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 キスから始まる恋愛事情

(大学生兄キッド×中学生弟ロー)


「キスの仕方教えて」



部屋のドアがノックもなしに開くなんてのはざらで、俺がしようもんなら確実に罵声が飛んでくるそれをこいつは自分勝手にやってのける。
今日も勝手に開いた扉に音楽を聴いていた俺は気付かず、視界の端に映った人影に顔を上げた。そのときちょうど口がパクパクと動いたが生憎何を言ってるのかは聞こえなかった。

「悪ぃ、聞こえなかった」
「キスの仕方教えて」

何回も同じことを言わせるとローは怒る。我儘な奴なのだ。だから不機嫌そうな顔をして言われるだろうとイヤホンを外せば、案外するりと入ってきた声に思わず眉根を寄せた。
何言ってんだこいつ。キスの仕方?

「新手の冗談か」
「んな訳ねぇだろ」

ローは怪訝そうな、ムッとしたような顔をするとボスンッと軽く反動をつけてベッドの上に座った。その不機嫌そうな態度にも訳が分からず頭を掻く俺をじっと見つめてくる。

「今後の参考までに」
「…好きな奴でも出来たのか?」
「まあ、そんな感じじゃね?」

その言動から考えられる可能性は限られていて、一番可能性の高そうなやつを聞けばローは何とも曖昧な返事を返してくれた。とてもどうでもよさそうな口調で、ベッドの上にあるクッションを弄りながら。そんなローを今度は俺がじっと見つめた。

「理由はまあいい。けど何で俺に言う?」
「経験豊富らしいですから」

ローが今よりかもう少し大人だったならば、そこらへんにいる女でも適当に捕まえて勝手に試してみりゃいいだろう、何か上手く言いくるめて、とでも言っただろう。ただこいつは今年中学一年生になったばかりで、それはどう考えたって無理な話だ。そのわりにテクを極めようなんて考えるもんだから最近の餓鬼はマセてやがる。
そう考えていたら何故か少し嫌味ったらしい口調で言われて、お前遊びまくってんだろうが、みたいな視線を寄越された。まあ否定はしねェけど、さ。

「それが人にものを頼むときの態度か?」
「うるせぇ。教えてくれりゃいんだよ」
「教えてくださいぐらい言えねェのかてめェは」
「俺に命令すんな」

そう言うとローはぶすっとした顔でそっぽを向いた。相変わらず可愛くない態度を取ってくれる。何たってこんな可愛くねェんだ?本当に。
昔はおにちゃんおにいちゃん言いながら俺の後ろをついて周って離れなかったくせに。ちょっとでもこいつの視界から消えると泣きながら探してたくせに。
恐らく反抗期ってやつだろうが、小学校中学年ぐらいから俺を呼び捨てにするようになり、高学年になるころには言う言葉も汚くなっていた。特に命令されるのが大嫌いで、この通り今じゃ立派なクソ餓鬼だ。
そりゃ昔に比べたら可愛いげは消えてなくなったけど、それでも根本的にある、俺の奥深くに根付いてるローに対する愛しさとか大切さとかは変わってないから俺は結局いつでもこいつに弱かった。ローがそれに気づいてるかどうかは知らないが、頼まれたことは何だかんだ言いながらもついつい叶えてやってしまう。

ただ、今回ばかりはそうはいかない。今回は話が違った。キスの仕方を教えてくれ、だなんて。
だってお前、何で俺がそこらのどうでもいいような女捕まえて性欲発散させてるか分かってんのか?特定の奴も作らないで。定期的に溜まった欲をぶちまけて。そうでもしないとうっかりお前に手が伸びそうになること、知ってんのかよ?…ま、でも普通そんなこと思わないよな。兄弟だし。

「…教えてやってもいいけど」
「じゃあ教えろ」
「その代わりにお前の好きな奴教えろよ」
「そんなん聞いてどうすんだよ」
「どうも。ただお前が惚れる奴ってどんなんなのかなと」

