どこにも行かない?
見る角度や、光によって本物の海みたいにキラキラと輝く。結局プレゼントされて、断る事のできなかったバレッタを空中にかざしながらぼんやりとしていた。
彼と離れて、秀徳に入学して、いつの間にかこんなにも時がたってしまった。別れを告げられてもうきっと一生会う事もなくて関われる事もないとそう思っていたのに、どうして、こうなってしまったんだろう。
―――青峰っちと戦う、俺、変わるから、頑張るから、だからインターハイ…見に来て欲しいっス。
そう言った彼の真っ直ぐな瞳を思い出せば壊れてしまいそうで、強く目を閉じる。忘れなきゃ、私も彼も、新しい道を歩きださなきゃ、歩き出したはずだったのに。
思考を遮断するかのように大きな音で携帯電話が鳴り響く。サビが流れつづけてメールではなく電話だという事を伝えてくる。携帯を手に取って着信相手を見た瞬間迷ったけれど私は通話ボタンを押した。
「―もしもし、」
「もしもし、なまえ?」
少しだけ遠くの合宿所にいるだろう、彼の向こう側から波の音が聞こえる。電話越しの彼の声はなんだかいつもより落ち着いているようで、優しい声で海に混じって私の名前を呼んだ。
「どうしたの、急に?今合宿所?」
「晩飯食べたとこ。ちょっとだけ抜け出して今は、合宿所近くの海の前。」
「海か…いいなあ。」
「…合宿終わったら休みあるから、行こうぜ、二人で。」
いつもとは違う、真面目な声に心臓が跳ねる。同意の言葉を返せば高尾は嬉しそうに笑ったけれどその声が何度も繰り返されて、心臓は早鐘を打ち続けていた。
高尾はいつもの調子で話しはじめて、誠凜が同じ合宿所だったとか、誠凜のカントクさんがケチャップまみれで悲鳴をあげた話とか、緑間がおしるこの中身がまだあった缶を忘れて落ち込んだ話をおもしろおかしく話してくれて。
私はその話をいつものように笑いながら聞いていた。そう、いつもの、ように。
一通り話が終わったのか、少しだけ話が途切れて、波の音が鮮明になる。次に高尾の声が聞こえた時高尾の声は、今までとは打って変わって、とても小さな、消えてしまいそうな声だった。
「高尾、どうしたの?」
「いや、なんかなまえが、なまえが遠くに行っちゃいそうで。」
「え?」
「なまえ、どこにも、どこにも行かないよな?」
潰れてしまいそうな、弱々しい声が彼に重なるようで。高尾のこんな声を聞くのははじめてで心が締め付けられて、ギシギシと痛んだ。
どこにも行かないに決まっているのに、なぜかその言葉にすぐ同意する事が出来なくて。高尾はすべて分かっていたんじゃないかと思うほど切ない声で、痛い言葉を紡いで。
私はそんな高尾にただ行かないよ、と出来るだけ優しい声で、彼の安心を願う言葉を吐く事しか出来なかった。