偽者を神様は愛してくれない。 | ナノ




勝呂×柔造


「泣かんとおくれやす、坊。行くに行けんようになってしまいますわ」

やや苦さを含んだものだったが、柔造はなるべく平生の笑みを携えて笑い、鼻や耳を真っ赤にさせ涙を零す勝呂の頭をそうと撫でた。いつの間にこんなに背を伸ばしたのか、体格も柔造よりがっしりし、幼い頃の面影はほとんどないように思えた。ただあるとすれば、しっかりとつり上がった目元くらいか、それだって今の柔造には確認し難い。
思えば柔造が勝呂の涙を見、さらにそれを拭うのは初めてのことだった。金造や八百造が怒ったら坊が泣きはった、廉造らが和尚に怒られて泣いとったという、そういう話を聞いていただけで、柔造はこの年になるまで勝呂の泣き顔を知らずに生きてきた。そして、大人になってしまった勝呂が泣くだろうことを、予測も出来ずに今を迎えてしまった。
ただひたすらに無言で、震える唇を無理やり噛み締めて、怒っているにも似た表情は何かを堪えているようにも見える。しかし堪えれば堪える分やや細めのつり目からは止め処なく涙を溢れ出し、ぱたりぱたりと畳の染みに変わっていく。少しだけ下に視線を向けると、腰辺りのズボンの皮をきつく握りしめる様がそこにあり、柔造は久々に十の差を感じさせられた。その打撃はあまりにも弱々しかったが、相手が勝呂ともなれば、此方にまで涙腺の緩みが伝染してしまう。
頭を撫でるのとはまた逆の手で、柔造は優しくぽんぽん、と肩を叩いてやった。宥める意味でのものだったが、勝呂はそれに気付いてくれただろうか。

「坊」

ほんのり鼻につんとした、若干の痛みを伴った感覚を生じらせながらも柔造は笑みを続ける。が、勝呂はちっとも泣きやもうとしなかった。鼻をずっ、と啜る音が聞こえる。昔の彼もまたこうして涙を流していたのか、柔造にはもう知る術もない。
もう一度名前を呼んで、肩を叩いて頭を撫でて。そして畳の下にまで伸び始めている根を断ち切ってくっついてしまった足を動かして。離れてしまおうと思ったが、柔造にはいつまでたっても決断することができなかった。勝呂の泣き顔をもう少し目に焼き付けたいという願望があったのか、それとも別のものか、柔造には判断がつかない。判断がつかなかったが、心中込み上げる高ぶりに、いよいよ下瞼の辺りまで熱を帯び始めてしまった。

「…坊、お願いですから」
「………」
「ね?」
「…柔造」

不自然に上擦った鼻声が、柔造の心臓を握る。その反動でどくりと高鳴ったそこに、勝呂が自然に、且つゆっくりと額を押し当てる。
とさかのような金色の髪は、きっとこの先染め直されることはないだろう。一番最初に彼があの家を、柔造らの元を離れていった日のことを柔造はつい脳裏に浮かべていた。

「柔造」

何か言いたいことがあるのではないかと、続く言葉を待ち構えずうと黙り込んでいたが、勝呂はただ名前を読んだだけに留まった。大分長い時間(そう感じられただけで実際はほんの一、二分程度)待ったが、勝呂にはもう唇を動かす気配が感じられなかったのだ。額を離す気配も感じられない。柔造は行き場のなく宙に浮かせたままだった手に気付いたが、同時にもう行き場がないことにも気付き、勝呂にはバレないようにきつく唇を噛み締める。下瞼辺りにあった熱は、もう顔中にまで広がってしまったようだった。
坊、とやや叱責するような声で名前を呼ぼうとしたが、妙な緊張感で乾いた喉がうまく機能せずに掠れてしまった。ん、が発音されていればいいところだろうという程度の音しか出ず、柔造は口内に僅かばかり溜まっていた唾を飲み込んだ。そうしてやや喉を潤して名前を呼ぼうとするが、やはり掠れる。それは一、二度言い方や強さを変えてみても同じだった。代わりにひゅう、と情けない音が耳に響く。