俺を差し置いてお前が選んだ奴なんて、気になるだろ?こんなに俺が大事に大切に育ててきたのに、お前はあっさり俺を差し置いて。
自分勝手な思いだとは分かっているけれど、心の奥にあるドロドロとした感情は止まらない。その思いのまますっと目を細めれば、ローは不自然そうに瞳をそらした。

「別に…誰だっていいだろ」
「……ああ、そ」

ぼそりと吐き捨てられるように言われた言葉は、拒絶。お前には関係ないと断ち切られているような気がして、面白くねェなぁと思いながらベッドに座るローの横に手をかけた。ギシリとスプリングの軋む音がして、こちらを向いたローの瞳が見開かれる。

「んっ、ん!?」

そのまま予告のないキス。顎を掴んで無理矢理こちらを向かせると唇をぶつけた。
苛々する、その態度が。昔のお前の中には俺だけしかいなかったはずなのに。俺は今でもお前しかいないのに。成長するにつれてお前は俺に背を向け始める。俺しか知らなかったはずの世界が、俺以外で満たされていく。そうして俺以外を知ったお前はあっさり俺を見捨てるんだ。俺はめでたくも家族とカテゴライズされたその他大勢の仲間入りだ。
今だってこの唇で俺以外の奴を悦ばせようとしてる。ああ、ムカつく。ムカつく。

「キスするときは目ェ閉じるもんだぜ?」
「…おま、え、が…いきなりする、から…っ!」

ちゅ、と軽く唇を離すと、なってねェな、と馬鹿にしたように呟けば下からキッと睨み付けられた。だけどその瞳にはうっすら涙が溜まっていて、全くと言っていいほど迫力がない。所詮餓鬼だ。強がっていてもこういった行為に慣れていないローの肩は小さく震えていた。
それでもやめようとはせず、いいから口開けろ、と唇をそっとなぞって呟けば少し間を置いてゆっくりと開かれる。その健気な態度は俺に向けられたものじゃないと思うとどうしようもなく苛々して、覆い被さるようにその唇を塞いだ。

「んんっ…ふ、ぁ!んー…っ!」

頭の中でやめておけと理性が警鐘を鳴り響かせる。けれどそれとは全く正反対に動いていく俺の体は誰にも止められなかった。
開いた隙間から舌を差し込んで、ローの小さな舌と重ね合わせる。擦り付けるように動かせばくちゅくちゅと唾液の絡まる音が静かな部屋に響き、ローは俺の腕の中でその体を震わせた。絡み合う柔らかい感触に顔を真っ赤にさせて、涙で濡れた睫をふるふると揺らして。舌に軽く吸い付いてやればそれだけでびくびくと腰を跳ねさせ、甘ったる声を洩らす。ぎゅっと縋るように強く握り締められた手にはやはり愛しさが込み上げてくるのだからどうしようもない。
このままぐちゃぐちゃになるまで犯しつくしてやりたいような、壊れ物を扱うかのように愛しんでやりたいような。
それでも結局俺はローに嫌われるのが怖くて。息苦しそうに力なく胸元を叩くローの手に促されるようにして唇を離した。

「んっ、はぁ…は、っ…ぁ…」
「…どうだよ?初めての大人のキスの感想は」
「んん…くるし、あほ…!」

キッとこちらを睨みつける大きな瞳にはゆらゆらと涙が溜まっていて、無意識のうちに目尻に唇を寄せるとその涙を舐め取る。ローは最早抵抗する気力もないのか、ぐったりと俺に体を預けながらされるがままになっていた。

