一方的に高尾くんが緑間くんをからかっているだけなんだけど―――も途切れていた。
いつもはその会話が盛り上がってるあたりで教室を出ているのに…少しぼんやりしすぎた。正面玄関で友達が待っているはずだから、少し急がないといけないなぁと思いながら立ち上がって、鞄を持ち上げる。
丁度緑間くんと高尾くんが教室の前の扉から出ていくところで、緑間くんの背中を押す高尾くんの肩からかけられたスポーツバッグが揺れるのが見えた。
―――瞬間。
高尾くんがゆっくりと振り返って、つり目ぎみの瞳が緩く細まって、その瞳が私を見る。口端は綺麗にゆるい弧を描いていた。
まるで、何かに射られてしまったかのように足が動かない。今のは、何だったというんだろう。見られていたなんて、自意識過剰?いや、確かに、確かに彼は。
ただのクラスメイトだったはずの高尾くんの存在がじんわりと心を占めていく。まるであの瞳に、弧を描いた唇に魅入られてしまったかのような、そんな、感覚。
「馬鹿じゃ、ないの。」
そう呟けばすべてが消えていくようで、きっとさっきの事は偶然、もしくはきっと、勘違いなんだと自分に言い聞かせた。
その、はずだった。
違う、きっとそれはすべての始まりだった。まるで幻のような彼との終わらない追いかけっこ。
最初は次の日の朝、そして放課後。授業中に、休み時間。視線を感じてちらりとその方向を見ればそこには必ずあの、満足そうに弧を描く唇があって、高尾くんがいる。
視線を感じて、振り返ればそこにいる。そのはずだった、のに、いつの間にかその笑みを求めて探している。
いつの間にか、ホームルームが終わったらすぐ帰っていた放課後も高尾くんの声が聞こえなくなるまで教室にいるようになっていた。
高尾くんは、高尾和成という男は本当に恐ろしい。
そして、今日。
放課後の教室。いつもと同じ、彼の視線。ゆっくりと手の平を握り締めて、いつものように視線をあげる。
そうすればいつもとは違う風景。
いつもよりずっと、近くにある笑う唇に、真っ直ぐに私を見据える視線。目が、合ってしまった。もう逃げられない。
高尾くんの指先が唇に添えられて、ゆるりとその唇が形を変えて声にならない言葉を紡いでいく。もう、逃げられない。
つ か ま え た
まぼろしを裸足で追い掛けた
20120722