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 恋と戦争は手段を選ばず

「何だ、言ってみろ」
「はい、それが…白の女王が大群を引き連れてこの城へ向かっているとの報告がありまして…!」
「何を今更…どうするつもりでいるんだ。戦争か?」
「…いえ、恐らくは……王権の交代、ではないかと」
「はっ…馬鹿を言うな。アリスがいなくて何が出来る」
「それが先日、アリスが白の女王に謁見したの情報が…」

陛下はかつてこれ程までに自分の耳を疑ったことはなかった。言いにくそうに歯切れ悪く報告するハートのエースに、隠しきれない驚きをもって瞬きをゆっくりと二回繰り返す。
アリス、あのアリスが?何故今頃になって?どうして来れた?まさか!アリスがたとえ存在していたとしてもここにこれるはずがない。確かにユースタス屋は誓いを交わしたのだ。あの唇で、アリスは二度と追わないと私に絶対の忠誠を…。

「恐らくあの白兎が…アリスを見つけ出したのではないかと」

それ以降の話を陛下は聞いていなかった。くらりと眩暈にも似た感覚がして、ゆっくりと深紅のソファに座り込む。それを不安そうな面持ちで見つめるハートのエースに表情が分からないよう咄嗟に俯いた。
ひどく動揺していることを悟られたくないし、こんな情けない姿を見せたくもない。陛下は震える唇をぎゅっと噛み締めると、混乱する頭を押し退けて無理矢理舌を動かした。

「っ……下がれ」
「ですが、」
「下がれと言っている!」
「っ、出来ません!陛下は早くここからお立ち退きになってください!そうでなければあなた様の命が…!」

危ういのだと、その言葉をハートのエースは必死に飲み込む。
アリスを引き連れて向かい来る白の女王に、勝敗があるかと言われれば正直言って分からない。もちろんそれは兵力の面からのみ見た場合であって、その他は確実に白の女王が優位な立場であるのは目に見えて分かりきったことだった。
このワンダーランドで広く慕われている白の女王、それに対して陛下に手を差し伸べてくれるような者は誰もいない。恐怖で押さえつけてきた陛下に対し、その御身を守ろうなどと考える者は恐らく殆どいないからだ。
それが我らが女王陛下が自ら築き上げてきたものではなかったとしても、先代から受け継いだその現状を覆そうとしなかった陛下には最早遅いのである。

「陛下…」
「…少しでいい。少しでいいから一人にしてくれ」
「では…準備が整い次第、また御伺い致します」

初めて聞く、懇願を含んだ声色。それを無下にすることも出来ず、俯く陛下に一礼するとハートのエースはそっと部屋をあとにした。
一人にしていいのかという不安もあったが、陛下はお強い。きっと今はあまりに突然なことだったから動揺が大きいだけだ。落ち着いた頃にはいつも通りの陛下に戻っているはず。ハートのエースはそう思い、自らの気を引き締めるとその時のためにトランプ兵の招集を始めた。

しかしハートのエースは忘れている。白兎のこととなると、陛下がとてもとても脆くなってしまうことを。どうしようもなくなってしまうことを、ハートのエースは忘れている。

それは、今この瞬間でも同じことであるのに。


「っ…ユースタス、屋……。ユースタス屋!どこにいる!早く…!」
「…お呼びでしょうか、女王陛下」

ぎゅっと拳を握り締め、叫ぶ陛下の足元に跪くは白兎。そっと陛下の手を取り、恭しく口付けを落とす。白兎はそれが何処でも、何時でも、陛下が必要とするときにはすぐに現れた。
陛下はじっと白兎を見つめた。その瞳は普段からは考えられないような困惑を映し出している。口を開いては閉じる。それを繰り返す陛下は、呼びつけたはいいがどうしていいか分からないというようだった。

「陛下?どうかなさいましたか」
「っ…ユースタス屋…!何故アリスを…何故アリスをこの国にっ…!」
「それはもちろん、それが白の女王の…我が女王陛下の御望みだからです、陛下」
「何をふざけたことを…!お前はっ…お前は、確かに私と誓いを交わしたはずだ!あやつの元へはもう二度と戻らないと、私のものになるとその身を…っ」
「陛下、」

これほどまで取り乱す女王陛下を見たことがある者はいるだろうか。それほどまで陛下は混乱の最中に陥り、白兎はそんな陛下にこの場に似つかわしくないほどの困ったような笑みを溢す。柔らかなそれは普段と変わるところが一つもなく、興奮からか少し赤みのついた頬を撫でる手つきは優しい。
ただ、形の良い赤い唇が静かに紡ぐその言葉は。とろりと溶け出していくような、それはとても、甘い囁き。