「お子様にはちょっと早過ぎたみてェだな」
「ガキ扱い、すんな…!」
「鼻で息もできねェくせに」

そう言ってローの鼻を軽く摘むとバシリと手を叩かれる。どうやら少しずつ体力を回復しだしてきたらしい。
心の奥にある醜い感情には、ローと初めてキスをしたのは俺だという気持ちがとりあえずの蓋になった。その蓋を押し上げてまたドロドロとしたものが溢れ出てくる前に、あるいは瞳を伏せて熱く息を吐くローにすっかり欲情しきってしまう前に、俺はこいつを部屋から出さなければいけなかった。
ぐいっと少々乱暴に唾液に濡れた口元を拭ってやるとローをベッドから下ろす。だが立たせようとしてもしっかりと立ってくれず、ベッドに座る俺に上半身をくたりと預けてふらふらと足元が覚束無い。それでもこのままここにいられたら襲ってしまいそうで、結局一線を踏み出す勇気のない俺には早くローにここから立ち退いてもらわなければいけなかった。
悪態と多少の抵抗をできる力は取り戻したらしいが、どうにもこうにも自力で立とうとせず、ぎゅっと俺にしがみついてくる。マジで離れてくれないとやばい。勃つ。

「おら、もう用事終わったなら部屋戻れ」
「や」
「やじゃねェよったく。ほら、」

表面上は呆れたフリをしてる、聞き分けのいい兄だ。その奥でどんな感情が渦巻いていようと、ローの知るところじゃない。
俺は自分に叱咤してローに声を掛けるが、ふるふると首を横に振ってさらにしがみついてくるその姿にいよいよ下半身がきつくなってきた。いつもはムカつくくらい生意気なくせに、どうしてこうも素直なのか。しかも素直になるタイミングが悪いと言うかなんと言うか。何でもないときにこうして素直に甘えられたら、その倍甘やかして終わるけど今日はそうもいかない。
動こうとしないローに溜息を吐くと、無理矢理抱えてこいつの部屋まで運ぶ。途中じたばたと暴れるそぶりを見せたが、気にせず部屋に入るとベッドの上にボスンと下ろした。一瞬泣きそうな顔をしたようにも見えたが、きっと気のせいだろう。そう思ってバタンと部屋の扉を閉めた。



それからおかしなことに、ほぼ毎晩俺はローとキスをすることになった。
次の日もその次の日も、ローが俺の部屋にやってきてはキスの仕方を、と強請るのだ。教え方がヘタクソでよく分からないだの、もっとゆっくりしろだの、何かと理由をつけて、毎晩。
さすがに昨日の今日は驚いたが、三日と経てばその行為が当たり前のものとなる。まるで生まれたときからそうやっているみたいに、ローが部屋に入ってきてベッドに座れば俺はそっと頬に触れて小さく震える唇にキスをした。もう理由なんて必要なかった。
この行為が性に興味を持ち始めた子供の好奇心の延長戦にあるだけなのかもしれないし、たとえそうではなくともそれは俺には分からない。ただローがキスを強請るからキスをしてやるだけだ。

でもそれが一週間も続くとさすがにまずいと思った。
次第に要領を得てきたのか、息が出来ないとぐずるローはいなくなった。奥に舌を引っ込めもしない。キスに夢中になって瞳がとろとろと蕩けていく。唇を離せば足りないと言うように首を振ってむずがり、部屋から追い出すときには嫌々と抱き着いて離れなくなった。
俺はいつも切れそうに細い理性の糸でもってそれに対応した。だがローの折れそうに細い体を抱き締めて、俺のものに、と何度思ったことか計り知れない。
自分を押し殺すのにも限界があった。何だかんだ言って無垢なローはそれを知らないもんだからきっとああいうことが出来るんだろう。

自分の中の道徳と欲望に板ばさみされるのは、思った以上に俺を縛り上げた。こんなことなら抱いてしまえ、と思うたびに、いやでも、と思いとどまる。どうしようもないのは自分で一番よく分かっていた。
ローを突き放すことも出来なければ、抱いて自分のものにすることもできない。中途半端な立場で俺はいつもローの前に立っていた。こんなことなら馬鹿なことを言うなとあのとき俺の部屋に来たローに笑ってやればよかったのに。でもこの唇の柔らかさを知ってしまった以上、もう遅かった。