「…ぼ、ん」

漸く声を発せられた時には、心中に込み上げていた激情が全身にまで回りきってしまっていた。そしてずっと鼻を鳴らす音を起爆剤にして、行き場のなくなっていた両手で、躊躇わず勝呂の頭を掻き抱いた。肩を微かに震わせている勝呂はやはり無言で、また無抵抗だった。突き放すでも受け入れる姿勢を見せるでもなく、柔造の胸板に額を押し当てている。その表情を柔造は知りたくないわけではなかったが、ほろろと零れ出す己の涙が見るなと制止をしかけてくる。つんとした鼻が痛くて痛くてしょうがなかったが、それでも柔造は勝呂を抱き締めていたかった。

「坊、坊」

繰り返し繰り返し勝呂を呼ぶ。一瞬竜士と名前を呼んでみたい欲が沸き上がったが、これ以上の爆発は抑えなければならない。掻き抱く手を離すタイミングだけを所望しようと柔造は鼻をずずと啜ったが、いざ手のひらに、指先に勝呂の温もりを感じると、それすらも惜しくなってしまうのだ。自分は情けない男だ、とこの時改めて自覚する。あの青い夜の日から柔造が一番年上なのだと自分を叱責し見本を目指してきたが、兄らしさを保ってきたのと同時に、情けなさまでが膨らみ成長しきってしまった。弟でありたい甘えたい欲がそれに変換されてしまったのだ、本当に情けない、とかたく目を閉じる。頬を伝う涙は焼き付くほど扱った。

「坊」

数十の呼びかけの後、不意に背中に回った勝呂の腕に柔造は思わず息を飲み込んだ。体が一瞬強張ってしまったが、強く抱き返されその力強さや泣いたことによってか普段よりも熱くなった肌を法衣越しに感じ、無意識に体の力を抜いていく。足の力まで抜けかけてがくりと膝が折れると、それを見計らってか勝呂が柔造を抱き締めたままずるずるとその場に膝を付き、額を柔造の胸板から額へ移動させる。柔造もそれにつられるように畳に膝をついたが、腕は一瞬の逡巡の後、勝呂の背に回した。熱でもあるのかと思うほどの熱さに柔造は少しばかり心配になったが、勝呂はそれを吹き飛ばす術を簡単に実行した。

「好きや」

心臓がきつくきつく締め付けられる。あと少し力を込めたらぶちゅりと中身が出てしまうだろう、それ程の強さで。柔造はまたさらに涙を零してしまう、かたく閉じた目を薄く開くと逞しくなった背中と見慣れた畳が、ぼやけた視界の中にあった。
柔造は口内の唾を飲み込んで、勝呂の背中側の服をきつく握り締める。手が震えてしまってそこまで強い力にはならなかったが、柔造が勝呂に縋るには十分すぎる強さだった。

「好きや、柔造」

勝呂はもう泣き止んでここまでしっかりした声を出せるのかと思ったが、触れ合わされた頬にはまだ流れたばかりの涙があった。互いに固く女のような柔らかさ、しっとりさのない頬だったが、柔造はそれを口付けのように感じて瞼を下ろした。その時勝呂の流した涙が、重なった柔造の頬にも流れ触れてきて、心臓に静かに静かに水を落としていく。勝呂の流したものとはいえ少量のそれで柔造の燃え盛った情が収まりつくとは到底思えなかったが、柔造は無意識に薄く笑みを浮かべていた。そして一度だけ、一度だけ強くがたいのよくなった勝呂の体をしっかりと掻き抱き、掠れかかった声でどうにか囁きかける。

「あなたとあなたの愛する人が幸せでありますように」

そしてこの長い長い口付けもどきが終わったその時、漸く自分は勝呂の腕の中から飛び立っていくのだと柔造は思った。











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