「誓いとは、破るために存在するものでしょう?」


くつり、零れた笑みに陛下は何を言われたのか理解できない。ただ愛しむような、それでいて嘲るような視線を注ぐ白兎に、陛下は目を見開いた。
それと同時に白兎が呟く。切なげに寄せられた眉とは正反対に、とてもとても愉しそうな声色で。

「愚かな陛下、俺を信じてしまうだなんて。周りの者が言う通り、首を刎ねていさえすれば…こんなことには、ならなかったでしょうに」

そっと頬を撫でられて、恋人が睦言を囁くように言われたその言葉に、陛下は何も応えない。応えられなかった。頭の中は真っ白で、何も考えられない。考えたくない。告げられた言葉を、理解したくもなかった。
それでも白兎の唇は、未だ弧を描いたまま。紡がれる終わりの見えない言葉は、確実その心を絶望の淵へと追い詰める。

「陛下、愛しい陛下。裏切り者の処罰をお教えください。あなたは今何を考えているのでしょう。俺が憎いですか?それとも殺したいと思うのでしょうか。
……ああ、陛下。どうか泣かないで。悲しむのは愚か者がする行為です」

それでもその涙を歓喜するように、愉しそうに呟く白兎の唇がそっと目尻に触れる。そこで陛下はやっと気付く。自分の頬を流れうつ涙に。
いつの間にか零れ落ちていた涙は、さながら真珠のよう。色がついていないことが不思議にすら思えるほどの、綺麗な涙。それを拭いながら白兎はそっとほくそ笑むのだ。


「嘘、だっ……信じてた、のに…っ」


それに気付かない陛下は俯いて唇を噛み締める。
陛下はいつもそう。何にも気付かない。気付かないまま白兎を愛する。信じる。そうして何も知らぬまま、気付かぬまま裏切られるのだ。

悔しい。陛下はぎゅっと拳を握り締めた。歓びに満ちたその瞳が腹立たしい。今までのうのうと信じていた自分が恥ずかしい。今すぐにでもこの男の首を刎ねてしまいたかった。
けれどそれでも何よりも。悲しい、と思ってしまう自分が一番嫌だった。

好きだった。信じていた。身も心もあなたのもの、その言葉だけを頼りに身を寄せて。なのに、こんなにもあっさりと。裏切られた。命を売られたのだ。

情けない、情けない。泣けば益々惨めになると知っているのに。けれど涙は止まらず、それを優しく拭う白兎が憎らしかった。それでも好きだった。好きだから悲しくて、だから涙が止まらない。泣き止まない陛下に白兎は少し困ったような顔をすると、静かに流れる涙を拭う。この男が憎いと思いながらも、陛下はその手を拒めない。白兎はその頬を優しく撫でて、宥めるようにそっと呟く。

「可哀想な女王陛下。俺を信じたばかりに」
「っ、ふ…」
「信じなければ、裏切られる絶望も知らなくて済んだでしょうに」

いつもと何ら変わりのない、優しくて甘い声。だが伝えられる内容はあまりに残酷なものだった。

陛下は愛を知らない。産まれ落ちた瞬間から新たな憎しみの対象とされたからだ。孤独で、いつも独り。どんなに自分に尽くしてくれる人物であっても、埋められない距離があった。
だが白兎は違った。心から接してくれた。怯えも憎しみもない。あるのは日だまりのような暖かさだけ。
愛を知らない陛下は、白兎から愛を知った。凍りきった心は静かに溶かされ、白兎の手によって暴かれた。硬い殻に閉じ籠り、冷徹な目をした陛下の内側は触れればそれだけで壊れてしまうのではないかと思えるほど脆くて儚いのだ。白兎はまるで陶器を扱うかのような手つきで陛下に触れ、惜しみなく愛を注いだ。

幸せだった。永遠に続くと思っていた。けれど今では何が本当で、何処から嘘だったのかが分からない。
溢れる涙が静かに赤く染まった頬を打つ。白兎はそんな陛下の瞼にそっと口付けた。

その心の内の絶望に、白兎は密かに歓喜した。陛下にしてみれば、信じられるのはたった一人、己れのみ。そんな自分に裏切られたのだ。その心の内は、どれほど甘美なる絶望に支配されていることだろう。そう考えると唇が勝手に弧を描いてしまう。