「…キッド」

そして今日もまたローがやってくる。かちゃりと開いた扉から顔を出し、それから部屋に入ってきていつもの定位置であるベッドの上に座る。
いつもの流れなら俺はもうローにキスをしてる。だけどやはり、この流れはどこかで断ち切らないといけなかった。

俺はローが部屋に入ってきたときと同じようにベッドの下で寄りかかって雑誌を読む。少し経つと動かない俺にローはもう一度声をかけてきた。それでも俺が動かないので、風呂上りで濡れた髪の毛をくいくいと引っ張られる。
俺はその手をやんわり退けると、もう遅いから部屋に戻れ、とそれだけ顔も見ずに告げた。え、と後ろで戸惑ったような声を出すローには聞こえないフリをした。

「キッド…」
「………」
「…なんで…。…怒ってんの?」
「怒ってねェよ」
「…おれ、なんかした?」
「何もしてないって」
「じゃあ…なんでこっち向いてくれないの…?」

そのときローがあまりに悲しそうな声を出したので、俺は驚いてローの方を振り返ってしまった。当の本人はシーツをぎゅっと握って俯いているので表情が分からない。
俺はどうしていいのか分からなくなって、とりあえず体を起こすと宥めるようにその頭をそっと撫でた。途端にぎゅっと首に腕を回してきたローに体が固まる。

「ロー。離せって」
「やだ」
「ロー…」
「やだっ」

ぶんぶんと首を振ってローは俺に抱き着く。その態度に苛々したのも正直な話だ。俺の気も知らないで、その言葉がぐるぐる頭の中を巡り、どっちつかずの態度を取る自分への苛立ちがだんだんと何も知らないローへの苛立ちへと変わっていく。何も知らないのは当たり前だ、口に出していないんだから。八つ当たりだと分かっていても、べらべら勝手に動く唇をとめられない。

「ロー、お前ももう中学生だろ。我が儘言ってあんまり俺を困らせんなよ」

溜め息を吐くとローの体はびくりと小さく震えた。
しっかりと回されていた手はおずおずと離れていき、ローは俯くとそっと俺から離れる。その瞳には今にも溢れそうなほど涙が溜まっていて、俺は思わず目を見開いた。

「っ、ごめ、なさ…」

それだけ言うとローはバタバタと部屋から出ていってしまった。俺はそれを引き止めることも出来ずにその背中をただ見送っただけ。


「…あー、クソッ」

違う、泣かせたい訳じゃなかったのに。うまくいかなくて苛々する。

俺は結局自分が可愛いのだと思う。ローに嫌われたくないけれど、この生殺し状態を続けるのも嫌だ。だからと言って何も省みずに行動することは到底出来ず、割り切って楽しむことも一切を突き放すことも出来ない。曖昧な立場に自ら立っているのは紛れもなく自分のせいだ。でもその曖昧な立場に苛立ってローのせいにする俺は最低だ。我が儘だなんて、それは俺が言われるべき台詞だろうに。
一番最悪なのはこうやって自己嫌悪して、それなのに行動に移さないことだった。俺の足はいつまで経ってもローを追いかけることはしないし、弁解を告げる舌もない。今頃ローはどうしてるだろうかと考えると胸が痛むが、部屋から出ていく勇気はなかった。俺はこんなに意気地無しだっただろうか。ここまでくると自嘲の笑みしか出てこない。
今ここでローを追いかけたって一体何を告げればいいんだと言うのが最低な自分が辿り着いた答えだった。酷いことを言ってごめんと言って、あとはどうする?それともいっそ好きだと言ってしまおうか。でも言ったあと、俺はどうなる?

ぐるぐると終わりのないのを知っていて考える、堂々巡り。結局意気地無しの俺が、その日ローの部屋の扉を叩くことはなかった。

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