胸を震わすようなこの瞬間のためだけに、一体どれほどこの体を愛しんだことか。望むままに愛を囁いたことか。

これほどまでに可哀想で、可愛らしい方などいない。背徳感、支配欲、加虐心、全てが白兎の中で複雑に絡まり合い、そしてその心を満たしていく。

「ああ、陛下。愛しい陛下。絶望にくれるあなたは美しい」

震える肩も。嗚咽を堪える喉も。濡れた睫も、伏せられた瞳も、赤く染まる目尻でさえも。
この心を煽って止まない。満たして止まない。その涙が枯れ果てる最後の一滴まで。嘆き悲しむあなたを全て残らず自分のものにしてしまいたい。

この感情をきっと陛下は知らない。それでいい。何も知らないままでいい。
何も知らないまま俺を信じ、裏切られ、地に落とされ。可哀想な陛下。そしてその下で口を開ける白兎の皮を被った魔物があなたを絡め取るだろう。逃がしはしない。そのこともきっと、あなたは知らない。知らないままでいいのだ。

「もうっ…お前の顔など、見たくもない…っ」
「嘘はいけませんよ、陛下」
「…っ」
「それでも俺が好きでしょう?」

陛下は何も答えない。痛いほどの沈黙は、肯定に等しかった。
どうせもう、逃げられないのに。それでも逃れようと足掻く姿を見るのも悪くなかった。足掻き苦しんで追い詰められて、そうしてきっと気付く。どんなに拒絶しようとも、あなたには俺しかいないことを。

ぎゅっと唇を噛み締めて俯く陛下の額に、白兎はそっと口付けを落とす。
何をしても、結局女王陛下が求めるのはこの白兎だけ。それをこの男は知っている。自分しかいないことをこの男は知っている。

くつり、と白兎は笑みを浮かべると、項垂れる陛下をそっと抱え上げる。伏せられた弱々しい瞳は、白兎を見ようともしない。けれどその腕を拒むこともしなかった。

「さぁ、もうそろそろ行かなくては。愛しき陛下。我が女王陛下が、あなたを殺してしまう前に」
「っ…嫌、だ…離せ…!」
「そう言えるのもきっと今のうちだけですよ」

今に自分から縋りついてくるようになるのだ。この抵抗だって、すでに口先だけのもの。そう遠くはない未来のあなたは、きっと俺なしでは生きていけない。


数分後、駆け付けたハートのエースが見つけたのは、物抜けの殻となった部屋のみだった。




あれから王権は交代された。赤の女王から白の女王へと。
恐らくもう二度と王権は交代されないだろう。誰もそれを望んでいない。そもそも交代するべき赤の女王がいないのだ。
あの夜、城中を探し回っても何処にも陛下を見付けることは出来なかった。突然消えてしまったのだ。それはまるで、アリスのように。
期を同じくして白兎もいなくなった。功績を讃えようとした白の女王がいくら白兎を探しても、彼もまた何処にも見付からなかった。







静かな、ひっそりと静まり返ったどことも知れない場所にそこはあった。この一部屋しかないのか、それともどこかの地下室の一室なのか。
検討がつかないのは、そこが赤を基調とした部屋だから。深紅のテーブル、ソファ、チェスト、全てに赤が取り入られるこの部屋は、罪人をいれるのには少し場違いだ。かと言って、そこを帰るべき場所とするにはあまりに薄暗く、不気味だった。

キングサイズとも思えるようなベッドの上には、そこだけ真っ白なシーツが敷いてある。そこに座り込んで俯くは、地に引き摺り下ろされた我らが女王陛下ではないか。

彼の周りには誰もいない。ここが何処かも知らない。自らの隣に身を寄せる白兎しか、この小さな世界で頼れる者はいなかった。

陛下の頬を撫でる白兎が呟く。ロー、と。それは誰も知らない陛下の御名。白兎だけが特別に口にすることが出来た、愛しい名前。

「好きです…愛してる」

ぽたりと陛下の瞳から涙が溢れ落ちる。

「あなたに女王の地位は似合わない。広大な城も、役に立たない護衛兵も」

権力と自由は首に繋がる鎖に変わり、閉じ込められた小さな部屋には鉄格子の嵌まった窓に厳重に鍵を掛けられた扉。意味をなさない兵士たちははたった一人の、微笑を浮かべる白兎になりかわる。
誰も知らない二人きりの部屋に、二人きりの世界。

「ずっとあなたをこうしたかった」

さあ、真の誓いを今ここで。



そらの様から頂いたアリスパロ絵やらその設定やらを見ていたらたぎってやってしまいました…!冒頭はそらの様宅からちょっと手を加えて拝借させていただきましたm(_ _)m
何故かヤンデレBADエンド風になりましたがとりあえず自己満!





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